お寺の梅
晴れるのを待っていても、と小雨の中墓参りに出かけた。
そして、おばさんの家に用足しに歩く。ぶらぶら歩く。
道筋の崖にふきのとう。
枯れ草の中からにょっきり。春の生命力をひしひしと感じる。
ここでは観賞だけね、ふきのとう摘みはまた別の場所で。
見頃
可愛いわ
上から見た
かくれんぼよ
揃ってトウがたって
家に帰ったら、上りがまちにぼた餅が。店番友からのお裾分け。
店番友の手と同じくおっきなぼた餅。
いつもありがとう。
お寺の梅
晴れるのを待っていても、と小雨の中墓参りに出かけた。
そして、おばさんの家に用足しに歩く。ぶらぶら歩く。
道筋の崖にふきのとう。
枯れ草の中からにょっきり。春の生命力をひしひしと感じる。
ここでは観賞だけね、ふきのとう摘みはまた別の場所で。
見頃
可愛いわ
上から見た
かくれんぼよ
揃ってトウがたって
家に帰ったら、上りがまちにぼた餅が。店番友からのお裾分け。
店番友の手と同じくおっきなぼた餅。
いつもありがとう。
今日も朝から寒い。そして1日じゅう雨。
小ぬか雨なんてそんな風情のある雨じゃない、身も心も凍えそうになる冷たい雨。
陽の光なんて一筋もささない。二日も太陽を見ないと憂うつになるわ。
そんな中、今日も今日とて止むを得ない用足し。
これが終わらなきゃあ今回平日多数の期間に帰った意味がない。
頑張ったわ。ほんと。
頑張りの締めは、こちらの両津欄干橋を渡って湊町の外れまで歩く用足し。
(橋の手前が夷町、橋を渡った向こうが湊町)
実家は夷町だから近いようで行かないのが湊町。
湊町の方が、建物から道幅から昭和の香りが濃い気がする。
雨の中痛む膝を抱えて30分近く歩くのはつらかったけれど、なかなかの雰囲気
魚屋さん まだ閉まっている
土産物屋さん 閉まっている
夷町にきたら店先には雛人形。
本屋さんの三人官女は魚釣り
見学の保育園児たち
朝もふた組の見学保育園児たちに遭遇。
「女の子たちは綺麗な着物着てお嫁さんに行くんだよ」って。
「私も行くの?」なんて可愛い。
それにしても、君たちはえらい!
10度を下回る雨の中、誰一人ぐずらずしっかり歩いているもんね。
おばさんは見習わなくては。
佐渡です。まことに寒い!風が冷たい!
いいのか、これで春とは。
クリーンセンターへ行く道からの大佐渡の山々
加茂湖の向こうに大佐渡の山々
そんななか、フル回転。
諸々の機関3か所巡り、役所で両親の謄本をもらう。
説明を受けていたら、そういうことだったのか、と自分の先祖に興味がわいてくる。
返却してもらえるから後でじっくりみよう。
他にも、
墓参り2か所。すっかり忘れていたお寺さんへ納付金を納め、ついでに位牌の件について相談してすっきり。
そして、マサチャンママに車出してもらい、母が我が家で最後に寝ていた布団をクリーンセンターへ持って行く。
どうよ、いつもぐだぐだしている私だけれど、やる時はやる!
佐渡です。
ようやく夕飯が終わってほっとしています。先月慌てて横浜に帰ったので、まあいろいろとひどいことになっています。
が目をつぶって、あしたやればいいや、ってひっくり返ることにしました。
その前に。
ずっとずっと美術に触れたかったので今回は上野のお山訪問。
東京都美術館
館内では小学生のグループが施設スタッフと観賞会。いやあーびっくり。
しっかりした自分の感想を述べ合って議論しているのよ。
難しい言葉も飛び交っているから感心したわ。すごいわね。
風が凄くてつい足早になったけれど、ちょこっと公園散策。
お馴染みの噴水。
遠くから目立つ濃いピンクの花。カンヒザクラ(名札があると自信満々紹介)
カンヒザクラと噴水
おまけです。
スカイツリーが見えた 車内昼弁 ハンバーグ、ペットボトルワイン
娘の家で我が家で娘と暮らしてみて、あらためて二人して気が付いたことがある。
いやあ、言動がよく似てるのよ、それも困ったところが。ほんと。
昨日の夕焼け
たとえば。
何のかんのを片付けてひと息ついて。私は何の気なしにただぼーっと突っ立っているわけ。
すると、それを見た娘はすかさず、
「おかあさん、椅子に座ってテレビでも観たら?」
とご注進におよぶ。
えっ?別にいいのよ、遠慮してるんじゃないから、そんな気を遣ってくれなくても。
ってか、その気遣い、ちょっとうるさいのよ、いいのほっといてくれて、指図してくれなくても。
ってな気分になった。(ま、もちろん娘は私のことを・・・って分かってはいるけれど、ね)
そう思った途端、我が身を振り返って。
あれま、夫にそっくりそのまま言っている。
ご飯の支度中、もう少しの時。夫が突っ立っていると、
「椅子に座ったら。テレビでも観てれば」
なんてつい言ってしまう。
そっか、夫は(私も)座りたければ座るし、テレビ観たければ言われなくても観るわね。そうだわ。
って、以後なるべく言わないように気を付けているのよ、ほんと。
エリカ
で、娘。
娘が何かしているときに、たとえば洗濯物を畳んでいるとする。畳んでいる最中なのに次の用事を言いつけているんだって。そのことを婿さんに愚痴ったら、
「ぼくにもお母さんとおんなじこと言ってるよ」と逆襲されたそうな。ふふん、そうか。
ほんとにせっかちといおうかお節介といおうか、みょうちきりんなところが似て困る。
そして、お互い反面教師にしようねと諌めあっているわけでして。
でもでも、
「私はもう年だから直らないけど、あんたは直してね」
と居直るところは似ないでおくれね。
ちょっと離れた住宅地の外れの空き地に *ホトケノザの群生、発見。
じゅうたんを敷き詰めたようなとまでは言わないが、これだけ群生しているのはちょっと珍しい。
ヒメオドリコソウの群生よりは好きかな。
葉が仏の蓮華座に似ていることからついた名前だそうな。まことにその通りでして。
光りを浴びて心地よさそう
花開く前の赤い目ん玉模様もかわいらしく
オオイヌノフグリも一緒
今日は、ちゅっぱちゃんのお宮参り。
広島からおじいちゃんおばあちゃんも会いに来てくれて、ちゅっぱちゃんもいい子でいて、まことによき日。
港南台に買い物。
原チャリを走らせていたら、ちょっと向うに明らかに梅とは違う花色発見。
えっ!?何かしら。近寄ってみると・・・
サクラよね、ソメイヨシノよね。
他では見ないのに、住宅街の中にひと足お先にとばかりに咲き誇っている。私も「お先に」のお花見。
得した気分。
こちら自宅近くのバス停に今を盛りと咲き誇る・・・濃いピンクの小さな花のサクラ。
眺め写真撮影していたら、ちょうどモリタサン。
「可愛いわよね、河津桜より小さいかしら。確かオカメザクラっていうのよ」
とおっしゃる。そっか、オカメザクラね。
確かめようとネット検索。
下向きに咲くのが特徴、とあるから、律儀な私は下向きに咲いているか本物確かめに(なにしろ撮った写真では分からんのよ)。
そこへご近所タカハシサン、粋に着物を着こなして歩いている、利休梅はまだ咲かぬかとおっしゃる。
まだですまだです。
それに今年は変な時期に強剪定しているから、花は咲くかどうか分からないのよ。
「緋寒桜、見てたの?」
「えっ?ヒカンザクラ?オカメじゃないの?」
「そうよ、ヒカンザクラよ」
断定。
オカメか、はたまたヒカンか。どっちか悩む。
いっか、こんなに可愛く美しいのだから。それを愛でればいっか。サクラはサクラだものね。
昨夜は家が壊れるかというような物凄い大風でした。
ご近所では雨戸が2枚、庭先に吹き飛ばされたそうです。
我が家では、雪にどうにか耐えていたミモザが、花を咲かせたまま折れていました。(涙)
そして。
高齢者夫婦の我が家で、10日間ほど吹き荒れていたちゅっぱ大風
を先程送り届けてきました。
家が静かです。
・・・淋しいです。
大暴れのちゅっぱです。
「私のやって欲しいこと、してちょうだい!」
右足左足、地団太踏んで。
大泣き、足蹴りまくり。お行儀悪くてたいへん。さらにお得意の自転車漕ぎで、暴れます。
抱っこしているときは、たぷたぷしている私のおなかをこうやってきぃーーっく!
キック、よおい!
はじめ!!
左足も準備完了!
どうだ!
ちなみに、ねんねの時はこんな感じ。
おてても紹介します。
ねんねしていると、こぶしは振り上げません。いちおうレディですから、はい。
ツバキか海石榴か。どちらの表記もちょっと合わない感じがするから、やっぱり、*椿。
(舞岡公園 古民家の庭)
基本、ひょろひょろ揺れる花や草や木が好きだから、椿はちょっと・・・だけれど。
真紅の椿を見ると、日本の花だなあとしみじみ。
それにしても、今どきのこじゃれた家で庭木に*椿を見ることが少なくなった気がするわ。
どうしてかしら。自分もちょっと、と言いながらそう思うのは変だけれど。
我が家から二筋くらい離れた土地には昔ながらの家が建っている。
そちらには大きな椿。
見上げると、威風堂々。迫力満点。
こちらの家の ほんの狭い通路に
昨日撮影 今日撮影 1日で花が少し開いてきた
上の家の前を通って坂を下っていくと大きな大きな椿が2本植わっている家がある。
そちらの椿は開花が遅い。
満開の時はお見事で。
そして、散った時の地面が・・・(は内緒)
昨日、3月11日。TVでは多くの震災関連のことが報道された。
私が視聴したのはひとつ。
『あの日 生まれた命』
3年目のこの日、その子たちは3歳になった。
「生まれてきてくれただけでありがとう」
ひとつの命が誕生するってそれだけの単純な喜びだと思っていたけれど・・・
3月11日に生まれたという事実に複雑な思いを抱えてしまうなんて。
心の底から祝福できないなんて。残酷だ。
でもでも。
掛け替えのない命の誕生。
それは何の日に生まれようがどんな時に生まれようが、やはり大切な大切な命だと私は思う。
そうであればなおのこと、命の尊さをよりいっそう感じるのではなかろうか。
介護施設で働くお父さんが、悲しみを背負った日に生まれた息子を連れてその施設を訪問した時。
息子さんがいるだけで、入所しているお年寄りの人たちを笑顔にし、元気にしてあげている。
それが画面を通して十分に伝わってくる。
君が生きているってそういうことだ。3月11日に生まれた事実ではない。
お父さんは言う。
3月11日に生まれてきてくれたハルセと3月11日に災害にあった南三陸町も、
ハルセの成長と南三陸町の復興が同じように進んでいくのかなと思う。
おもいおもい言葉、本当にそうであってもらいたいし、そうあるべきだ。
そして、今は複雑な思いを抱いていて心から祝福できないでいるご両親も、
やがて心の底から、
「生まれてきてくれてありがとう」
と言える日が来ることを願う。
どの子も、いくつになっても3月11日に♪ハッピーバースデーの歌が歌えますように。