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(舞岡公園)
昨日は久しぶりにこまわりくんに乗った。
しばらくするとやってきたエンドーサンとバス停でご一緒することに。
「この頃早くにお見掛けしますけど」と話しかけると、
「いや実は桜木町で水彩画の個展を開いているんですよ」ですって。
えっ?この時期にとは思ったけれど。
「200人にも案内状を出してあるしね。来ないとは思うけれどやらないわけにもいかないし。
僕も14日でちょうど80歳になるんですよ。80過ぎると動けなくなるとみんなが言うし、
思い切ってそのままやったんですよ。そんなに来ないから本を読んで留守番しています」
いただいた葉書
ああ、ちょうどご自分の人生の節目にと思われたんだ。
「奥様が家にいてくれてよかったですね」
というと、うなずきながら
「もう全然違います。安心です」
とおっしゃる。
エンドー奥様の闘病生活は、私が佐渡通いを始めた時と重なるからもう13年にも及ぶ。
その間、入退院を繰り返していた。
調子がよいときは、オーストラリアの人と結婚した次女を祝って
当地まで飛んでいくこともできた。お孫さんと九州旅行をすることができた。
駅前まで買い物に行ったり、近所散歩もできた。
今回の退院までは3年間の病院生活だったとご主人は言う。
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それにしても長い。
リュックを背負って自転車こいでスーパーに買い物に行っていたご主人。
リュックからネギが顔を出しているのを見て、思わずニヤッとしたものだ。
バス道路から見える会館で読書している姿を見かけたこともなんどかある。
「家でひとりでエアコンつけているともったいないから」って。
3年間は週に2回洗濯物を持って奥様に会いに。なかなかできることではない。
いつぞやは「生きているだけでいいですよ」のひと言。
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もちろん私は奥様とお付き合いがあった。
さっぱりして活動的、社交的な人だからずいぶんとお世話になった。
「あなたねえ、子供はふつう遊んでいたらお母さんにいわれたことなんか聞かないわよ。
それが〇クンは(息子)5時になるとお母さんに言われたからって、
雨戸を閉めに帰るのよ」
大きくなってその話を聞かされた時は、ぐっと胸が詰まって言葉が出なかった。
働いていた私より奥様のほうが息子をよく見てくれていた。
小柄で細い奥様だが健康には気を使っていたから、病気と聞いたときは「まさか」
の思いのほうが強かった。
それが13年間にも及ぶとは。
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天気の良い昼過ぎ、道路に面した庭にいると散歩中のエンドーサンご夫妻が通る。
奥様が「〇さーん!」と声をかけてくれて通り過ぎる。
「主人につかまらないと歩けないのよ」と言って、二人してすたすた坂道を下っていく。
バスの中でご主人は「お風呂に入る時だけ介助してあげればいい」とおっしゃっていた。
人生の先輩は、有言無言で行く末を教えてくれる。