まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

息子は・・・

2025-02-17 08:56:32 | くらし

元同僚、私を含めて5人ほぼ同年代。
佐渡生活が終わり、お誘いを受けてからほぼ10年にはなる。
不定期な会合から二ヶ月に1回集まろうということになって。安否確認。
その間、時々の話題は介護の話からお墓の話に移り、それも一段落して
今は病気披瀝。ま、そんなに重症な人はいないので情報交換程度ね。
不思議だけれど、それぞれ持ち回りのように屈託真っ最中の人がいて。
その人が打ち明ける。

 

今回は息子さんと二人暮らしのオーヤサンが。
「夫との二人暮らしの方が楽かも」と切り出す。そうだわ先回も彼女、
大変よって言ってたもんな。息子さんが細かいんだって。
息子さん、リモートワークで1日中家で仕事しているから顔を合わせる。注意を受ける。
具体的なことは言わないけど、そのたびに彼女いちおう「気を付けます」
ってなことで済ますそう。うーん。
言い返すと面倒なことになるからねって。冷静な人であまり愚痴を言わない人が
言うんだから、やはり相当堪えているんだと思うの。
私が乱暴に「家、追い出しちゃいな」と言うと、周りはそうはいっても助かることも
あるし、年取ったらなおのことよ、と諫めてくれる。彼女もそうなのよねって。
犬のすみれちゃんを飼っていてほんとによかったって、慰められるって。
「〇さん(私のこと)、犬はいいわよ、かわいいわよ」聞いた私は、
「オーヤサン、すみれちゃんに嫌なお兄ちゃんだね、とかなんとか話しかけて
いるんでしょ」と冷やかす。
夫婦関係も難しいけれど、親子関係もなかなか難しい。

続いてサトーさんが。
今年のお正月、一人暮らしをしている息子さんが来なかったんですって。
毎年一緒にお正月を迎えていたのに、ね。
ちょっと障害を抱えているから、彼女は物心両面にわたって長年援助を続けてきた。
月に数度の食事に連れて行って、年に1度母子で旅行に出かけて、その他もろもろ。
私たちもその様子は聞いている。
それが「ひとりで過ごす」と言ってきたからびっくりするやらなにやら。
同時に切なくなってさびしくなって、なんとも言えない気持ちになったそうな。
50にしてようやく自立したかと思うと・・・って言ってたわ。


(写真は葉山マリーナ)

人は何歳でも変われることを実感。

 

 

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シーサイドラインに乗って野島公園へ

2025-02-16 08:59:33 | 街・風景

気分まで落ち込みそうなどんよりとした空。
午後からは晴れの予報だから期待して待つことにしよう。

14日の元同僚定例会、2ヶ月に一度幹事持ち回りで顔合わせする。
みんな元気よねの確認集まり。今回の幹事さんは葉山マリーナにある串揚げ屋さんを予約。
集合は京急逗子葉山駅。そっか。
京急に乗って、まっすぐ金沢八景駅下車で少しその辺散策するかそれとも。
シーサイドラインに乗って途中下車、海の公園に寄るか、それもつまんないなと。
いっそ野島公園で下車してぶらぶらしよう、展望台には行かなくてもいいやと、決めた。

横浜市の最南部にある平潟湾の入口に浮かぶ、「野島」という島にある公園です。
江戸後期に活躍した浮世絵師歌川広重によって描かれた『金沢八景』の中の
『野島夕照(のじまのせきしょう)』で有名な地域です。
旧伊藤博文金沢別邸や、野島貝塚など歴史を感じることのできるスポットがあります。(ネットより)

シーサイドライン「野島公園駅」下車。ちなみに老人パスが使えるから運賃は無料。

野島橋を渡ると釣り船が係留されている

すぐに野島公園

 

振り返って駅の方

うーん いいわ 望んでいた海の景色

 

ノリ養殖のようだ

 

左は八景島

実は集合時刻と予約時刻を間違えていたことに気づき、慌てての散策で小公園までで
野島海岸には行かれず悔しい 昨日書いたレストラン老女のことは我が身のことなの

急いで引き返す

 

車内から展望台を。
のんびりしたいい町だ。好きだわ。

 

 

 

 

 

 

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桜はまだかしら

2025-02-15 08:36:27 | 公園・庭園

 今朝の空

昨日は元同僚定例会、場所は葉山マリーナ内のレストラン。
私たちが席についてしばらくすると、老女がおひとりで入ってきた。お店の方が対応。
なんでも後から来ると言うことで、すぐ私たちの前のテーブルに案内されて。
10分経ち20分経ち・・・どなたも来ない。
老女は携帯を取り出し電話をかけ始めた。声がとぎれとぎれに聞こえてくる。
どうやら日にちを間違えたようで。話の内容が漏れ聞こえてくるの。お店の方にそれを
伝えている様子も逐一見えるの。お気の毒になあと。
せっかくお仲間と会えるのを楽しみに来ただろうに、杖を使っていて決してシャンシャン
とした歩き方ではないのに。それでもと出かけてきたのだろうと想像すると。
テーブルには3人分のおしぼりと湯呑が残っていた。
明日は我が身。


2月11日、建国記念の日。
何するでもなくボーッと半日過ごしていたから、昼寝前に様子見して来ようと
高台公園へ。河津桜はどうしているかいな、花の一つ二つ開いているかいな、なんて。

高台公園はわが家から坂道のないただ一つの公園、往復40分くらい。まあまあ。

広場にケヤキが1本 すっくと

左のソメイヨシノはまだまだ

ワンコと散歩の女性
下の方に下りると

ん 先っちょがピンク

この木はまだね

女の子二人はワンコと遊んでいる 小さなポメラニアンが右の土手をすいすい上るのに
女の子は途中で滑り落ちて あちゃあ

見つめる人 左手の並木が河津桜

一段下に下りて近づいて

ややや

 

 

11日がこのくらいだから 15日の今日は1輪2輪は開いているだろうな。

ついでに春探し。

 

 

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舞岡をちょこっと歩く

2025-02-14 08:43:43 | 自然・風景

ここ数日、月がきれいだった。お見事、2月の満月、なんて。
わが家からは、上って高い空に、という月は見られない。徐々に沈んでいく月を
トイレに立ったおり眺める。西側の部屋に月明りが差し込んでくる様は結構幸せ。
日ごとに欠け始めているからね、沈んでいく場所が違うからね。

毎朝血圧測定。
最高で160から150、2回目測ると140から130台。高いなあと思うけれど、
夏になれば120台に落ち着いてくるから、ま、いっか、なんて。
ちっともよくないわね、脳卒中遺伝の家系なのにね。そのうちに、だなんて。
白内障も眼科に行く気が失せているしなあ、セツブンソウも枝垂れ梅も、迷っていた
展覧会も全部パス。ブログで見せていただいたから充分だわ、と満足。
遠出はもう少し暖かくなってからね、というより春っぽくなってからね、
と、そこらへん寄り道で自分をなだめているわけ。怠け心に言い訳しているわけ。

 

10日、そこらへんより道は舞岡、地下鉄舞岡駅で下車して30分ぶらぶら。

 

 

舞岡神社へと向かう

 

振り返るとイチゴのハウス
こちらのイチゴサンドイッチを買ってみよう も目的

ロウバイがまだ残っていた

省略してこちらで手を合わせる

この日は横の道を行ってみる

 

田んぼのくろができていた
これを見ると 佐渡でのニリンソウオジサンの田んぼを思い出す
オジサンは几帳面で 鍬でていねいにくろぬりをした後の田んぼは芸術作品のようだった

このお地蔵様のところまで来たら引き返す まっすぐ進めば舞岡公園へ

 

紅梅がちらり

白梅はまだ固い蕾

参道入り口

 

 

9時半開店にちょうどよくて。
お肉とコロッケとサンドイッチを買って。敬老パス利用ちんたら散歩は終了。

 

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造形美

2025-02-13 08:28:54 | 植物

 

ユリノキ作

 

メジロ作

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寄り道散歩は広々公園

2025-02-12 08:52:06 | 公園・庭園

昨日はイトウサンご主人との世間話。
今日はムラタサンご主人との世間話。
なんたってミニバスこまわりくんは、住宅街をくねくねと走っているから、
しかも1時間に2、3本だから、バス停にだってご近所のほぼほぼ顔見知りが
待っているだけ。ムラタサンご主人も毎日買い物に出かけ、その時間が私とぴったりで
よく顔を合わせる。話もするようになる。その日はムラタサン持病の話。

言葉に言い表せないような激しい胸の痛みで、心臓の病気と分かり入院手術。
血便が出て慌てて病院に行ったらそういう病気で、東京の病院を紹介されてそこでの手術、
なんでも難しい手術だったそうな。取り出した病巣はめずらしいからって病院保存にされたって。
腰痛はひどいけどなんとか歩いていると言う。歩け歩けと医師に言われるから。
そんな大病しながら80過ぎまで生きているから、運がよくてまさに
「生かされている」とおっしゃってた。バスを降りると必ず言う。
「転ばないように、転んだらダメだよ」と。その日はつけ加えた。
「具合が悪かったらすぐに病院へ、変な症状が出たらすぐに病院へ」
うん、分かった、と言いつつ・・・

 

で、8日は買い物に行く前に広々公園に寄り道。
そう、イトウサンとおんなじ。坂道はバス利用、公園内1周、バス利用で買い物。
8日午前、土曜日の公園に人々は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なあに1500歩も歩いただけ。いいの。

おまけで、わが家のひょっこりさん

 スイセン

 チューリップ

 バイモユリと判明

 

 

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駅の向こうの公園へ

2025-02-11 08:57:31 | 公園・庭園

今朝もいい天気。
天気に気持ちが追いつかなくて元気が出ない。ん、贅沢だな。
ま、そのうちに時間が経ってくればなんとかなるだろう。

駅前のロータリーでこまわりくん待ちのベンチに座っていたら、お隣にオジサンが座って。
挨拶してくれたお顔を見ても一瞬分からない。なんてったって、帽子眼鏡マスクの
完全武装だからね。「イトウサン?」そうですって。どうしてここでって聞いた。
女房に追い出されたんだ、家にじっとしてたら歩けなくなるよって、と言うから、
「介護するのは私なんだからって言われたでしょ」と突っ込む。彼女、言いそうだからな。



家の前から歩くと坂道があるから嫌なんだって。心臓持ちのイトウサン、坂の上り下りは
辛いそうだ。膝痛の私はよく分かる。おんなじおんなじとお気持ち共有。
バスに乗って駅で降りて、駅向こうの道をぶらぶら歩くって。駅向こうの道は比較的平坦
だからね。1時間も歩いてバスに乗って帰るんだって。私が広々公園歩く理由とおんなじよ。
ああ、同じ年の我も彼も同士だわ。やれやれ。

その駅向こう、私もめったに行かないけれど、この日は駅向こうの生協に行こうと出張った。
同じスーパーは飽きたのよ。

ハクモクレンの木1本

イチョウの街路樹
帰り道は公園を突っ切る 面白みに欠ける公園 ごめんね

 

保育園児たちの格好の遊び場 あれ?役に立っているわね

 

 

 

 

そんこんな。ぶらぶら歩いてバス待ちしていたら、イトウサンと一緒になったの。
イトウサン、バスの中でも話しかけてきて。あれ?こんなによく話す方だったかな、なんて。

 

 

 

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断筆します『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』佐藤愛子著

2025-02-10 08:22:32 | 

佐藤愛子さんの本、自身の最後となる本エッセイ集のタイトルに
『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』と付けたのは、借金は返済したけれど、
人生の戦いはやまず、今も日も暮れていない――。
愛子センセイが97年を生きて来た人生の実感です。愛子センセイがヘトヘトになりながら綴った、
抱腹絶倒のエッセイ全21編をぜひご堪能ください、ですって。
ん、確かに抱腹絶倒、いやそこまではいかなかったけれど、にやにや笑ったことは確か。

『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになって。
以来いろいろなメディアからのインタビューにのこのこ出かけて行って、
三十代四十代の元気横溢していた頃と同じような毎日になったそうで。
そんなこんなで2017年は暮れ。
大晦日が近づいて来た頃には、「本が売れて何がめでたい」と呟くようになっていた。
というから、にやにやしてしまう。



とにもかくにも静かに暮らしたいー。思うことはただそれだけだった。
明けて2018年の正月をどんなふうに過ごしたか記憶は曖昧である。
日記には「アホのように1日を過ごす」とか「ただボーっとして冬枯れの庭を眺めていた」だけ
そのうち「終日ヘトヘト」という半行だけの日が。
そうかあ、そういうものか、愛子さんにしてそうか、並の私のこのぼんやりはありうるのね、
なんて、おそれ多くも愛子さんの姿を想像してわが身に照らし合わせて、安心したりして。

愛子さんのヘトヘトはレッキとした病気だった「発作性心房細動」」
そんなことの後、今度は昏倒して打撲、それだけで済んで、毎日紫色に腫れ上がった自分の顔を
見るのが無聊の日々の唯一の楽しみになった、とあるからなんともかんとも。
「それにしてもなかなか死なない人だねえ」という娘と孫の会話。ホント、私もつくづくそう思う。
ですって。なんの、愛子さん、2025年の只今101歳、元気です。

老いてからの長い歳月を前向きに過ごすにはどうすればいいか。
そのコツをというコメントを求められて、老人がべつに前向きに生きなければならない
ってことはないんじゃないの。
「もう前向きもヘッタクレもあるかいな」というセリフ。
いいわあ、好きだわあ、そういうところが愛子さん好きなのよ。
私、愛子さんのように啖呵切って威勢のいいことが言えないから、代わりに言ってくれると
すっとしたりして。上から目線で偉そうなこと言いませんものね、好きだわ。

愛子さんの理想とする老後のありようは、小春日和の縁側で猫のノミを取りながら居眠りし・・
というような日を送りつつ、死ぬ時が来るのを待つともなしに待っている、その境地。だそう。
うーん、いいねいいね。私は猫がいないからどうしようかしら。ほったらかしの庭なんぞ
眺めてうつらうつらかね。

 

そろそろ私のもの書き人生も終わりに近いな、とこの頃、しきりに思うようになった。
視力、聴力、脚力、腕力、とみに衰えて、元気なのはよくしゃべる口だけだ。
一番ひどいのは脳ミソで、グダグダに伸びてたるんで色褪せた脳細胞が目に見えるようだ。

丸めた反古原稿が部屋中に散乱している。足の踏み場もない。
書斎の惨状を見て孫がさすがに神妙に言った「おばあちゃん、もう書くのをやめれば・・・・?」
娘さんが信頼するタロット占いの名手は
「書くのをやめたらこの人は死にます」と占ったそうな。

買い物に行く娘さんについて外に出た。新しい医院に導かれるようにして入って。
身体の衰弱を話したついでに、この頃、物書き家業がつらくなってきたので毎日やめようかどうしようと
思いあぐねている、とつけ加えた。するとその医師は元気のいい声で、打てば響くように言われた。
「ダメです!書くのをやめたら死にます!」その後、縷々励ましのお言葉。

帰る道みち考えた。いかにも愛子さんらしいのよ(特に知らないけれど)
死なないために無理やり書くというのも情けない話だ。佐藤愛子は書くのをやめたら死ぬといわれて
怖気づき、白髪頭ふり立てて無理やり書いている。あいつでもやっぱり死ぬのが怖いのだ、
ということになっては雑文家佐藤愛子のホコリが許さぬ。先祖に対して申しわけが立たぬ。
と考えたそうだ。ふふふ、おかしい、つい笑ってしまう。

 (挿絵は全てネット拝借)

断筆することを宣言。

かくして私はここに筆を措きます。見渡せば部屋は床一面の反古の山。これからかき集めて、
メモ用紙を作ります。それで終わりです。

みなさん、さようなら。ご機嫌よう。ご挨拶して罷り去ります。

2021年 庭の桜散り敷く日

私、佐藤愛子さんの小説は1冊も読んでなくて、なんだか申しわけない。

 

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佐渡の山野草 オオミスミソウ(雪割草)

2025-02-09 08:36:55 | 佐渡の花

マサチャンママに電話して街の様子を聞いたら、やっぱり
雪は例年より多くて、娘が5時起きで雪かきをしているという。
昼間だってだあれも歩いておらせんが、と言って。転んでも通る人が
いないから助けてくれる人がおらんが、と笑えない話。いやいや。
寒波、誰も居座ってくれなんて言ってないんだから、さっさと消えてほしいわ。

3月下旬の雪解け水で川は勢いよく流れていく。
このころになると「雪割草はまだかしら」と山野草好きはうずうずして。
*オオミスミソウが正式名称だろうが、私らにとっては*雪割草。早春季植物。
日本海側のものは花も大きく、花の色とシベの色の組み合わせも変化に富んでいるから
太平洋側のものと区別して*オオミスミソウと呼ぶ。ー佐渡の花ーから。

佐渡生活の5年間、4月初めにはドンデン山アオネバ登山口から歩き始めて*雪割草探し。
私らは朝早くに出かけたから、花はまだ閉じているか開きはじめ。帰る頃になるとようやく
全面開花になる。いや開きかけが可愛いから、少しも気にならない。

写真は全て 2010年4月4日 

崖をよじ登り 身体捻っての必死の形相で

枯葉の中から顔を見せてくれると 嬉しくて

奥にエンレイソウも

陽が差し込み始めるとこんなに美しく開いてくるのです

みんな可愛いから選ぶのが大変で。
何回も思い出写真で記事アップしているから既出の写真多々はお許しを。
(どうしてもお気に入りは同じになってしまう)

一月ほど経った5月になるとアオネバ登山口はすっかり緑になる。

島外からの登山客も増えてくる。
新潟から朝一番の船で来て夕方の船で帰って行った登山グループにあったことがある。
それほどにドンデン山へのアオネバ登山道は魅力的だ。
どうぞぜひ一度来島してくださいませ。

 

 

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佐渡の思い出 早春のハイキング

2025-02-08 08:26:54 | 自然・風景

私が60歳の時、母が12月に脳出血で倒れ意識のないまま入院、施設入所になった。
父が亡くなるまでの5年間、佐渡の実家で二人暮らしの日々。
90歳を超えたとはいえ、父は自立していたから手がかからなかった。
それでも、母を毎日見舞い、脳梗塞を1回患った高齢の父との暮らしはどこかで
気苦労とストレスがあったのだろう。

そんななか、遅刻友が月1回のハイキング仲間に入らないかと誘ってくれて。
長時間歩くなんて私の生活にはなかったけれど、日々の鬱屈をどこかで晴らしたかった
のでしょうね、すぐに入れてもらったわ。
なにしろ、歩き始めの場所まで車で連れて行ってくれて、帰りは車が待っててくれる
という緩いハイキング、ムリなんか決してしないのよ。ほんとよかった。
おかげで佐渡に生まれていながら、行ったこともない場所にずいぶん連れて
行ってもらった。会長が山野草好きだったから、いろいろ教えてもらったわ。
なんだかんだいっても60代は若いわね。つくづくしみじみ。

で、またもや佐渡思い出、ハイキングの写真出番。
早春の4月限定。今日の写真は、年月日が分かるが、場所が思い出せない。うーん。

 

2009・4・11

木々は強い北風に吹きさらされて 一定方向に

 

2010・4・24

おっ 遅刻友の姿発見

ブナの根元 強い生命力

 

2011・4・10

 

 

今は想像できないタフな私!?いい思い出だわ。

 

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