
いよいよ、バンクーバー冬季五輪が開幕した。昨日は天気も悪かったし、午前中からお昼にかけて開会式を楽しんだ。光のファンタジーがすばらしく、ときどきカメラにおさめた。”芸術的な”絵になる場面がいくつもあったが、そのいくつかを記録に残しておこうと思う。





今朝から早速、競技が始まったが、ノーマルヒルのジャンプは、残念ながら、伊藤選手が最高位の15位と惨敗に終わった。残念である。ジャンプといえば、以前は日本のお家芸で、札幌大会では、笠谷選手ほか、金銀銅独占ということもあったし、長野大会の、世界一きれいなフォームで飛んでいた船木選手、涙の原田選手らの日本チームの金メダルとか、思い出に残るシーンが頭に浮かぶ。
オリンピックというと、ぼくももちろんそうだけど、誰でも(たまにはそうでない人もいるけれど)、ニッポン、ニッポンと興奮して応援してしまう。金メダルなんてとると、もう自分のことのように嬉しくなって、その日、一日中うきうきしてしまう。女性ならお肌までプリンプリンしてしまうことだろう(笑)。なぜだろうか、ぼくは、人はいつもは動物の一種であることを忘れていて、こむづかしい顔をして仕事をしたり生活しているが、スポーツ、とくに国別対抗のオリンピックになると、ぼくらが動物的になるのだからと思う。
あの、おしとやかな吉永小百合さんだって、野球やサッカーを観戦するときは、なにやってんだ、このやろー、いいぞ、つっこめ、あほんだら、とか叫ぶそうだ。もちろん、ぼくもそうだ。そうしなきゃ、面白くないし、そしてスポーツ選手も、試合になったら、鬼になり、たまにはにらみ合いしたり、なぐったり(これはなるべくしない方がいいけど;笑)してもいいのだ。こうゆう”はけくち”がないと、うつうつとした、ジンセイになってしまう。なにせ、太古の時代では種族間の争いや野獣との必死の決戦は日常的だったのだから、その”遺伝子”はぼくらに残っているはずなのだ。
ぼくが、ときどき、多少強調して言ってしまうこともあるけれど、お祭りでのケンカや、酒を飲んだあとの多少の不始末や、多少のエログロを容認しているのは、ときには、ヒトは動物的にならないと、思っているからなのだ。なにしろ、ぼくらは、チンパンジーと遺伝子の相同性は99%なんだから、それほど、彼らと違わないのだ。
だんだん、オリンピックのことと離れたことを書いてしもうた。さあ、そろそろ、モーグル女子の上村愛子選手の出場だ。ドラムをたたいて応援しようゼ。

ついでに言うけど、みっともない格好したぐらいの選手のことを大きく報道するマスコミの方がよっぽど、みっともないゼヨ。