今日は、いつもよりも遅く7時半頃に隣の犬の散歩に連れ出し、朝食を取る時間にテレビをつけたら箱根駅伝の1区の走者がスタートしたばかりでした。この駅伝、筆者が退職後にメンター的に師事するお方が、昨年に某国立大学を早期退職し移った私学が、予選会から勝ち抜いての箱根駅伝初出場とのことで、例年とは違っていささか、その大学の順位が気になり見ておりました。
この箱根駅伝、夏の甲子園野球に通じる人気があるようです。それは何かというと、足がけいれんしながらも必死でタスキを渡そうとする学生走者への共感、いや、他人の「不幸」を喜ぶという、単なる野次馬根性の一種がいたく刺激されるところにあるのではないかと思ったりします。「不幸」=他者が見ている歪んだ母校愛かも知れません。
下手すると最後の走者がゴールするまでテレビに釘付けになるところなど、甲子園野球とそっくりです。しかし、こりゃいかん、時間の無駄ではないかと思い直し、先ほどまで年末用に買い求めた本の1つを読み始め、眠気を時折感じなららもあっという間に読了しました。
やっぱり箱根駅伝に釘付けにならなくてよかった。
タイトルに「世の中の本当のことを書いている本は少ないが」と書きましたが、その本とは、筆者が以前から贔屓にしている作者の1人である、内田 樹氏の近著「街場の教育論」です。(ミシマ社、2008年11月28日初版)
この本、著者があとがきで書いているように、一義的には「学校の先生たちが元気になるような本」を目指して書かれておりますが、気に入ったところをメモした、次にような文章が気になる方は、一度この本を手にすることをお薦めします。
1.教育の本質は、「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つことにある。「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること。それが教育というものの一番重要な機能なのです。
2.「楽」は時間意識を涵養するものです。豊かな時間意識を持っていない人間には音楽は鑑賞できません。というのは、音楽とは「もう消えてしまった音」がまだ聞こえて、「まだ聞こえない音」がもう聞こえているという、過去と未来への拡がりの中に身を置かないと経験できないものだからです。
3.教養教育というのは、「自分が何をやっているのか分からない」という覚知に基づいて知性を使うやり方のことです。いささかわかりにくい表現を使えば「自分がどうふるまったらよいのかわからないときに、なお適切にふるまうやり方」を身につける訓練のことです。
4.成熟というのは、「表層的には違うもののように聞こえるメッセージが実は同一であることが検出されるレベルを探り当てること」、これに尽くされるのです。
5.ブレークスルーというのは自分で設定した限界を超えるということです。「自分で設定した限界」を超えるのです。「限界」というのは、多くの人が信じているように、自分の外側にあって、自分の自由や潜在的才能の発現を阻んでいるもののことではありません。そうではなくて、「限界」を作っているのは私たち自身なのです。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくります。ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。それは自分自身で設定した限界を取り外すと言うことです。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。
6.「会って5秒」で合格者は決まる。この人といっしょに仕事をしたときに楽しく仕事ができるかどうか、それを判定基準にしているから。(入社面接の担当官の話の紹介として。)
7.言語は他者と分かち合うことでしか存立しない。そうである以上、100%自分に固有の内的経験を語りうる言語などというものが存在するはずがないし、そのようなものを望むべきでもない。という単純な事実を忘れて、相変わらず、「思いを言葉にできない」と人々は泣訴している。
これ以上書くと、探偵小説の種明かしをするようなことになりますので止めますが、この本は学校の教師だけでなく、これから社会に出ようとする若者や、会社で現に働いている人々に大いに参考になることは疑いありません。
この箱根駅伝、夏の甲子園野球に通じる人気があるようです。それは何かというと、足がけいれんしながらも必死でタスキを渡そうとする学生走者への共感、いや、他人の「不幸」を喜ぶという、単なる野次馬根性の一種がいたく刺激されるところにあるのではないかと思ったりします。「不幸」=他者が見ている歪んだ母校愛かも知れません。
下手すると最後の走者がゴールするまでテレビに釘付けになるところなど、甲子園野球とそっくりです。しかし、こりゃいかん、時間の無駄ではないかと思い直し、先ほどまで年末用に買い求めた本の1つを読み始め、眠気を時折感じなららもあっという間に読了しました。
やっぱり箱根駅伝に釘付けにならなくてよかった。
タイトルに「世の中の本当のことを書いている本は少ないが」と書きましたが、その本とは、筆者が以前から贔屓にしている作者の1人である、内田 樹氏の近著「街場の教育論」です。(ミシマ社、2008年11月28日初版)
この本、著者があとがきで書いているように、一義的には「学校の先生たちが元気になるような本」を目指して書かれておりますが、気に入ったところをメモした、次にような文章が気になる方は、一度この本を手にすることをお薦めします。
1.教育の本質は、「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つことにある。「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること。それが教育というものの一番重要な機能なのです。
2.「楽」は時間意識を涵養するものです。豊かな時間意識を持っていない人間には音楽は鑑賞できません。というのは、音楽とは「もう消えてしまった音」がまだ聞こえて、「まだ聞こえない音」がもう聞こえているという、過去と未来への拡がりの中に身を置かないと経験できないものだからです。
3.教養教育というのは、「自分が何をやっているのか分からない」という覚知に基づいて知性を使うやり方のことです。いささかわかりにくい表現を使えば「自分がどうふるまったらよいのかわからないときに、なお適切にふるまうやり方」を身につける訓練のことです。
4.成熟というのは、「表層的には違うもののように聞こえるメッセージが実は同一であることが検出されるレベルを探り当てること」、これに尽くされるのです。
5.ブレークスルーというのは自分で設定した限界を超えるということです。「自分で設定した限界」を超えるのです。「限界」というのは、多くの人が信じているように、自分の外側にあって、自分の自由や潜在的才能の発現を阻んでいるもののことではありません。そうではなくて、「限界」を作っているのは私たち自身なのです。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくります。ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。それは自分自身で設定した限界を取り外すと言うことです。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。
6.「会って5秒」で合格者は決まる。この人といっしょに仕事をしたときに楽しく仕事ができるかどうか、それを判定基準にしているから。(入社面接の担当官の話の紹介として。)
7.言語は他者と分かち合うことでしか存立しない。そうである以上、100%自分に固有の内的経験を語りうる言語などというものが存在するはずがないし、そのようなものを望むべきでもない。という単純な事実を忘れて、相変わらず、「思いを言葉にできない」と人々は泣訴している。
これ以上書くと、探偵小説の種明かしをするようなことになりますので止めますが、この本は学校の教師だけでなく、これから社会に出ようとする若者や、会社で現に働いている人々に大いに参考になることは疑いありません。