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こんなことで自殺するなんて

2009-01-12 09:02:24 | 折々の随想
バフェットと並び称されていたドイツの億万長者、アドルフ・メルクレが鉄道自殺しました。

例のねずみ講のヘッジファンド、バーナード・マドフに絡む損失か、ポルシェの空売り騒ぎが原因かと思いましたが、そうではなく、どうも彼はかねてから子どもたちに事業を継承させることが、人生の最重要課題だと考えていたようですが、それが今回、持株会社を破綻させないためのブリッジローン、3億6千万ポンドの融資と引き替えに、銀行から息子のルードヴィッヒをその持株会社の取締役から退くように言われていた、そのことが彼を絶望の淵まで追いやったようなのです。

彼は普通の億万長者とは少々異なり、質素な家に住み、地域のコミュニティに多額の資金を提供して豊かにし、飛行機はいつもエコノミーに乗り、新聞の割引券を持って奥さんがスーパーに買い物に行く、といった暮らしでした。個人資産が今でも60億ポンドもある人間がです。

これだけ資産があるなら、息子の件だって銀行からとやかく言わせないで3億6千ポンドを個人資産から出せば問題は解決した筈です。

何故、自殺したのか理解不能です。

しかし、この不可解さこそが、今日のブログを筆者に書かしめております。彼のどこに自殺へと向かわせるものがあったのか?

考えれば考えるほどよく分かりません。自分だったらすっからかんになっても、こんなことでは自殺はしないだろうと思うからです。しかし、それは何故なのか?

平たく言えば、「この先どうなろうと、もうどうでもいいや。」と思っている自分がありますが、これだろうか?と自問したりします。

まあ、人生に目的を持つとか、こうありたいとか、夢を持つとか、そうしたことに達観している自分、といえば格好が良すぎますが、そうした図太さがどうも何時の間にやら備わっているようなのです。

それでも何か一大事が起これば、不安になったり絶望したり、悲しんだりする自分は当然あるでしょう。しかし、それもこれも、この世に生をたまたま受けたことの必然であるだけなのですね。

そう言えば、若い頃、それまでに遭遇した絶望的なことを思い出して、こうした運命のような出来事こそが、自らを叩き上げる良い機会を作っているに違いない、と思ったりしたものでした。

そう思うことで、不思議なことに段々と「世の中の瑣末なことはもうどうでもよい、もしこれから逆境に遭っても何とか生き延びていけるだろう」、と言ったふてぶてしさが芽生えてきたようです。

しかし、こうした達観とて、本当の絶望的な出来事に出会った時、果たしてメルクレ氏のように決して自殺をしない自分でいられるだろうか?

もうこれは、自殺は決してしないという、思想的なバックグラウンドを支えにする以外にはないと思われます。

この意味では、筆者は究極のリバタリアンかも知れません。リバタリアンというのは、世の中の干渉を一切受け入れず、自らの自由意志だけで行動することを徹底する人種のことです。それは、自らの所有物は自分だけが自由にする権利があると考える思想ですね。

何故なら、自分の財産であれ思想であれ人間関係であれ何であれ、全ては自分の「力」で作り上げて来たのであり、それをどうしようと他人に干渉される筋合いは一切ないという考え方です。「力」と書きましたが、人は自分だけで財産や人間関係を作れる訳はありませんので、括弧に入れましたが、しかし、契機を作るのはあくまで自分です。例え、受身で財産が手に入ろうが、人と偶然に知り合おうと、そうした自分の存在があったがための結果と考えます。

ところが、リバタリアンが唯一自らの意志で処分できないものがあります。それが自殺です。理由は簡単。「自分を作ったのは決して自分ではない」という極めて単純明快な事実です。

強いて言うと、天が自分をこの世に送り出した、と考えるのがリバタリアニズムの論理的な帰結なのです。

更に言うと筆者の場合、以前にドミナント・ネガティブ現象というテーマで書いた通り、あらゆる生命に埋め込まれている「動的平衡システム」の絶妙さを考えただけでも、もったいなくて自らの命をそうそう簡単には絶つことが出来る訳はありません。「宇宙が自らの身体の奥深く宿っている」という感覚ですね。

ところで話はがらりと変わりますが、日本の企業では極めて珍しく東芝が人間力を問い直すための教育を始めたようです。

こうした視点を持つ会社は、将来必ず成長するだろうことは確信できますが、こうした教育を企業がすることの限界もあることは自明のことです。人は与えられたもので何かを創造することはできません。自分の意思と強く交錯しないと何事も身につくものではないからです。
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全米100都市の住宅価格予想

2009-01-12 00:29:08 | 金融全般
今の世界金融恐慌と深刻なデフレ経済への突入は、元を正せばアメリカの住宅バブルの崩壊でした。いわば、原発がんが住宅問題だった訳です。その原発がんが全身に転移した今頃になって、アメリカ政府はようやく、住宅ローン借り換えを容易にし、ローン破産を食い止めるための4000億ドル規模の公的資金の投入に踏み切っております。

しかし、アメリカの住宅価格の下げ止まりがなければ、公的支援も一時的な処方にとどまってしまいます。

そこで今日は、先日ロスアンジェルスのケースでご紹介したフォーチュン誌が、全米100都市の住宅価格の下落率予想を今年と来年に分けて行っておりますので、ご参考までに。

全体をまとめると以下のようになります。(数字は都市数。)

 下落率      2009年  2010年

20%~           9     0
10%~20%未満   40     0
5%~10%未満    11     6
0%~5%未満     38    47
プラス            2    47

      計      100   100

以上、ご覧のように、かなりの都市の住宅価格は2009年末でほぼ下げ止まるようです。

ちなみに、フォーブス誌のワースト25都市の調査では、今年末に底打ちをすると見られている都市が15都市に上っております。最長はフロリダのジャクソンビルの2011年末ですが。

ケース・シラー住宅価格指数は2ヶ月遅れでの発表ですので、来年2月末にはこの事実が広く知れ渡っているでしょう。従って、今年の年末にかけて、底値を狙った不動産買いの動きが業者の間で現れるものと思います。

株式市場は更にそれよりも早く察知して、今年秋頃にはもうすぐ底打ちということで、今の悲観論が後退する可能性があるものと思います。
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