団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

一を聞いて一さえ分からない私がいます。

2020-12-13 02:06:50 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「頭の良さは努力の成果」というタイトルで、14歳の女子中学生さんが投稿されていました。


 私が論語の中で共感した言葉は「生来、人間の能力に大差はない。その後の精進によって、大きな違いが生まれる」だ。
以前私の友達が口にしていたことが脳裏をよぎった。

 その友達は私なんか足元にも及ばないぐらい頭がよかった。
憧れもあって友達をよく「いいよね、頭良くて」と褒めたが、友達はこう言ったのだ。
「人間の脳ってね、皆ほとんど変わらないらしいよ」と。
そこで私はハッとした。

 友達は努力したからこそ勉強の成績がいいのであって、そんな努力も知らず勝手なことを言っていた自分が恥ずかしくなった。
大いに後悔した。

 この体験から私は努力次第で結果が変わること、軽々しく発言してはいけないことが身を持って分かり、肝に銘じた。

 それから友達の言葉をかみしめつつ私は勉強に励んでいる。

  以上です。

 私は学生時代成績が悪いと、努力が足りないんだと思っていました。
今はそうだとは思っていません。

一を聞いて一さえ分からない私がいます。
一を聞いて十を知る者もいます。(論語)

 その差は努力で埋まらないと思います。

 努力不足というのは、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンの名言に騙されているように思います。
中学生の頃、先生にこの名言を教えられ、努力すれば何事も出来るという錯覚を持ってしまいました。

 高校の3年生の時、数三を選択しましたがさっぱり分かりませんでした。
数学の得意な友達に何度訊いてもダメで、何度本を読み直しても問題が解けなかったです。
努力すれば何とかなるなんて、私はその考えに否定的です。

 世の中には努力しなくても、勉強が出来る生徒がいるんです。😅






うれしくてさみしい日|竹内まりや
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする