団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

今のように携帯電話があれば、行き違いはなかったのに。

2020-12-14 03:01:43 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「昭和の人情味 再発見を」というタイトルで45歳の女性が投稿されていました。

 テレビの情報番組を見て現代の若者が「昭和」に関心を持っていることを知った。
レコードジャケットやメロンクリームソーダ、飲食店の壁に張ってある古びたお品書きを、いずれも「エモい」という若者言葉で表現して興じていた。
感情が動かされるという意味らしい。

 思えば私が生まれ育った昭和は友達と待ち合わせするとき、何かトラブルがあってその場所に行けなくなっても、今のようなスマートフォンはなく相手と連絡が取れずに大変な目に遭うことがしばしばだった。

 それに比べて昨今は便利な時代になった分、人同士のつながりが希薄になってきた。

 今回の昭和ブームで人間の持つ温かさや優しさ、強いつながりを見つけ直すきっかけになればいい。


 以上です。


 昭和といっても、昭和は長いです。
昭和の戦前と戦後では様相がまるで違っていたように思います。


 私は戦後生まれの団塊世代です。
振り返ってみると、活気がある時代だったように思います。😀


>思えば私が生まれ育った昭和は友達と待ち合わせするとき、何かトラブルがあってその場所に行けなくなっても、今のようなスマートフォンはなく相手と連絡が取れずに大変な目に遭うことがしばしばだった。


 私も↑の件では苦い思い出があります。
学生時代の友人が英会話学校で知り合った女性を紹介するから大阪の梅田駅で待ち合わせしようと電話がかかってきました。
当時付き合っている女性もいなかったので、喜んで承諾しました。


 私は梅田駅へ行ったことがありませんでした。
大阪へ行ったことさえありませんでした。


 当日の朝 近鉄で梅田駅に行きまして改札口で友人を待っていましたが、約束の時間より一時間ぐらい待っていても来ませんので会うのを諦めました。
梅田周辺のデパートに入って、少し時間を潰し、名古屋へ帰りました。


 後で友人から電話が掛かって来て、どうも待ち合わせの改札口が違っていたようです。😅
今のように携帯電話があれば、行き違いはなかったのに。


 彼は女性二人と何処かへ遊びに行ったようです。
私に紹介するつもりの女性と付き合うようになったと後日彼から聞きました。


 以前ブログに書いたことがありますが、学生時代バイト先で知り合った女性と午後の一時に新宿西口で待ち合わせました。
この時も一時間ぐらい待ちましたが、彼女はやって来ませんでした。


 後で聞きますと、彼女は新宿南口で待っていたとのことでした。
たまにバイトで帰る時間が一緒になると、新宿西口の改札口を利用して一緒に帰ったのに・・・・。


 またいつかデイトをする約束していたのに、彼女はバイト先をやめてしまいました。
その後 彼女がバイト先へ私を尋ねて来てくれたり、電話も一度くれたことがありましたが、彼女をデイトに誘う情熱は消えていました。

 これも今のように携帯電話があればなぁと思ったりします。
まぁ、仕方ないことです。😅


 若かりし頃の良き思い出です。





アンド・アイ・ラヴ・ユー・ソー / ペリー・コモ
コメント (14)
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