団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

自分が幸せなときや、自分が何かに夢中になり、集中しているときは、他人のことが気にならないですよね。

2020-12-18 02:42:12 | 日記
  ネットに下記の記事が載っていました。
難病を患った青年と、医師・海原純子さんが、対話を通して珠玉の言葉を交わされて
います。


入退院を繰り返して8年 それでも自分らしく生きる 悪性リンパ腫の瀬古昴さん
12/14(月) 14:00配信



 「ホジキンリンパ腫」という病名を聞いたことがあるでしょうか。悪性リンパ腫の一種で、リンパ球の中に巨大なリード・ステルンベルグ細胞が増えることが特徴とされています。

 実は、私が医学の学位を取った博士論文のテーマは、この細胞の由来を免疫組織化学で調べるというものでした。当時、ホジキンリンパ腫が重症化することは、極めてまれだったのです。

 ですから、元マラソン選手の瀬古利彦さんを父に持つ昴さんから、ホジキンリンパ種の腫瘍細胞が脳に転移したり、胸椎や腰椎の中に増殖したということを聞いた時には、本当に驚きました。

 昴さんに自覚症状が出たのは、8年前の2012年だそうです。結節硬化型の古典的ホジキンリンパ腫だと診断されて以来、化学療法、骨髄移植、放射線治療と、本当にあらゆる治療をしてきたという感じがします。

 私が昴さんと出会ったのは4年ほど前。かなり体調が良くなり、オプシーボの治療を開始した頃でした。

 「そろそろ寛解かな」と思って、みんなで一緒に食事をしたり、私の仕事のウェブサイトの手伝いを頼んだり、アサーティブ講座という社会人講座のファシリエータ―をお願いしたりしました。

 でも、その後、また腰椎や胸椎に腫瘍が増殖して、新しい治療が必要になって入院となりました。

 ホジキンリンパ種の診断を受けてから、骨髄移植、放射線療法などの治療を受け、何度も命の危機をくぐり抜けてきた昴さんから、お話を伺いました。(聞き手・文 医師・海原純子)

 ◆「脳への転移はショックでした」



 ――「これで寛解か」と思うと、また入院ということが何度もありました。そういう状況を、どうしてそんなに自然に受け入れられるのか、教えてもらえますか。

 12年に胸の痛みと、せきが止まらなくなったのが、最初の症状でした。それから8年、かなりいろいろな治療をやってきました。周りからは「自然に受け入れている」と見えるかもしれませんが、そうでもないです(笑)。

 最初の数年は完全寛解(病気が画像検査上見えなくなること)を目指して、厳しい治療をしましたが、何度治療をしても、完全寛解は一度も得られず、検査で病気が進行していることが分かるたびに、「またか…」という感じでした。

 ただ、オプジーボを使い始めた後は、完全寛解を目指すよりも、副作用と付き合いながら、病気との共存を目指す方向に、僕も主治医も家族も、徐々にシフトしてきたので、ある程度の増悪は、ある意味で織り込み済みになっているという感じです。

 ただ、今年は、想像を超えてきました。年初に脳への転移で、放射線治療をしました。

 昨年末から激しい頭痛に悩まされていたのですが、MRI(磁気共鳴画像装置)検査をしたら、脳に腫瘍があることが分かり…。ホジキンリンパ腫は脳への転移がまれなので、僕自身も想定していなく、ショックでした。

 人生に、こんなことがあるのか、と。そして、放射線治療を1カ月ほど行いましたが、最初の6日間は吐き気、めまいで、ベッドから起き上がれないほど。激烈に辛かったです。

 ――脳への転移というのは、私も聞いたことがないです。

 血液内科の先生方も、誰も想定していませんでしたし、放射線科の先生も、治療の回数を決めるのに論文が2、3本しか見つからなかったと言っていました。

 夏には、肺にカビが生えてしまい、3カ月入院。せきとたんに苦しみ続け、抗生剤も抗真菌薬も、なかなか効かず、諸事情でコロナ病棟に入ってしまったり。

 先が見えない中で、正直「死んだ方がマシ」「今夜寝たら、もう目覚めたくない」などと思っていました。うつ病直前だったかもしれません。

 それが終わったと思ったら、首のリンパ節がどんどん腫れてきて、再び放射線治療。これはスムーズに治療が進み、10月末には退院できましたが。

 喜ぶのも、つかの間、11月には肺のカビが再発し、現在もせきとたんと付き合いながら、自宅で治療中という感じです。

 東京オリンピックは延期になりましたが、僕の2020年は、オリンピック状態になってしまいました。早く閉幕してほしいです(笑)。

 今年は治療8年目になりますが、「死にたい」と思ったり、心が折れかけるのを感じたのは、初めてでした。特に、この夏の肺炎で、治療をしても全く効果がない、先が見えず、ただ苦しい日々が続くだけ…という状態が、かなり精神的にダメージでした。

 それを乗り越えられたのは、母が叱咤(しった)と激励をくれていたこともありますが、自分の運命とか、人生の大きな流れを、どこか信じているところがありまして。

 今は苦しくても、最終的には、必ず良い場所に連れて行ってくれる。良い状況になる。そう信じて、乗り越えているところがあります。

 ◆ユーモアの力



 ――昴さんの「きゅうり日記」というブログ、面白いです。おばあさまとの会話が何か、とても笑えるんです。

 86歳の祖母がいまして、10年くらい前から認知症なんですけれど、以前と比べると、よく笑うようになり、本当に幸せそうなんです。

 以前は、小さいことを気にするタイプだったのですが、忘却の効用とでも言うのでしょうかね。そんな祖母との会話をブログやインスタグラムに投稿しています。

 祖母はとにかく、何でもすぐ忘れるので、クイズを出すと、予想外の答えが帰ってきたりして、ツッコミがいがあり、とにかく笑えるんです。それをブログに書いていました。

 確か、16年の米大統領選の時は、「ヒ」が付く候補者(ヒラリー)は誰か、というクイズを出して、「ヒンディー」だの「卑弥呼」だのと答えてきたり。

 対抗の「トラ」が付く人(トランプ)は誰か、と聞いたら、「トラウマ」だの、「トラジディー」だの、「寅次郎」だのと答えてきて。それにツッコミを入れつつ、僕も爆笑しました。

 ――ユーモアは病気を乗り切るのに非常に有効というデータがあるんですよね。おばあさまとのこうした会話は、昴さんにとって、どんな時間なんですか。

 祖母との会話は、僕にとって宝物のようなもので、この治療生活8年の間、どれだけ笑顔をもらって、癒やされたか分かりません。家族みんなが祖母から笑顔をもらっています。

 入院している時も、1日に3、4回は祖母に電話をしていました(笑)。祖母は毎回、忘れるので、「久しぶりね」みたいなリアクションを取るんですけど。顔を笑顔にすると、幸せになるホルモンが出るとも言いますしね。

 ◆他人をうらやむ心




 ――元気で遊んだり、仕事してる人に対し、怒りとか感じませんか。私なら、自分だけ不幸な目に遭っていると思って、毎日「悔しい!」と文句を言いそうですが。

 うーん、たぶん感じていますね。例えば、友人が子どもの写真をフェイスブックにあげているのを見ても、100%純粋に「いいね!」と思えなかったり。自分でも、すごく小人物だな、と思いますが。

 14年、骨髄移植の時に、強い化学療法で、恐らく精子がつくれなくなると医師に言われ、精子保存をしました。

 今も、自分の精子が復活しているのかは分からないのですが、その頃は「健康で、子どもをつくって、家族をつくる未来」しか、イメージしていなかったので、当時の僕には、かなりショックな出来事でした。

 すごく無い物ねだりなんですが、「友人たちよ、家族の写真をあげて喜んでるけど、家族をつくれない人の気持ち考えたことある?」って、言いたくなってしまったり(笑)。

 なので、情報を遮断して心を楽にするために、フェイスブックのアカウントを消したりもしましたね。あれはスッキリしました。ただ、今はだいぶ、心の整理がついているので、ストレスは少ないです。

 ――情報を遮断するというのは、余計なことを心からシャットアウトするということかもしれませんね。そして、自分の心の中に目を向けることになるのでしょうね。そうしてしまうと、人をうらやましいと思ったり、自分を他の人と比較することはないのでしょうか。

 あります。結婚、恋愛。後は、健康な肺を持って、自分の足で歩けている人。キラキラ働いてる人。やっぱりうらやましいです。

 自分も恵まれている部分がたくさんあるし、みんな、それぞれに違った苦労をされているんだ、と頭では分かっているのですが、うらやましさは感じてしまいます。

 ――そうですよね。頭では分かっても、受け入れるのは、難しいことだと思います。うらやまし時、どうやって心を立て直すのですか。昴さんは、生活の中で、できることを見つけて、楽しんでいるように見えます。

 どうなんでしょう。「うらやましい」と思うことはあるのですが、あまりその感情が長続きしないんです。すぐ忘れます。

 自己分析してみても、よく分からないのです。なぜなのか。逆に、純子さんにお聞きしたいです。「うらやましさ」が続く人と、続かない人に、傾向の違いというのは、あるのでしょうか。

 ――性格というより、なぜ人がうらやましくなるのかという状況の分析と対応が差になるのだと思います。自分が幸せなときや、自分が何かに夢中になり、集中しているときは、他人のことが気にならないですよね。自分が幸せではないとき、人がうらやましくなるわけです。私も、人がうらやましくなるときがあるんですけど、そういうときは、「自分を幸せな気持ちにしよう」と、自分をいたわることに目を向け、それから、何かに没頭して集中するんです。私の場合、何かを研究したり、原稿を書いたりしていると、集中して、うらやましい気持ちを忘れていることがほとんどです。うらやましいという気持ちに集中していると、ますますつらくなるから、そこから離れて、集中できることに視点を変えるのが役立ちます。昴さんは、書くことなどに集中しているのかもしれませんね。

 自分を楽しくさせることは、たくさんあります。文章を書くこと、音楽を聴くこと、家族と話すこと、おいしいコーヒーをいれて家族で飲むこと、マンガを読むこと、筋トレして体重を増やすこと、祖母をからかうこと(笑)。

 骨髄移植の合併症で、肺や目の障害があるので、健康な時と全く同じように楽しむことはできませんが、何とか工夫して…。やりたいことの数に対して、体力が追いつかないな、悔しいな、という感じです。

 ◆書くことはレジリエンスの力
 ――昴さんは、ブログなどで原稿をたくさん書いてますね。書くことは、自分の考えや自分の感情を客観的に見ることになるのですが、ご自身では、書くことに、どんな意味があると思いますか。

 これまで書いてきた原稿をまとめ、発売日は未定ですが、文藝春秋から本を出させていただくことになりました。ブログや本で挑戦したかったのは、まさに「自分の経験を客観視して、笑いに変えることで乗り越える」ということでした。

 世界の喜劇王、チャーリー・チャップリンの言葉で、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」というのがあるのですが、僕の経験上、確かに、その時は辛くても、あとから振り返ったり、俯瞰(ふかん)的に見てみると、人の動きや心の動きは、まるでコントのようだったりするんです。

 なので、そこの登場人物、主に自分ですが、それにツッコミを入れていって、笑いに変えるという作業ですね。トラウマのような出来事でも、笑い話にできたとしたら、自分の中で消化できたと言えるんじゃないかと思ったんです。

 結果的に、全てのつらい経験を消化できたわけではありませんが、書くことを通して、4割くらいは、辛さを軽減できたかもしれないな、と思っています。

 ――ご自分の体験から気が付いたことや、家族との関わりについて書かれたんですね。タイトルは「がんマラソンのトップランナー 伴走 ぶっとび瀬古ファミリー」と聞いています。ご家族の話もたくさん登場しそうですね。楽しみに待っています。最後に、昴さんが大事にしていることは、どんなことですか。

 精神的に成長することです。今年の自分より、来年の自分は、人間的に大きくなっていてほしい。サボってしまうことも、たくさんあるのですが、らせんを描くように成長していきたいです。

 【取材後記】
 日常生活に制限がある暮らしの中で、喜びを見つけていくのは大変なことだと思います。8年の間、体調が許すわずかな時間の中で、ひとの手助けをしたり、原稿を書いたりしている様子を聞くたびに、心からすごいと思わずにいられません。

 瀬古 昴(せこ・すばる)
 1986年、東京都生まれ。大学ではあまり勉強せずにエコ活動を行い、卒業後1年間会社で働いた後、「ピースボート 地球一周の船旅」に参加。帰国1年後の2012年に悪性リンパ腫の一種である結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫を発症。数々の化学療法、弟をドナーにした骨髄移植、免疫療法薬オプジーボなどの治療を経験するも、一度も病気は消えず、現在も副作用や合併症と付き合いながら治療を続けている。父は元マラソン選手の瀬古利彦。大好きなのは、コーヒー、文章を書くこと、お笑い、音楽、Mr.Children。





さだまさし「主人公」( 「新自分風土記Ⅰ~望郷篇~」収録音源バージョン)




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