団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

じーっとなにもできないでいる時間だって、本当は味わい深いものかもしれないかもしれませんね。

2022-03-21 00:57:56 | 日記
 中日新聞の連載物「柴犬フランス歩記」今回は「空白は耐えられない」というタイトルで、浅野素女(あさの・もとめ=フリージャーナリスト、指圧施療師)さんが書かれていました。


 私の小さな指圧施療室にやってくる人たちの中で、長引くコロナ禍に一番まいっているのは、意外にも七十代半ば、学生運動の世代ではないかという気がする。

 あくまで私個人の見解ではあるが。

 ジャンヌもその一人。

 悲壮な顔でため息をつく。

 「そりゃあストレスよ。私くらいの年齢になって一年とか二年がムダになるって、とっても大きなことなのよ!」

 この世代の人たちはとにかく活動的な人生を送ってきた。

 女性解放の波に乗って、夫と対等に仕事をこなし、社会的地位を築いてきた。

 さらに定年後は、社会に貢献するさまざまな活動をこなしている。

 天体学を教えてきたジャンヌの場合は専門雑誌の編集にボランティアで参加、ほかにもアフリカで看護師を養成する市民支援団体を運営、近郊の農家を支える団体でも活躍している。

 バカンスともなれば、夫と知らない国へ出かける。

 訪れたことがない国の方が少ないのではないかと思われる。

 これほど活動的な人にとって、コロナで行動を制限されるのは、まるで猿ぐつわをはめられたような圧迫感だろう。

 迫る老いがいっそう焦りをあおる。

 「ジャンヌ、ちょっと腕の力を抜いてみて。そんなにいつも力を入れているから、ほら、こんなに背中がガシガシ」

 そう言っても力が抜けない。

 ある意味で、行動のみに意味を見出してきた世代の人だから、「空白」は耐えられない。

 私は彼女の背に手を置き、心の中で言ってみる。

 「じーっとなにもできないでいる時間だって、本当は味わい深いものかもしれないよ」

 声に出して言うのは、施療で体がほぐれたころ、もう少し後になってから。

 以上です。

 なるほど、じーっとなにもできないでいる時間だって、本当は味わい深いものかもしれないかもしれませんね。

>「そりゃあストレスよ。私くらいの年齢になって一年とか二年がムダになるって、とっても大きなことなのよ!」

 私はジャンヌさんほどの活動的な人生を送っていませんが、このコロナ禍で二年以上無為にすごす以外なかったのは残念だと思っています。

 残りの健康人生がほとんどありませんので。




御三家「橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦」★G3K・青春ヒットパレード★PART2
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風呂桶

2022-03-20 01:08:32 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「家族の一員 大切に長く」というタイトルで、50歳の女性が投稿されていました。

 一月十四日付本欄「嫁入り道具に思い入れ」を読み、二十二年前の自身の結婚時を思い出しました。

 投稿者宅では三十年以上前に買い揃えた嫁入り道具のうち最後まで残ったコーヒーメーカーがついに動かなくなったそうです。

 テレビや冷蔵庫は調子が悪くなるたびに買い替えてきました。

 長く毎朝の夫婦の生活を支えてくれたコーヒーメーカーはいつしか家族の一員に思えるようになり、実家への感謝もよぎって新品にする気は薄れたとつづっていました。

 わが家の場合、自分たちでそろえた家電は壊れたものから一新していきました。

 今も現役なのは結婚祝いとして友人からもらった体脂肪計、ホットプレート、コーヒーメーカーの三つです。

 体脂肪計は今でこそさまざまな種類がありますが、昔は珍しく一日に何回も乗っては「食べ過ぎたかな」と一喜一憂しました。

 ホットプレートでは焼きそば、焼きうどん、お好み焼きなどを作っており家族の胃袋を長年支えてくれました。

 コーヒーメーカーはわが子三人の育児で使わなくなった時期もありましたが、子どもたちも大きくなったので、また夫婦でコーヒーの香りと味を楽しみたいな。

 投稿者が指摘したように家電機器が「家族の一員」というのもうなずけます。

 これからも大切に使う所存です。

 以上です。


 嫁入り道具ですか。

 名古屋は嫁入り道具が派手です。

 うちのかみさんも嫁入り道具を家に一式飾り、ご近所さんに見てもらったようです。

 親が自慢したいんでしょうね。

 これだけの嫁入り道具を準備したんだと。

 今でもかみさんが持って来て活用しているものは、三面鏡、洋服箪笥、和箪笥二本があります。

 あと風呂桶があります。





 これが丈夫で四十八年間も使っています。

 どこも悪くなっていませんので、まだまだ使えそうです。😁




綺麗な人は幾つになっても綺麗 1975→現在(2018) 岡田奈々
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投稿者さんは、とても母親思いのお方ですね。

2022-03-19 00:29:49 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「二歩と三歩と」いうタイトルで、68歳の男性が投稿されていました。

 去年の十一月、夕方に仕事から帰ると、居間の入り口で母が横になっていた。

 「衛、足が動かなくなっちゃったよ」

 「ええっ?」。

 私は驚いた。

 母は九十一歳である。

 「医者に行くか?」

 「あたしゃ、医者は嫌だよ」。

 母は医者はあまり好きではない。

 脚を触ると検討がついた。

 「おっ母、筋肉がないぞ」。

 夏の暑さで出歩くことがなくなり筋肉が衰えたのだった。

 仕事から戻ると、母の足首を持ち屈伸運動などの筋トレをする毎日が続いた。

 二十日ほどで筋力は回復した。

 私はウォーキングが日課となっている。

 母にも勧めていたが「家事をしているから」と言って、歩くことはなかった。

 今年の九月に聞いたら、一人で出るのは心細いということが分かった。

 それから母を連れて川沿いの遊歩道の散歩に出ることにした。

 十一月になって腰の痛みがなくなった。

 何より嬉しかったのは、おっ母に笑顔が戻ったことだった。

 人は年を重ねると気苦労が多くなる。

 母にも思うところがあり、ふさいでいることがあった。

 そんなおっ母がご飯を美味しそうに食べる。

 散歩に出る。

 私の二歩の歩みが、おっ母は三歩である。

 私の腕にもたれるように、つかまりながら歩く。

 いじらしい気持ちになる。

 以上です。

 投稿者さんの親子関係は素晴らしい!

 仲がいいですね。

 投稿者さんは、とても母親思いのお方ですね。

 コロナ禍になって、毎日テレビ体操はかみさんとやっていますが、ウォーキングはほとんどしません。

 かみさんから一緒に歩こうと言われても足の親指の爪が黒にえて痛いと言って歩いていません。

 足の筋肉が衰えているのは間違いないので、少しでも歩くようにしなければとこの投稿文を読んでそう思いました。




ただお前がいい 中村雅俊
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パンのでるげつようびは、ぜったい学校を休まないようにしなくちゃとおもいました。

2022-03-18 02:08:03 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「きゅうしょく たのしみ」というタイトルで、小学1年生の女の子が投稿されていました。


 1年生のさいしょはおかあさんなしであるいて学校へ行くのなんていやだったけれど、おなじぶんだんのおにいさんがやさしくしてくれたので、すぐにへい気になりました。

 きゅうしょくがはじまると、たのしみになりました。

 ようちえんのときはパンはなかったけれど、小学校ではあります。

 おいしいです。

 パンのでるげつようびは、ぜったい学校を休まないようにしなくちゃとおもいました。

 もう二つ、ようちえんのときはでなかったのがあります。

 ラーメンとうどんです。

 めんがふくろにはいっているので、じぶんでしるの中にいれてつくります。

 その日のこんだてひょうには、いろえんぴつでまるをつけました。

 まい日ぎゅうにゅうがでます。

 ストローでのめるのがうれしいです。

 たまにはようちえんにもどりたくなるけれど、学校もたのしいです。


 以上です。

>パンのでるげつようびは、ぜったい学校を休まないようにしなくちゃとおもいました。 

 かわいい!😁
パンが美味しいんだ。

>おなじぶんだんのおにいさんがやさしくしてくれたので、すぐにへい気になりました。

 私もご近所の6年生の男の子に1年間学校へ連れて行ってもらいました。

 床屋さんのご子息でしたので、修行後跡を引き継がれました。

 私も大人になってから一度髪を切ってもらいました。

 感慨深かったです。

 
>もう二つ、ようちえんのときはでなかったのがあります。
 ラーメンとうどんです。

 私たちの小学校の給食にうどんはあったようにおもいますが、ラーメンはありませんでした。

 ラーメン好きな私は羨ましいです。

>まい日ぎゅうにゅうがでます。
 ストローでのめるのがうれしいです。

 これも羨ましいです。
私たちの牛乳の代わりに出る脱脂粉乳は、不味くて飲める代物でなかったです。
何しろ家畜の餌ですから。

 栄養はあったでしょうが、気持ち悪いしまずい!
あんな物を飲ませられたので、牛乳嫌いになってしまいました。
 






中村雅俊「心の色」昭和57年
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<道草のすすめ> 心をなくした教師 香嵐渓から教わった

2022-03-17 00:18:10 | 日記
<道草のすすめ> 心をなくした教師 香嵐渓から教わった
2022年3月15日 



 不登校の小中学生を対象にしたフリースクール設立を目指す元教師がいる。

 部活の指導や授業の準備などに追われ、心身のバランスを崩した愛知県豊田市五ケ丘の信田(のぶた)雄一郎さん(35)。

 「忙しいの『忙』という字のとおり、心をなくしていた」。

 立ち直って新たな道に歩みだしたきっかけは、それまで見向きもしなかった身近な自然だった。

 川のせせらぎに耳を澄ませる。森の空気を吸い込む。

 「やっぱり空気がおいしい。酸素が多い感じがする」。

 信田さんにとっての再生の地は、紅葉の美しさで知られる香嵐渓(豊田市足助町)。

 月に一、二回、自宅から三十分ほど車を走らせて訪れる。

 ベンチに腰掛けて缶コーヒーを飲んだり、気に入った景色をスマートフォンで撮影したり。散策路を踏み締める音が心地よい静かな空間に身を置く。

 教師時代は、こうして自分を見つめる時間を持つことはなかった。

 「少しでも生徒を直接指導する方がいい」と走り続け、気が付けば心も体も追い詰められていた。

 大学卒業後、二〇〇九年に地元の豊田市内の中学校で教壇に立った。

 顧問としての野球部の指導、授業のための資料づくり、行事の準備…。早朝に出勤して日付が変わるころまで働く毎日だった。

 土日も部活の練習や試合でほとんど休めない。それでも「長く働くことが子どものためになる」と考え、疑問は持たないようにしていた。

 六年ほどたつと心身に異常が生じた。

 せきが止まらない。体がしびれる。気持ちの浮き沈みもあり、休んでは復職するという繰り返しになった。

 そんなころ、「体を休めるために、自然豊かな所で心を安らげては」と家族に言われ、香嵐渓に一人で足を運ぶように。

 それまで両親に連れられて行くことはあったが、自分の意思では初めてだった。

 山道をあてもなく歩いてドングリや葉っぱを拾い、川沿いのカフェでコーヒーを飲む。空気を吸うと、こわばった心がほぐれていくような感覚があった。

 立ち止まって自然に身を委ねる。ずっと無駄だと思っていた寄り道をすることで、信田さんは徐々に元気を取り戻していった。

 不登校の問題に目を向けるようになったのは、自らが苦しんだ学校の在り方に疑問を感じ、「子どもたちも無理をしているのではないか」と考えたから。

「勉強と部活だけの生活、学校と家の往復じゃなくて、いろんな経験をしてもらいたい」。

 二〇年に退職してフリースクールの設立に動きだした。

 好きな本をゆっくり読む。

 社会人の仕事を体験して幅広い世界や価値観に触れる。

 点数や偏差値に直接結び付かなくても、フリースクールでは「そういうことを大事にしたい」と青写真を描く。

 場所は豊田市中心部に決まった。オープンは今秋を予定している。 (吉光慶太)

 以上です。


>立ち止まって自然に身を委ねる。ずっと無駄だと思っていた寄り道をすることで、信田さんは徐々に元気を取り戻していった。

 自然の力って素晴らしいですね。

 心が元気になるんだ。

>不登校の問題に目を向けるようになったのは、自らが苦しんだ学校の在り方に疑問を感じ、「子どもたちも無理をしているのではないか」と考えたから。
「勉強と部活だけの生活、学校と家の往復じゃなくて、いろんな経験をしてもらいたい」。

 学校の在り方って、先生だけではなく生徒たちの心も蝕んでいるかも知れませんね。

>好きな本をゆっくり読む。
 社会人の仕事を体験して幅広い世界や価値観に触れる。
 点数や偏差値に直接結び付かなくても、フリースクールでは「そういうことを大事にしたい」と青写真を描く。

 こんなスクールで学びたいですよね。
人生って、点数や偏差値よりも大切なことがありますから。
不登校の生徒さんたちが、少しでも減ればいいですね。
この先生なら期待出来ると思います。





ふれあい 中村雅俊
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