風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

東松山~吉見百穴を歩く

2010年04月14日 | ウォーキング
4月14日

昨日訪れたのだが、カメラの電池がすぐ切れ、あちこち見ないで帰ってしまい、4月14日再訪した。
鴻巣駅からバスで大沼と言う所まで行き[390円]、そこから歩いた。
鴻巣駅はすっかっり変容していてびっくりした。
以前は駅前が狭くバスの乗り入れが出来ず、駅舎も古くまさに田舎の駅だった。
新しい駅前は広いロータリーになり、バス停が4つもあり、ショッピングモールも出来ていた。
運転免許所の更新は以前は鴻巣に来る人も多かったのだが、更新システムが変わったので、
更新のための鴻巣駅利用者は減ったのではないだろうか。

鴻巣駅を出てしばらくすると、荒川にぶつかる。
「川幅日本一の看板」が立っていた。2537mあるという。
もちろん水の流れている幅ではなく河川敷の幅で、道路は一直線だった。

長源寺                                本尊・薬師如来[本堂は開放されていた。]
 

龍性寺                                弁財天堂
 

この一帯はすっかり農村地帯で、吉見百穴への道は野道であった。
 

吉見百穴
明治時代になって、古墳時代後期(7~8世紀)の群集墳墓であることが分かった。219個ある。[300円]
 

                                    自生しているというヒカリゴケ[赤枠内・写真では分からないが]
 

中島飛行機の軍需工場跡 
 
昭和20年に入り、中島飛行機が地下軍事工場を造ったという。
その労働力は強制連行された朝鮮人3000~3500人であったという。

資料展示館
 
子規の句碑があった「神の代はかくやありけん冬籠もり」
 
トルコカッパドキアの奇岩に少し似ている。


岩室観音堂
 
四国88札所
 
  

當選寺[廃寺になっているようだ] 虚空菩薩             尊神堂
 

松山城趾[赤枠は百穴]~城垣等は全く残っていない。上には神社があった様だが今はない。
前方は川が流れ、天然の堀だ。小高い丘だがあたりを一望でき城の立地が頷ける。
 

妙賢寺                                浄行菩薩
 

浄福寺
 

曹源寺
 

八雲神社[江戸末期19世紀中頃の彫刻という]         松山神社[左は大鳥神社]
 

福聚寺
 

なんじゃもんじゃの木                        宇迦之魂神社[箭弓稲荷神社の隣]
 

箭弓稲荷神社
 

牡丹園[箭弓稲荷神社に隣接]~まだ蕾であった。
  

東松山は埼玉県のほぼ中央にあり、荒川が流れている。
関東では、利根川・荒川の影響がとても大きいと思う。
吉見百穴、岩室観音堂の存在は知らなかった。
特に大きな観光地ではないが見応えがありました。
日本にこのような群集・横穴墳墓があったとは知りませんでした。
スケールは比較で出来ない大きさですが、トルコのカッパドキアを思い出しました。
松山城趾は石垣や建物跡は残っていませんが、昔城だったと言われると色々想起されて、想像力が膨らみます。
決して大きく、高い山ではないが険しい斜面で、川が蛇行して城の半分を取り巻き天然の堀となっています。
頂上からは百穴が見え、岩室観音堂が隣接しています。頂上付近の木々が伐採されていて市内がよく見えます。

昨日は夏のように暑く、今日は風が少し冷たかったが暖かで上着は不要でした。
私は花に特別の関心はないが、牡丹園は咲いていると思っていたので、咲いていずちょっと残念でした。
牡丹園は決して広いとは言えないが一斉に咲くと綺麗だろうな。

お寺ではほとんど人に会いませんでした。
城跡は誰もいませんでした。
町中や畑道でも人数は少なかった。

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