奥飛騨・白川郷を歩く[続き]②
相応院
からくり人形獅子会館
豊明組保存区域:[左]吉島家住宅、 [右]日下部民芸館
瑛芳寺
高山別院[左]・ [右]高山別院門
白川郷
白川郷観光協会HPより転載、81番が神田家
展望台から白川郷を臨む
荻町城跡(展望台)まではシャトルバスで[200円5分]
白川郷から展望台を臨む[赤丸で囲ったところが展望台]
和田家
神田家[入場料300円][左]・ [右] 横から見たところ
[左] 二階 [右]女性は、ガイド~駒尻=屋根を支える材で強風や地震の影響を分散させる
[左] 屋根など構造の説明 [右] 火見窓中二階にある小部屋から一階いろりの火を用心するための小窓
[左] 四階の小窓から稲架倉(はさぐら)を臨む=北側、[右] 南側
秋葉神社[この先は、であい橋]
であい橋[下は庄川、右が白川郷、左は案内所など白川郷入り口]
合掌造り民家園
焔仁美術館
これで見学は終わり、バスで北陸自動車道・上信越自動車道を通り、上田に。
そこから21時13分の長野新幹線。
本当なら、行きは新宿から中央線で塩尻に行き、帰りは直江津から上越新幹線を使った方がはるかに早いのだが、それが出来ないのは、交通費がかかりすぎてしまうからだ。
これだと、おそらく交通費は1万5千円以上になってしまうだろう。
長野新幹線だけだと1万円ほど、団体割引やその他の割引で実際はもっと安くなるだろう。
このツアー料金は一人2万2千円。
で、交通費を抑えるには、バスで移動・新幹線は早く遅い時間・阪急の他のツアーと一緒の電車を使用するなど工夫と我慢が必要というわけ。
バスに乗った距離は、一日目が350km、二日目が400km。
だが、不思議に疲れなかった。
それは交通量が少ないこと、運転手の運転がとても上手いこと、多くの場所を見ないこと、散策は団体行動でなく自由で自分の計画・ペースで回れることなど、によるのだろうか。
だが、やはり時間が足りないので有料の施設の多くは入ることが出来ず素通り、は残念。
ゆとりとお金は比例する、かな。
食事は豪華ではなかったが、私達には多すぎずそれで良かった。
この旅行で訪れた、飛騨古川・飛騨高山・白川郷はいずれも古い街であった。
展望台からの白川郷の鳥瞰は予想以上の美しさで、写真でもその雰囲気は十分伝わる。
安いデジカメだが、良い写真が撮れた。
茅葺き屋根は日本ではかつてはそんなに珍しくはなかった。
だが、白川郷は木造の3階・4階建て、屋根が60度の切り妻、である。
一軒の広さは昔の農家ではそうであったろうかと思われる広さと思う。
白川郷の屋根葺きは“結い”がなければ金がかかりすぎ伝承・維持されて来なかったろう。
“結い”の気持ち・感情・生活の様式は今日の日本では極めて珍しくなった。
だが、私には“結い”は面倒で煩わしい、そのつきあいは息苦しい。
結いに参加しない場合は、「村八分」されるのだろう。
古川も高山も古い町並地区だけでなくその周辺もかなり住宅は工夫されていたように思う。
条例による規制なのかはわからないが、壁や屋根は極端な色を使わない、近代・現代的デザインを取り入れない、高層ではない、周りの風景・住宅に合わせるなどの工夫と努力がいろんなところでされているように思えた。
だが、そうした要請がぬるかった時代に建て替えられたと思われる建物も中には、少しあって、それだけが妙に場違いで浮き上がっている。
現在にいたっては、伝統的町並を残すための不便・我慢の方がはるかに自分たちにも都合が良く、利益になると共通の思い・感情になっているのだろう。
そこまで人々の気持ちが成るにはどんな人のどんな試みがあったのだろうか。
だが、昔の家は本当に寒かったろうとつくずく思う。障子一枚の向こうは外で、しかも豪雪地で、冬場は二階から出入りすることもあるというのだから。
寒がりの私はとうてい住めないと思った。
また、いろりで火を焚いていたが煙が家中に充満し、息苦しくもあった。
その煙が家を長く保存させるそうではあるが。
気になったのは、道路脇の用水・小川、所々覆われていない、
子どもは酔っぱらいは落ちないのだろうか、不思議だった。
一方、泊まった新平湯温泉は観光客は見なかった。
廃業・廃屋になっている旅館もいくつかあり、車もほとんど通らなかった。
「ひなびた」と言う感じではなく、過疎という寂しさを感じた。
総じてとても満足した旅であった。
個人で、もう一度ゆっくり訪れたいが、おそらくその時は無いだろうな。
山には雪・雪渓があちこちかなり残っていた。
夕食は松代PAで取るようにと添乗員から言われた。
どうして上田駅で夕食にしないのかと思ったが、20時半頃上田駅についてわかった。上田にはJRの在来線はなく、私鉄の上田電鉄別所線があるだけ、駅ビルは小さく、店の多くはすでに閉まっていて人影はほとんどいないのである。
ここでは、時間調整をかねた食事・買い物は無理なのだ。
新幹線駅内には小さな売店があるだけで、改札前に入れてもらったら閉店は20時40分とのこと。
あわててウィスキーとつまみを買った。
相応院
からくり人形獅子会館
豊明組保存区域:[左]吉島家住宅、 [右]日下部民芸館
瑛芳寺
高山別院[左]・ [右]高山別院門
白川郷
白川郷観光協会HPより転載、81番が神田家
展望台から白川郷を臨む
荻町城跡(展望台)まではシャトルバスで[200円5分]
白川郷から展望台を臨む[赤丸で囲ったところが展望台]
和田家
神田家[入場料300円][左]・ [右] 横から見たところ
[左] 二階 [右]女性は、ガイド~駒尻=屋根を支える材で強風や地震の影響を分散させる
[左] 屋根など構造の説明 [右] 火見窓中二階にある小部屋から一階いろりの火を用心するための小窓
[左] 四階の小窓から稲架倉(はさぐら)を臨む=北側、[右] 南側
秋葉神社[この先は、であい橋]
であい橋[下は庄川、右が白川郷、左は案内所など白川郷入り口]
合掌造り民家園
焔仁美術館
これで見学は終わり、バスで北陸自動車道・上信越自動車道を通り、上田に。
そこから21時13分の長野新幹線。
本当なら、行きは新宿から中央線で塩尻に行き、帰りは直江津から上越新幹線を使った方がはるかに早いのだが、それが出来ないのは、交通費がかかりすぎてしまうからだ。
これだと、おそらく交通費は1万5千円以上になってしまうだろう。
長野新幹線だけだと1万円ほど、団体割引やその他の割引で実際はもっと安くなるだろう。
このツアー料金は一人2万2千円。
で、交通費を抑えるには、バスで移動・新幹線は早く遅い時間・阪急の他のツアーと一緒の電車を使用するなど工夫と我慢が必要というわけ。
バスに乗った距離は、一日目が350km、二日目が400km。
だが、不思議に疲れなかった。
それは交通量が少ないこと、運転手の運転がとても上手いこと、多くの場所を見ないこと、散策は団体行動でなく自由で自分の計画・ペースで回れることなど、によるのだろうか。
だが、やはり時間が足りないので有料の施設の多くは入ることが出来ず素通り、は残念。
ゆとりとお金は比例する、かな。
食事は豪華ではなかったが、私達には多すぎずそれで良かった。
この旅行で訪れた、飛騨古川・飛騨高山・白川郷はいずれも古い街であった。
展望台からの白川郷の鳥瞰は予想以上の美しさで、写真でもその雰囲気は十分伝わる。
安いデジカメだが、良い写真が撮れた。
茅葺き屋根は日本ではかつてはそんなに珍しくはなかった。
だが、白川郷は木造の3階・4階建て、屋根が60度の切り妻、である。
一軒の広さは昔の農家ではそうであったろうかと思われる広さと思う。
白川郷の屋根葺きは“結い”がなければ金がかかりすぎ伝承・維持されて来なかったろう。
“結い”の気持ち・感情・生活の様式は今日の日本では極めて珍しくなった。
だが、私には“結い”は面倒で煩わしい、そのつきあいは息苦しい。
結いに参加しない場合は、「村八分」されるのだろう。
古川も高山も古い町並地区だけでなくその周辺もかなり住宅は工夫されていたように思う。
条例による規制なのかはわからないが、壁や屋根は極端な色を使わない、近代・現代的デザインを取り入れない、高層ではない、周りの風景・住宅に合わせるなどの工夫と努力がいろんなところでされているように思えた。
だが、そうした要請がぬるかった時代に建て替えられたと思われる建物も中には、少しあって、それだけが妙に場違いで浮き上がっている。
現在にいたっては、伝統的町並を残すための不便・我慢の方がはるかに自分たちにも都合が良く、利益になると共通の思い・感情になっているのだろう。
そこまで人々の気持ちが成るにはどんな人のどんな試みがあったのだろうか。
だが、昔の家は本当に寒かったろうとつくずく思う。障子一枚の向こうは外で、しかも豪雪地で、冬場は二階から出入りすることもあるというのだから。
寒がりの私はとうてい住めないと思った。
また、いろりで火を焚いていたが煙が家中に充満し、息苦しくもあった。
その煙が家を長く保存させるそうではあるが。
気になったのは、道路脇の用水・小川、所々覆われていない、
子どもは酔っぱらいは落ちないのだろうか、不思議だった。
一方、泊まった新平湯温泉は観光客は見なかった。
廃業・廃屋になっている旅館もいくつかあり、車もほとんど通らなかった。
「ひなびた」と言う感じではなく、過疎という寂しさを感じた。
総じてとても満足した旅であった。
個人で、もう一度ゆっくり訪れたいが、おそらくその時は無いだろうな。
山には雪・雪渓があちこちかなり残っていた。
夕食は松代PAで取るようにと添乗員から言われた。
どうして上田駅で夕食にしないのかと思ったが、20時半頃上田駅についてわかった。上田にはJRの在来線はなく、私鉄の上田電鉄別所線があるだけ、駅ビルは小さく、店の多くはすでに閉まっていて人影はほとんどいないのである。
ここでは、時間調整をかねた食事・買い物は無理なのだ。
新幹線駅内には小さな売店があるだけで、改札前に入れてもらったら閉店は20時40分とのこと。
あわててウィスキーとつまみを買った。