まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

のと鉄道に沿って~能登旅行記・4

2007年05月10日 | 旅行記D・東海北陸

4月28日から続いたオリックス・バファローズの「連敗街道」。それが10まで伸び、さてこれからどうなるのかと思っていたら9日にようやくストップ。いつしか獅子のしっぽどころかイヌワシの翼まで遠くなってしまったが、これからボチボチ調子を取り戻すか。その意味では、川越が投げて、ラロッカ、ローズが打って勝ったのは今後につながりそう。一方で、同じ関西の虎の球団は9連敗・・・。まあ、こちらの球団が20連敗でも30連敗でもどんどん負け続けてくれたほうがうれしいのだが。

・・・・話をGWの旅行記に戻す。

5日朝8時にチェックアウト。「お早いお発ちで」と送られる。確かに、この時間になっても浴衣姿でのんびりしている宿泊客がほとんどだから、確かにお早いのだろう。朝食つきのシティホテルで8時、ビジネスホテルなら7時前(時には6時前)の出立は当たり前なのだが、そのあたりが大きな観光ホテルならではだろう。

P5041876これから能登の東海岸に沿って、最先端の禄剛崎を目指すのだが、「お早いお発ち」とあってクルマの数はほとんどない。途中、穴水で「ボラ待ちやぐら」を見る。波もほとんどなく、海というよりは湖に接しているかのようだ。同じ能登といっても外と内で海岸の表情が異なり、それは気質の違いにも出るのではないかという気がする。

穴水からは、2005年に廃線となった、のと鉄道の能登線に沿って走る。幸いにして?私の乗っているレンタカーに備え付けのカーナビは、昨日走った穴水~輪島間の線路は表示されないが、この能登線の線路は表示され、目的地に駅も指定できる、という時期のもの。クルマを走らせていても、「これは線路の路盤だな」と感じられるものがあれば、果たしてそれはのと鉄道の跡である。

P5051890こちらはまだレールや施設の撤去が完全に行われておらず、こんな感じで駅のホームや路盤がそのまま残っていたりする。何だか妙な感じだ。撤去作業が進んでいないのは、費用がないのか、ややもすればこれを元手にまた列車を走らせようとする意図が隠れているのか。

単調に国道を行くだけなのかと思っていたが、この廃線跡のおかげで、ドライブに楽しみができた。そうするうちに海岸沿いに出る。能登線にも一度乗ったことがあるが、こんな風景だったかなと改めて感心する。

P5051897いつしか、恋路海岸に出る。海を見下ろすところに「恋路」駅というのがある。今でも「歓迎」の看板が立っている。どんな感じなのか、クルマを停めて行ってみる。駅自体は畑の中のホーム一本きりなのだが、近くにトンネルがあり、「鉄の臭い」というのも感じられる。ただこうして見ると、「恋路」というよりは「失恋」という名前が似合う?

P50518961ただホームの待合スペースにはノートが置かれており(よく見たら昨日の書き込みもあるやん!)、カップルか鉄道ファンのいずれかによる書き込みがなされている。鉄道ファンの書き込みはどうでもいいのだが、カップルが何組も書き込みをするとは、やはり駅としての知名度は高いのだろうし、さまざまに感じることがあるのだろう。そりゃそうと、「恋路駅に行こうよ」というのは、男性から誘うものか?それとも女性が行ってみたいとおねだりするスポットなのか?これは今後の参考までに?聞いてみたいもんだな・・・。

P5051906海岸にあるハート型の鐘をヤケ気味に鳴らし、次は「軍艦島」の名を持つ見附島を見る。先の恋路海岸と合わせてその名も「えんむすびーち」。こちらでも鐘を鳴らして、今度は軍艦に敬礼!?

P5051909P5051910 このあたりまで来ると、旧のと鉄道の線路も終点が近い。珠洲の町を過ぎ、国道沿いに終着駅の蛸島駅に着く。カーナビは見事に蛸島駅を現役の駅として案内してくれた。こちらは建物が残っているものの、一瞬入るのをためらわれる。ところが、同じように駅前に停まっていたワゴン車の男性が「おはようございます」と、招じ入れてくれる。中に入ると、出札口やきっぷの券売機、当時の発車時刻表が残っていたり、能登線への惜別メッセージが書かれた模造紙が掲示されている。ホームもそのまま残っている。

P5051916P5051914この蛸島駅、今はNPO法人の「のとレール・エア21」というのが管理しているそうで、のと鉄道の気動車の動態保存などの活動をしているとか。先に声をかけてくれた男性はそのスタッフとのこと。ホームから線路伝いに歩くと、かなりさびついた気動車が残っている。これが動態保存の車両という。同じのと鉄道の廃線跡といっても、輪島駅とはまた違った風情の蛸島駅である。証明書つき絵葉書、携帯ストラップ、キーホルダー、写真シール、焼き板の5点がセットになって2000円というのが売られていた。これもNPOの運営資金になるのかと思い、1セット購入。その筋の客と見たか、「ここで活動やってますんで、ぜひのぞいてください」と、「のとレール・エア21」のURLを裏面に書いて写真シールをもう1枚つけてくれた。こういう駅に出会えただけでも、奥能登までクルマを走らせてきた甲斐があった。

さて、陸地はこの先の禄剛崎に続く。狼煙と呼ばれる地区にある駐車場にクルマを停め、丘を登ること5分、芝生の向こうに小さな灯台。これが半島最先端の禄剛崎灯台だ。ここから見下ろす海は穏やかに見える。

P5051922ただここは灯台よりも、その手前にある方向看板に、能登半島という土地の位置づけを感じるのである。「東京 302km 上海 1538km 釜山 783km」と来て、その下に「ウラジオストック 772km」とある。昨日輪島で見た「輪島の次はシベリア」に引き続き、「ウラジオストックの次は禄剛崎」である。釜山よりも近いウラジオストック。こうして見ると、日本海側の町と韓国・ロシアという国の港町の「心理的な近さ」というのがうかがえる。「ウラジ・ボストーク」というのがそもそもの町の名前の成り立ちなのだが、和名は「浦塩」である。伏木港から定期船が出ているようで、いつか日本海を横断して大陸に渡ってみたいという憧れがある。

さてここからは半島の折り返しコース。再び、波風の高い奥能登の外海岸を走行する・・・・。(続く)

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