天橋立から丹後半島の伊根へと向かった1泊旅行。伊根から傘松公園下のバス停まで戻り、ここからはまた海路で天橋立駅に戻ることにする。
往路はモーターボートに乗ったのだが、帰りはちょうど時間がよかったこともあり、普通の観光船に乗車する。座席よりも後部甲板のほうが人出が多い。一方のモーターボート乗り場であるが、そちらにも結構な行列ができている。
観光船に乗ると海の風を楽しむことができるのもメリットであるが、ここでもまたカモメにトンビが寄ってくる。それにかっぱえびせんをやるのも楽しみということである。ただ、伊根の観光船に比べると天橋立のカモメはおとなしいのか、それほど船の周りに寄ってくるということもなく、えびせんをくちばしでダイレクトキャッチするということもなく、左手に松並木を見ながら淡々と進む。うーん、天橋立は日本三景にあってもやはり高いところから眺めてこそ面白く、絶景であると感じさせるところであると思う。
再び智恩寺に参拝する。本堂にあたる文殊堂には行列ができていた。やはりそれだけ知恵にあやかりたいのかな・・・と思う。ただ、「三人寄れば文殊の知恵」というのはよく言い得た成語であると思う。このタイミングでここに参拝したのはよかった・・・と、この数時間後に何やら実感することになったのだが、それは後の話として。
前泊効果もあり、渋滞も避けて満足気の行程をこなすことができた。予定していた列車には1時間以上間があるが、ここからどこかに出かけるのももういいかなという気持ちである。1本早い列車で出立するという手もあるが。
そんな中、駅の中をのぞいてみると「丹後浪漫号」の表示があった。ここから福知山ではなく西舞鶴に向かうのであるが、そちらに行って福知山に戻っても予定の特急に間に合うことがわかった。それならば、「丹後浪漫号」に乗って宮津線の乗りとおしというのもいいかな。
ということでホームに出てみると、停車していたのはかつて特急としても使われていたタンゴエクスプローラー号車両。ハイデッカー式の座席が並ぶ3両編成の列車。その海側の座席を確保する。こちらの列車にも結構な乗客があった。
天橋立を出発すると、早速左手に宮津湾の車窓が広がる。宮津の駅前までクルマの列が続いている。なるほど、これが丹後半島の先まで影響を及ぼす渋滞ということか。クルマでの移動や旅行も時間の制約がなく、思い立ったスポットに足を延ばせる利点があるが、こういう渋滞を目の当たりにすると「やはり鉄道やな」と思うものである。
宮津の次の栗田では、無人のホーム1本しかない駅にも関わらず大勢の乗車があった。某旅行社の旗を持った添乗員の誘導で、空いている席に座っていく。昨今のローカル線ブームにあやかってか、一部区間のローカル線車窓を楽しもうというものだろう。こういう形での乗車というのも、鉄道会社から見ればまあ「あり」なんでしょう。・・・もっとも、こういう光景、『週末鉄道紀行』の著者あたりが見ると激怒するかもしれないな。原理主義者から見ればそういう中途半端な乗り方など許せないことだろうから・・・・。
栗田を過ぎ、海に沿っていくつかのトンネルを抜けるうち、奈具海岸を見下ろせるポイントで一旦停車。波も穏やかで、長年の風雪に耐えてきた岩場も見応えがある。しばらくの時間であるが、岩場の風景を楽しむことにする。車両の窓が開けばなおよかったのだが・・・。
森鴎外の『山椒太夫』にもなった安寿と厨子王の物語でも知られる丹後由良を過ぎる。こちらの海岸もなかなかの見応えがあり、本格的な夏ともなれば海水浴で賑わうのだろう。夏の海水浴、冬の海の幸・・・日本海ならではの楽しみではある。
その丹後由良を過ぎると、由良川を渡る長い鉄橋に出る。ここでは一旦停車こそないものの、徐行運転で通過していく。橋脚のすぐ下を流れる由良川。このところの雨の影響で水嵩も増しているようである。そして左手に見える河口部分。この鉄橋も宮津線の大きな見どころの一つ。
この後は山間部に入り、四所で団体客が下車していく。ちょうどバスと添乗員が駅前で出迎えている。うーん、これもバス(クルマ)の利点ということになるのかな。
西舞鶴に到着。ここからは再びJRの旅となる。ちょうど丹後から丹波へと抜ける山間部で急に雲がどんよりとし、三色の雲が上空を覆うようになった。そうするうちに雨、おまけに駅に停まった時には白い粒になっていた。どんだけ寒いのか。
ただ大きな崩れにはならずに福知山まで戻り、ここから当初の予定どおり特急こうのとりに乗車する。今度は指定席の指定通りの席に座ったが、思うに、なぜ自由席がフリーストップの座席で、指定席が少し動くとバタンと戻ってしまう、シート幅も狭い簡易リクライニングの座席なのかと考え込む。でも指定席の乗車率は3分の2ほどで、私の隣には相客も来なかったから、それはそれでよしとしなければならないか。
・・・・ということで福知山線で南下し、大阪に着いたのが18時55分。普段なら乗った列車の最後の写真でも撮ろうかというところだが、この時は一直線で改札を出て、地下道に入り、そしてまた地上に上がった。
そう、「この行事があるために最初からの旅行の行き先を変え、かつ代替えの日帰り旅行も何とか少しでも間に合うような行程として、その産物で前泊もあり」ということになったオフ会である。幸い予定から5分程度の遅れで合流することができ、改めて乾杯ということに。最大なら男女5名ずつ10名まで集まろうかという同士ではあるが、結局は男女3人ずつの6名ということに。
この日の集まり、こういう形で飲みとなるのは初めて同士である。4月のある日、とある集まりでたまたま顔を合わせた人ばかり。その時2時間くらい席を共にし、その後にお茶をしたところで一気に意気投合。これは「とあること」を目的とし、意識をしている人たち同士の集まりということで話の共通点もできたこともあるだろう。しがらみのないところでの情報交換とかアドバイス、あとはお互いに異性の視点からの話も聴けるというところも大きい。また、そういうことを積極的にやっていこうという考えの持ち主が多かったのも確か。
それが「連休中にみんなで会おうよ」という、Aさんを中心とした声かけがあり、ならばということで私も旅程を変更して参加することになった。その中で結構濃い話、面白いこと、真剣なこと、痛い話・・・・いろんなことが飛び交った。結局時間制限のある最初の店を出てからも足りないということで場所を移し、そこでもいろいろなこと。聞く方にも話す方にも熱が入る。
気が付けばそろそろ終電が近いということで、またの再開を期して分かれることに。私も最後まで出席し、一人の人と地下鉄に乗ってその中でも話し込んだのはよかったのだが、結局は最寄駅までの終電は逃した。最後は地下鉄をそのまま終点まで乗車し、そこからのタクシー利用という選択に。でもまあ、タクシー代には変えられない有意義な時間を過ごしたのは大きく、これからの励みにもなったかと。休日の過ごし方にも影響が・・・出ればいいな。
いずれ、そのあたりのことも拙ブログで触れることができればと思う・・・・。