白崎海岸から再びクルマで移動。海岸べりを走ったり、みかん畑の中を走ったりの道中である。ふと向こうから、こちらでみかん農園を営んでいるⅠ君が軽トラで現れそうな感じである。
やってきたのは湯浅の町。漁業の町でもあるが、それ以上に日本の醤油発祥の地というのを売り物にしているところである。鎌倉時代に中国から伝えられた金山寺味噌をベースとし、その上澄みがもともとの醤油のルーツという。味噌に醤油が有名というと、何だか口の中にしょっぱいものが漂いそうなイメージである。それに紀州の南高梅を合わせると大変なことになりそうだ。
駐車場がなかなか見つからず、結局駅前の有料駐車場に停める。ここから街並みの散策である。駅そのものも木造風で、国鉄時代の風情をとどめているようだ。だいたい駅から徒歩15分圏内に昔ながらの建物保存地区が残る。
またかつては熊野古道の通り道としても賑わっており、道しるべも残る。昔の家屋が休憩所として(移築されたのかな?)あり、そこでパンフレット等を手に入れる。ポツポツと散策の客もいるようである。
その後はパンフレットを片手にぶらつく。クルマも頻繁に往来する生活道路の側面もあるが、一方では人がすれ違うのもやっとという路地裏もある。ただ町全体がそれほど観光俗化しておらず、生活する人にはなかなか不便も多いのだろうがごく自然な表情を見せてくれる。古い建物が多いといっても、それが土産物屋ばかりだった・・・・というのでは面白さも半減するようだ。
昔の銭湯を民俗資料館として開放している建物がある。道後温泉を意識したという深い掘りの大理石の浴槽などを見た後は、昔の商家のコレクションの数々に出会う。ボランティアの方があれこれと説明してくれる。
そうするうちにやってきたのが北町通り。ここは川に近く荷の積み出しが容易ということなのだろう、醤油や味噌の醸造元が並ぶ。味噌は太田久助吟製、そして醤油は角長が老舗という。醤油を求めに角長に入る。道向かいの蔵にはかつての醸造道具なども展示されており、日本の醤油発祥の地にあって、かつその伝統を一番に受け継いでいるという自負を感じさせる。せっかくなので土産用としてたまり醤油にひしおを購入。帰宅後にひしおを嘗めてみたが、現在でこそ醤油の大手メーカーは龍野や野田、銚子といったところの本拠地があるが、「ウチが日本の元祖なんやで」と言わんばかりの個性の強さを出していたように思えた。
店の裏手に堀が残されている。山田川の河口にほど近く、ここから各地に出荷されていったことも伺える。また、現在は車道となっているがかつては有田鉄道の線路もあったようで、湯浅の醤油・味噌に有田のみかんも集積し、全国に流れて行った拠点であったことも伺える。
町並み自体は自然に古く残っており好感は持てる。道に面して瀟洒な造りの建物が見えるかと思えば、路地裏に入ると明治時代の落語に出てきそうな長屋が並んでいたりする。少し離れたところから見るとなんだか傾いて見える建物もある。人が住んでいるのかな?表札もでていないけど・・・と思いながら歩くと、突然木の戸が開いて若いお姉ちゃんが出てきたりする。確かに観光ずれはしていないように見えるが、筋を一本入ると日中は人影も見えず、何だか歩いているこちらが怪しく見えてしまいそうなところもある。あとは時折顔を出す自民党の二階俊博議員の恐い顔のポスター・・・・。
いろいろ歩き回った後で昼食とする。現在湯浅では「しらす丼」を町おこしにしているようで、町内に10数軒のしらす丼を出す店があるという。いいじゃない、しらす丼。
パンフレットを見て結局たどり着いたのが、駅前にある「かどや食堂」。夜は居酒屋もやってそうな雰囲気の店であるが、こちらでいただくことに。ちょっと値段の高い「生しらす丼」もあるが、ここはシンプルに通常のしらす丼で。しらすそのものの味も飾らない感じでよいのだが、そこに湯浅特製の醤油が垂らされている。うーん、これはいくらでも入りそうな味。醤油も、化学調味料を食っているような味とは全然違う。当初、この日のドライブの昼食をどうしようかと考えていたが、しらす丼の選択は合っていたと思う。もっと時間とお腹に余裕があれば、町内各店のはしごも面白かっただろう。
改めて醤油と味噌を湯浅土産とし、昼食を終えたところで次なる目的地に向かう。ただ、カーナビに載っておらず、目的地のあたりを少しぐるぐると回り、別の目標物でようやく見当がついてたどり着いたところであるが・・・・。