3月11日・・・これは東日本大震災が発生した日ということで、忘れてはならない日の一つであると思う。私の勤務先でも(さすがにその時間とはいかなかったが)朝礼時に黙祷を捧げ、震災というのを忘れてはならない、関西でもいつ大災害が発生しないとも限らないのでその備えを怠らないということで訓示を受けた。
震災から2年ということでテレビでもさまざまな特集が組まれていたが、当時に比べれば現在は「風化」してるなという思いもある。別にその日にかこつけてということではないが、少なくとも何かを道標にして、きちんと振り返ること、現状を伝えることは必要だと思う。
震災発生後に私が訪れた唯一の町が気仙沼である。震災から100日を迎えようというその時、津波の被害を受けてあらゆるものが流されてしまった港町と、何事もなかったかのような佇まいを見せていた高台の住宅・・・半径1キロない中、歩いて行ける範囲の中でモロに対照的な光景を見せられたものだが、あれからどのようになったかが今でも気になる。グラウンド・ゼロのように大漁旗やガラス玉で彩られたあの広場はどうなっているだろうか。自分なりに見てみたい、何かを感じたいという気持ちは今でもある。できれば(季節バラバラだが)、カツオにマグロ、ホヤにカキというのも味わいたい。
部外者が物見遊山で行ってもいいのかという気持ちもある。まあ、行くべきではないよね。
一方、テレビなど見ていると、2年が経過した今でも被災地では漁船が打ち上げられたままだったり、津波から残った建物は廃墟で後は更地とか、鉄道も線路がはがされてそのまま廃線になるとか、ちょっとは整地されたが何ら新しい展開が見えないという様子が伝わってくる。これってどうなんだろうか。どうしようもないことなのか。
もう2年というべきか、まだ2年というべきか。ただ確かなのは、残されている時間というのは「永遠」ではないということで・・・・。