よく考えれば、前に伊勢神宮に参拝したのはいつの頃だったかなと思う。
今年2013年は20年に一度の遷宮式典。伊勢神宮が改めて注目を受けているし、近鉄の新たな観光特急のしまかぜも、連日盛況だという。
伊勢志摩方面に足を踏み入れることはあっても、混んでるからとか時間がないとか言ってわざと外していたところもある。ただそれではイカンだろう。ちょうど今年はいい節目。改めて、日本の神社の最上位のところにお参りするのにいい機会なのかもしれない。
このところ、東海道五十三次に関するものに触れることが多く、もう一度十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の原文も読んでみようかなとも思っている。
また、これは東海道ではないが、この週末に三重県内(松阪よりも南)での葬儀に参列することがあった。その形式が神式だったこと(故人に焼香ではなく玉櫛を捧げたのは初体験だった)、その式場の近くにあった神社が伊勢内宮にも関係ある由緒あるところだったが、葬儀の進行や雰囲気を見る限りでは、そんなに格式ばったものではなかった。神官?の祈りの言葉も、お経のような梵語や漢語でなく大和言葉だったので、むしろ意味はよく伝わってきた。
そんなこともあり、伊勢信仰は決して格式だけ高い、他を寄せ付けないものではなく、土地の人たちにも昔から身近なものとして自然な形で受け継がれているなと感じた。
伊勢ことさら格式高いものに意識するのは、ひょっとしたら「大日本帝国」という時代の名残なのかな。別にそう難しく考えずとも、弥次喜多で気楽に行けばいいのかな。
後は、「誰と行くか」・・・・?
今年2013年は20年に一度の遷宮式典。伊勢神宮が改めて注目を受けているし、近鉄の新たな観光特急のしまかぜも、連日盛況だという。
伊勢志摩方面に足を踏み入れることはあっても、混んでるからとか時間がないとか言ってわざと外していたところもある。ただそれではイカンだろう。ちょうど今年はいい節目。改めて、日本の神社の最上位のところにお参りするのにいい機会なのかもしれない。
このところ、東海道五十三次に関するものに触れることが多く、もう一度十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の原文も読んでみようかなとも思っている。
また、これは東海道ではないが、この週末に三重県内(松阪よりも南)での葬儀に参列することがあった。その形式が神式だったこと(故人に焼香ではなく玉櫛を捧げたのは初体験だった)、その式場の近くにあった神社が伊勢内宮にも関係ある由緒あるところだったが、葬儀の進行や雰囲気を見る限りでは、そんなに格式ばったものではなかった。神官?の祈りの言葉も、お経のような梵語や漢語でなく大和言葉だったので、むしろ意味はよく伝わってきた。
そんなこともあり、伊勢信仰は決して格式だけ高い、他を寄せ付けないものではなく、土地の人たちにも昔から身近なものとして自然な形で受け継がれているなと感じた。
伊勢ことさら格式高いものに意識するのは、ひょっとしたら「大日本帝国」という時代の名残なのかな。別にそう難しく考えずとも、弥次喜多で気楽に行けばいいのかな。
後は、「誰と行くか」・・・・?