宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。第10日目は岩手の釜石から始める。『最長片道』では気仙沼からのスタートなので、行程で言えば半日近く遅れて進んでいる形になる。『最長片道』では盛岡からの急行「そとやま」の車中である。
2018年版では釜石を早朝5時45分に出発。机上旅行だからというわけでもないが、実際の旅行でもこうした早朝の列車に乗ることはある。本当はもう一本早い5時19分発というのがあるが、さすがにそれは早すぎるか。最長片道切符の旅は途中下車を楽しむというよりは、とにかく乗ることを主としている。また早朝に出ることで、その後の接続が上手くいくこともある。
釜石からは内陸を行く釜石線に乗車する。釜石線は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の舞台ともされる路線で、「銀河ドリームライン」の愛称もついている。最近では「SL銀河」号も運転されており、人気のローカル線の一つである。陸中大橋からはヘアピンカーブを描きながら勾配を上る。上りきった鉄橋の下に陸中大橋の駅が見えるという車窓だ。
柳田國男の『遠野物語』で知られる遠野を通過。こちらは昔に岩手の伝統的な農家である「曲がり屋」を訪ねたことがある。『遠野物語』は一度読んだかな。ただ明治時代の作品で文語調ということもあり、その時はちょっと頭に残らなかったかな。今また読めば違った感想を持つかもしれない。
7時53分、花巻に到着。6分の接続で東北本線の一ノ関行きの鈍行に乗る。途中には世界遺産の平泉も通る。世界遺産といえば2018年には長崎、熊本両県の「潜伏キリシタン」関連のスポットが新たに登録されたが、年々、日本人でもよく知らないようなスポットが登録されることが多いように思う。一方で、私も巡っている「四国遍路」は、世界遺産登録に向けた声掛けは行われているが全然手ごたえがないようだし、地元藤井寺も含まれる百舌鳥・古市古墳群もどのように評価されるのだろうかというところだ。
こちら平泉は奥州藤原氏の本拠地として栄えたというのはあるにしても、観光スポットとしては中尊寺金色堂、毛越寺が残るくらいである。訪ねた時、確かに金色堂は鮮やかだったが、毛越寺は大きな池のある寺というよりは庭園という印象で、これが世界遺産というのはなぜかという感想を持ったように思う。現世における浄土思想を表現したことが評価されたとあるが、平泉の観光協会は、仏教関係の寺院なら奈良や京都、日光とある中で平泉が世界遺産に登録された理由として、「中尊寺建立供養願文」に込められた思いというのを挙げている。その願文には、奥州藤原氏が興る元となった前九年、後三年の役の戦いで多くの命が奪われたことに対して、敵味方の区別なく御霊を悼んで供養するということが書かれている。戦いのない世の中を作り、平和を願うという思想が世界から認められた・・・とある。
『最長片道』では、盛岡からおよそ5時間20分かけて急行「そとやま」で14時16分に花巻に到着。その後は14時26分発の鈍行で一ノ関まで行き、16時28分発の大船渡線に乗る予定にしていたが、14時09分発の「はつかり8号」がちょうど遅れて花巻に到着したので喜んで乗り換えている。この特急に乗ることで、一ノ関から1本早い15時08分発の大船渡線の列車に乗り換えることができ、そのぶん明るいうちに気仙沼に着くからである。
大船渡線は「ドラゴンレール」という愛称がついている。別に竜にゆかりがあるわけではなく、クネクネと曲がった路線の形が竜に似ていることからその名がついている。それが目立つのは途中の陸中門崎~摺沢~千厩の間で、まっすぐ東に向かえばよいものを、東~北~東~南~東と20キロほど遠回りして走っている。時の有力者の権力の綱引きのために路線が捻じ曲げられ、また戻ってという背景がある。地図でこの区間の路線図を見ると鍋の弦の形に似ているので「ナベヅル路線」と呼ばれている。ただ時代が下って「ドラゴンレール」とは平和的な名前である。
気仙沼に到着。こちらもまたリアルに訪ねてみたい町の一つである。東日本大震災の直後に、まだ津波の爪痕が生々しく残り、ヘドロの臭いをする町の中心部を訪ねたことがある。またその後の復興の様子を見たいし、海の幸を味わいたいところだ。『最長片道』では宮脇氏は第9日を気仙沼で終えており、翌日早朝にタクシーで魚市場を見に行っている。漁港に並んだマグロに感心していると、漁船の元乗組員だった運転手から「船長知ってるから一本買ってか」と言われたとある。
さて気仙沼からは気仙沼線に乗り換えるが、ここから先に「線路」はない。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた気仙沼線は、「線路」での復旧を断念して、その線路跡を活用したBRT(バス高速輸送システム)での存続となった。
『最長片道』では第10日の最初の列車として気仙沼線に乗っているが、昔から津波に襲われることが多かったことにも触れている。特に志津川は津波のたびに交通が途絶して食糧危機に陥るので、鉄道敷設の願望が非常に強かったとしている。政治の綱引きや戦時体制のためになかなか実現しなかったが、1957年に北側の気仙沼~本吉間、1968年に南側の前谷地~柳津間が開通し、最後は1977年に本吉~志津川~柳津が開通して全線開業となった。宮脇氏は『時刻表2万キロ』の最後の章で、この気仙沼線の新線の開業日に乗ったことを記している。
この志津川は、津波で町役場職員の悲劇を生んだ南三陸町の中心駅である。せっかくの「線路」も津波のためになくなってしまったのは残念だ。ただ、BRTに揺られながら、新たな町づくりに取り組む景色というのを見ることはできるだろう。
前谷地に到着。石巻線で目指すのは石巻である。こちらも被災地の一つである。心情としては同じく津波で町が呑み込まれてしまったその先の終着駅である女川にも行きたいところだが、最長片道切符の旅はそのまま仙石線に乗り換えとなる。何だかこう書き綴って来ると、三陸というところをリアルにもう一度訪ねてみたい、そういうチャンスはあるかなという気になってしまう。
石巻からは仙石線に乗る。途中には日本三景の一つ、松島も経由するが、もちろん途中下車はなしでそのまま走る。なお、東北本線の塩釜と仙石線の高城町との間には新たに仙石東北ラインというのができている。1時間に1本程度の運転だそうだが、路線図に載っているからには「乗りつぶし」の対象となる。これも元・JR全線乗りつぶしの経験者としてはリアルに行かなければならない区間である。
そろそろ夕方近くなり仙台に到着。次の日程を考慮して、この先東北本線でそのまま行ってしまう。『最長片道』の時はまだ東北新幹線が開通していないため、仙台から福島まで特急、福島から郡山までは鈍行と使い分けて乗っている。その所要時間はおよそ2時間半。一方で2018年版は快速「仙台シティラビット6号」で福島まで行き、福島から郡山までは鈍行で行く。仙台が16時06分発で、乗り継いで到着の郡山は18時12分。40年前の特急~鈍行乗り継ぎよりも短い時間で到着している。もっとも『最長片道』の時は、福島からの鈍行に乗って途中の松川で19分停車し、2本の特急にまとめて抜かれるということがあった。2018年版は特急はみな新幹線となり、在来線で通過待ちの停車というのはなくなった。また、車両も当時の客車列車と最新型の電車という違いがあり、そもそものスピードに差があるということだろうか。
第10日は夕暮れの郡山で終了。『最長片道』では同じ第10日はこの先水戸まで進んでいる。その差はなかなか縮まらない・・・。
※『最長片道』のルート(第9日続き、第10日)
(第9日続き)盛岡8:58-(急行「そとやま」)-14:16花巻14:09-(特急「はつかり8号」遅れのため乗車できた)-一ノ関15:08-(大船渡線)-16:45気仙沼
(第10日)気仙沼7:10-(気仙沼線)-9:05前谷地9:27-(石巻線)-石巻10:10-(仙石線)-11:14仙台11:28-(特急「やまびこ6号」)-福島12:37-(東北本線)-14:01郡山・・(以下次回)
※もし行くならのルート(第10日)
釜石5:45-(釜石線)-7:53花巻7:59-(東北本線)-8:50一ノ関9:09-(大船渡線)-10:34気仙沼11:05-(気仙沼線BRT)-13:32前谷地13:53-(石巻線)-14:12石巻14:24-(仙石線)-15:50仙台16:06-(快速「仙台シティラビット6号」)-17:20福島17:24-(東北本線)-18:12郡山
2018年版では釜石を早朝5時45分に出発。机上旅行だからというわけでもないが、実際の旅行でもこうした早朝の列車に乗ることはある。本当はもう一本早い5時19分発というのがあるが、さすがにそれは早すぎるか。最長片道切符の旅は途中下車を楽しむというよりは、とにかく乗ることを主としている。また早朝に出ることで、その後の接続が上手くいくこともある。
釜石からは内陸を行く釜石線に乗車する。釜石線は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の舞台ともされる路線で、「銀河ドリームライン」の愛称もついている。最近では「SL銀河」号も運転されており、人気のローカル線の一つである。陸中大橋からはヘアピンカーブを描きながら勾配を上る。上りきった鉄橋の下に陸中大橋の駅が見えるという車窓だ。
柳田國男の『遠野物語』で知られる遠野を通過。こちらは昔に岩手の伝統的な農家である「曲がり屋」を訪ねたことがある。『遠野物語』は一度読んだかな。ただ明治時代の作品で文語調ということもあり、その時はちょっと頭に残らなかったかな。今また読めば違った感想を持つかもしれない。
7時53分、花巻に到着。6分の接続で東北本線の一ノ関行きの鈍行に乗る。途中には世界遺産の平泉も通る。世界遺産といえば2018年には長崎、熊本両県の「潜伏キリシタン」関連のスポットが新たに登録されたが、年々、日本人でもよく知らないようなスポットが登録されることが多いように思う。一方で、私も巡っている「四国遍路」は、世界遺産登録に向けた声掛けは行われているが全然手ごたえがないようだし、地元藤井寺も含まれる百舌鳥・古市古墳群もどのように評価されるのだろうかというところだ。
こちら平泉は奥州藤原氏の本拠地として栄えたというのはあるにしても、観光スポットとしては中尊寺金色堂、毛越寺が残るくらいである。訪ねた時、確かに金色堂は鮮やかだったが、毛越寺は大きな池のある寺というよりは庭園という印象で、これが世界遺産というのはなぜかという感想を持ったように思う。現世における浄土思想を表現したことが評価されたとあるが、平泉の観光協会は、仏教関係の寺院なら奈良や京都、日光とある中で平泉が世界遺産に登録された理由として、「中尊寺建立供養願文」に込められた思いというのを挙げている。その願文には、奥州藤原氏が興る元となった前九年、後三年の役の戦いで多くの命が奪われたことに対して、敵味方の区別なく御霊を悼んで供養するということが書かれている。戦いのない世の中を作り、平和を願うという思想が世界から認められた・・・とある。
『最長片道』では、盛岡からおよそ5時間20分かけて急行「そとやま」で14時16分に花巻に到着。その後は14時26分発の鈍行で一ノ関まで行き、16時28分発の大船渡線に乗る予定にしていたが、14時09分発の「はつかり8号」がちょうど遅れて花巻に到着したので喜んで乗り換えている。この特急に乗ることで、一ノ関から1本早い15時08分発の大船渡線の列車に乗り換えることができ、そのぶん明るいうちに気仙沼に着くからである。
大船渡線は「ドラゴンレール」という愛称がついている。別に竜にゆかりがあるわけではなく、クネクネと曲がった路線の形が竜に似ていることからその名がついている。それが目立つのは途中の陸中門崎~摺沢~千厩の間で、まっすぐ東に向かえばよいものを、東~北~東~南~東と20キロほど遠回りして走っている。時の有力者の権力の綱引きのために路線が捻じ曲げられ、また戻ってという背景がある。地図でこの区間の路線図を見ると鍋の弦の形に似ているので「ナベヅル路線」と呼ばれている。ただ時代が下って「ドラゴンレール」とは平和的な名前である。
気仙沼に到着。こちらもまたリアルに訪ねてみたい町の一つである。東日本大震災の直後に、まだ津波の爪痕が生々しく残り、ヘドロの臭いをする町の中心部を訪ねたことがある。またその後の復興の様子を見たいし、海の幸を味わいたいところだ。『最長片道』では宮脇氏は第9日を気仙沼で終えており、翌日早朝にタクシーで魚市場を見に行っている。漁港に並んだマグロに感心していると、漁船の元乗組員だった運転手から「船長知ってるから一本買ってか」と言われたとある。
さて気仙沼からは気仙沼線に乗り換えるが、ここから先に「線路」はない。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた気仙沼線は、「線路」での復旧を断念して、その線路跡を活用したBRT(バス高速輸送システム)での存続となった。
『最長片道』では第10日の最初の列車として気仙沼線に乗っているが、昔から津波に襲われることが多かったことにも触れている。特に志津川は津波のたびに交通が途絶して食糧危機に陥るので、鉄道敷設の願望が非常に強かったとしている。政治の綱引きや戦時体制のためになかなか実現しなかったが、1957年に北側の気仙沼~本吉間、1968年に南側の前谷地~柳津間が開通し、最後は1977年に本吉~志津川~柳津が開通して全線開業となった。宮脇氏は『時刻表2万キロ』の最後の章で、この気仙沼線の新線の開業日に乗ったことを記している。
この志津川は、津波で町役場職員の悲劇を生んだ南三陸町の中心駅である。せっかくの「線路」も津波のためになくなってしまったのは残念だ。ただ、BRTに揺られながら、新たな町づくりに取り組む景色というのを見ることはできるだろう。
前谷地に到着。石巻線で目指すのは石巻である。こちらも被災地の一つである。心情としては同じく津波で町が呑み込まれてしまったその先の終着駅である女川にも行きたいところだが、最長片道切符の旅はそのまま仙石線に乗り換えとなる。何だかこう書き綴って来ると、三陸というところをリアルにもう一度訪ねてみたい、そういうチャンスはあるかなという気になってしまう。
石巻からは仙石線に乗る。途中には日本三景の一つ、松島も経由するが、もちろん途中下車はなしでそのまま走る。なお、東北本線の塩釜と仙石線の高城町との間には新たに仙石東北ラインというのができている。1時間に1本程度の運転だそうだが、路線図に載っているからには「乗りつぶし」の対象となる。これも元・JR全線乗りつぶしの経験者としてはリアルに行かなければならない区間である。
そろそろ夕方近くなり仙台に到着。次の日程を考慮して、この先東北本線でそのまま行ってしまう。『最長片道』の時はまだ東北新幹線が開通していないため、仙台から福島まで特急、福島から郡山までは鈍行と使い分けて乗っている。その所要時間はおよそ2時間半。一方で2018年版は快速「仙台シティラビット6号」で福島まで行き、福島から郡山までは鈍行で行く。仙台が16時06分発で、乗り継いで到着の郡山は18時12分。40年前の特急~鈍行乗り継ぎよりも短い時間で到着している。もっとも『最長片道』の時は、福島からの鈍行に乗って途中の松川で19分停車し、2本の特急にまとめて抜かれるということがあった。2018年版は特急はみな新幹線となり、在来線で通過待ちの停車というのはなくなった。また、車両も当時の客車列車と最新型の電車という違いがあり、そもそものスピードに差があるということだろうか。
第10日は夕暮れの郡山で終了。『最長片道』では同じ第10日はこの先水戸まで進んでいる。その差はなかなか縮まらない・・・。
※『最長片道』のルート(第9日続き、第10日)
(第9日続き)盛岡8:58-(急行「そとやま」)-14:16花巻14:09-(特急「はつかり8号」遅れのため乗車できた)-一ノ関15:08-(大船渡線)-16:45気仙沼
(第10日)気仙沼7:10-(気仙沼線)-9:05前谷地9:27-(石巻線)-石巻10:10-(仙石線)-11:14仙台11:28-(特急「やまびこ6号」)-福島12:37-(東北本線)-14:01郡山・・(以下次回)
※もし行くならのルート(第10日)
釜石5:45-(釜石線)-7:53花巻7:59-(東北本線)-8:50一ノ関9:09-(大船渡線)-10:34気仙沼11:05-(気仙沼線BRT)-13:32前谷地13:53-(石巻線)-14:12石巻14:24-(仙石線)-15:50仙台16:06-(快速「仙台シティラビット6号」)-17:20福島17:24-(東北本線)-18:12郡山