

こういう山奥にあることから、「四国高野」とも称されてその後は僧侶たちの修行の場として栄えた。立地が阿波、伊予、讃岐のちょうど境目ということで各地への関所の役割もあったようである。また戦国時代には四国制覇を狙う土佐の長宗我部元親が訪れ、住職に四国統一の野望を語ったことがあった。その時住職から「あなたは所詮は土佐の国主の器にすぎず、四国全土を支配する器ではない」と忠告されるが、元親はそれを聞かず讃岐や伊予にも戦乱を広げた。そのおかげで四国統一は果たしたのだが、それもわずかの期間で羽柴秀吉に攻め込まれ、結局は土佐一国に逆戻りとなった。秀吉が強すぎたのだが、四国全土を守りきることができなかったのは結果だけ見ればその器ではなかったとも言える。その後、子の盛親は関ヶ原の戦いで西軍方についたことで土佐も取り上げられ、浪人となって大坂の陣に参戦して敗死し、家の嫡流が途絶えてしまった(長宗我部家そのものは傍系が残り、現在は第17代当主の方がご健在である)。
これまで阿波の札所で「長宗我部元親の兵火により寺が焼失し・・」という歴史について何回か触れたように思うが、阿波平定の仕上げがこの雲辺寺だったわけだ。この山から讃岐や伊予の平野を見下ろしたことが、それ以上の野望を芽生えさせ、やがて家が滅んでいくきっかけになったとは、四国の歴史の一場面だったのかと想像する。











7月の半ばだがあちらこちらにアジサイも咲いている。やはり平野部と比べて気温が9度も低いとなると、季節も少しさかのぼる感じである。












この時間なら15時発のロープウェイに間に合いそうで、再び五百羅漢の間を抜けて戻ることにする。そこへ、先ほど本堂でお勤めしていた上下白衣姿の男性が、菅笠に金剛杖という出で立ちで坂道を下り始めたので会釈してすれ違う。坂道を下ると大興寺まで9キロあまりと出ていて、この時間から歩いて大興寺まで下るとすると、何とか納経所が閉まる時間に間に合うかどうかではないだろうか。さらに泊まりとなると観音寺駅近くまで歩くのだろうか。


