広島新四国八十八ヶ所めぐり、伴中央にある第75番・薬師院の次は江波にある第76番・不動院、第77番・龍光院である。広島新四国もこの2ヶ所で市内中心部は終了し、以後は市の西側をめぐり、結願の宮島に続く。
薬師院に参詣後はアストラムラインで本通に戻り、その後はあの辺で過ごした。不動院、龍光院はまとめて訪ねるとして、日を改めて1月21日に出かける。
この日の午後から広島で第29回全国男子駅伝が行われるので、それまでに参詣を済ませ、自宅に戻って沿道から応援する予定である。江波まで行くならそのまま平和記念公園に向かってスタート、またはゴールの瞬間を見るほうがイベントを楽しむ感じがより一層強まるのだろうが、「全国の選手が自宅の近所を走る」というのを楽しもうと思った。
その「自宅の近所」は往路1区と復路7区のコースにあり、将来が楽しみな高校生区間の1区(ここを駆け抜けた有力選手は箱根駅伝にも出場する強豪校への進学が決まっている)、そしてその成長後の大学・社会人選手が走るアンカー7区、それぞれの思いを胸に駆け抜けていった。
さて、その前段である。自宅から江波まではクルマなら直線距離で近いのだが、ここは広電で向かう。土橋で江波行きに乗り換える。
終点の江波に到着。線路はその奥の車庫まで続く。同じ広島市内とはいえ、江波を目的地として訪ねる機会はそうあるものではない。
まずは第76番・不動院を目指す。そのまま住宅地を抜け、本川に出る。川沿いの道は「かき打ち通り」という名がある。江波港周辺に牡蠣の加工場が並ぶことからつけられたそうだ。ちょうど今は牡蠣の旬。
その通りに面した高台に不動院がある。この狭い石段の上にあるようだ。山というか丘というか、見張り台のようにも見える。元々は一つの島だったのかな。
不動院は当初、丸子社という祠だったのだが、江戸時代、江波の住人である仲屋幸助という船乗りがいて、筑紫に航海した時、豊後の海中で漁師の網にかかった不動明王をもらい受けた。これを祀ったのが始まりとされる。
小ぢんまりしたお堂が建つ。扉は開いておらず、そのまま外でお勤めとする。境内の外側には四国八十八ヶ所が囲んでいるが、限られたスペースの中である。
この後、広島高速3号線の高架橋をくぐり、漁港に着く。かき打ち通りの名前にも現れる水産業者の店舗が並ぶ。牡蠣の業者もたくさんあり、それぞれ流通ルートがある。私が普段利用する近所のスーパーだと西の大野浦あたりの水産業者のものを見かけるが。
その一角に神社がある。海神宮とあり、江戸時代に江波港が開かれた当時からの建物で、8月6日の原爆にも耐えた被爆建物として紹介されている。先般、市街地から離れた草津の寺の本堂ですら被爆建物との紹介があったのを見て、それより近い江波でよく耐えたものだと思う。単純に爆心地からの距離だけではなく、さまざまな要因が重なって残ったのだろうが・・。
ところで、牡蠣で思い出した。先日のニュースにて、2月に開催予定だった「宮島かき祭り」が開催中止となったと報じられていた。画像は2020年2月の「宮島かき祭り」。新型コロナについてはちょうど感染者が増え始めたかなというところで、当時大阪から中国観音霊場めぐりと一献をかねて宮島に来た時のものである。この時点では、新型コロナがあれだけの騒ぎになること、そして私が広島に異動することになるとは思っていなかった。
2021年以降はコロナ禍の影響で中止されており、2024年は4年ぶりの開催が期待されていたが、夏の猛暑などの影響による牡蠣の生育不良が理由だという。
今季、かき祭りについては開催するところ、あるいは江田島のように中止するところとそれぞれ判断が分かれているそうだ。まあ、別に混雑する会場でなくとも、地元スーパーなどで別に品薄になっているわけではなく、普通に買って自宅でいただくだけだ。
この先、次の第77番・龍光院は近い・・・。