九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは、第57番・誕生寺の奥之院も訪れることができ、レンタカーの機動力を活かす1日となった。再び荒尾市に戻り、三池炭鉱の産業遺産の一つである万田坑跡に向かう。以前、この辺りの札所を訪ねた時にも三池炭鉱の産業遺産である万田坑、宮原坑跡を訪ねたが、こうした産業遺産というのもなかなか面白いものである。
今回、道順でまず荒尾市側の万田坑から訪ねる。まずは万田坑ステーションにて予習である。万田坑や炭鉱電車の模型が展示されている。かつての規模が計り知れる。また三池の炭鉱電車は専用鉄道といいつつも従業員輸送の役割も担っており、客車列車も走っていた(従業員以以外の地元の人たちも利用していただろう)。炭鉱電車についてはやはり注目する方が多いようで、ネットで検索するとサイト、ブログ記事がいくらでも出てくる。
坑内の様子をVRで体験できるコーナーもある。ゴーグルをつけると、第二竪坑からエレベーターで地下に潜り、そこで操業する様子を迫力ある映像で仮想体験できる。後で知ったが、VRの映像じたいは荒尾市公式のYouTubeで公開されており、ゴーグルがなくても自宅でその様子を疑似体験することはできる。
石炭のかけらが1個100円で売られている。万田坑のボランティアガイドの活動支援にもなるとかで1個買い求める。現在、一般家庭に石炭があっても燃料としての使い道はないが、「炭鉱」という言葉、日本の近代化への貢献、そして斜陽・・とさまざまな世界が連想される。
そして現在も保存されているエリアに向かう。正門から入ると、ガイドの方が見学ルートを一通り解説してくれる。時間によっては無料のガイドツアーも行われるが、ここは自分のペースでめぐることにする。
万田坑は明治後期に三井の総力を挙げて整備された国内最大級の竪坑である。その後設備や機械の充実を図り、出炭量のピークを迎えたのは昭和の戦前のこと。ただ戦後になると効率の低下もあり出炭を中止し、設備の解体が進められた。ただ残った設備、施設は保存のための整備が行われ、後に国の重要文化財、史跡に指定された。そして現在は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の一翼を担っている。
まずはガイドの方に言われたように、山の神に手を合わせる。作業員は坑内に入る前にまずここで手を合わせ、安全を祈願したという。
続いては、万田坑の機械や設備を修理する職場。当時の工作機械がずらりと並ぶ。
そして、現在も万田坑のシンボルといえる第二竪坑の入口に着く。この場所は人員の出入りに使われていたところで、先ほどのVR仮想体験ではここから地下200m以上の地点まで潜るという演出もあった。現在はトンネルの内側の石積みやコンクリートの間から草も伸びており、年季の深さを感じさせる。
万田坑で採掘された石炭は三池港から各地に船で出荷されたが、その港まで結んでいたのが三池の炭鉱電車である。前回訪ねた時はその姿を見ることはなかったが、現在は機関車の12号機、18号機が万田坑跡で保存されているとある。
行ってみると、何とこのうち動態保存されている12号機が構内の直線を行ったり来たりしているところだった。毎月第2・第4日曜日に時間を決めて動かしているそうで、予備知識は全くなかったがちょうどタイミングがよかったようだ。牽引しているのはバッテリーを積載した車両。この機関車は電気機関車で、実際に電線のある区間も走行していたが、鉱山の場内では電線でのスパークによる引火を防ぐため、あえて非電化のままとした区間もあったそうである。
改めて、明治時代に完成した万田坑のシンボルである第二竪坑の櫓、レンガ造りの巻揚機室の外観を見る。こうした景色、大分むぎ焼酎「二階堂」のCMに似合うだろうな・・と思って眺めると、何のことはなくとっくの昔に万田坑、そしてこれから向かう宮原坑とも何度もCMのロケ地に選ばれていた。
巻揚機室にはさまざまなウインチがそのまま保存され、よくこうしたからくりを作り上げたものだと感心する。現役で稼働していた時は櫓の内外は巨大な生き物のように見えたことだろう。
万田坑は産業遺産であるとともに廃墟の雰囲気を醸し出しており、見るポイントによってさまざまな魅力を感じさせる。現在も各所で耐震工事が施され、終了すれば内部の公開が可能になる建物もある。炭鉱電車が動態保存もあり、万田坑はこの先も歴史を伝えるスポットとしての価値を持ち続けることだろう。またこのエリアに来ることがあれば訪ねてみたい。
引き続きレンタカーで、荒尾市と大牟田市の境界が入り組む中、宮原坑に向かうことに・・・。