まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

神仏霊場巡拝の道めぐり~一泊は臨済宗大本山・妙心寺前

2025年02月15日 | 神仏霊場巡拝の道

洛西をめぐる今回の神仏霊場巡拝の道めぐり。前編では大原野神社、松尾大社、車折神社と神社が続き、妙心寺の南側の門前に到着。

妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山。天龍寺と違って神仏霊場めぐりの札所ではないが、広大な境内を有しており、洛西にあって存在感は大きい。ここを訪ねるのは初めてである。臨済宗は私にとってはあまり馴染みのない宗派なのだが、全国にある臨済宗寺院約5600ヶ所のうち、3分の2以上の3400ヶ所が妙心寺派ということで最大勢力を占めている。

この地には元々、鎌倉時代~南北朝時代の花園上皇の御所があり、後に落飾して法皇になるにあたり、禅寺に改められた。妙心寺の開基は花園法皇、開山として招かれたのは関山慧玄である。後に室町3代将軍・足利義満の怒りを買って寺領を没収されたり、応仁の乱で伽藍が焼失したりという歴史があったが、江戸時代に復興し、現在にいたる。現在も周囲には多くの塔頭寺院が並ぶ。

まずは朱塗りの山門に出会う。こちらは慶長年間に建造されたもの。

その脇に浴室があり、「明智風呂」の案内がある。明智光秀の菩提を弔うために創建されたもの。本能寺の変の後、光秀は僧侶だった叔父を頼って妙心寺に逃げ込んだとの言い伝えがあるそうだ。

続いて仏殿、法堂が並ぶ。先ほどの三門と合わせて縦に並ぶ様子も堂々としたものである。ただ、臨済宗の大本山ということもあり、庶民信仰というよりは修行の場、学問の場といった雰囲気が強い。

江戸時代前期の再建である法堂の天井には、狩野探幽が8年の歳月をかけて描いた雲龍図がある。法堂のみ拝観が可能とのことだが、残念ながら受付時間を過ぎたところだった。妙心寺に来る前、バスの系統を間違えて回り道したロスタイムがここで影響したようだ。まあ、立派な伽藍を見ることができてよかった。

さて、神仏霊場の札所でもない妙心寺をわざわざ訪ねたのは、この日の宿泊のためである。妙心寺に隣接する形で(この一帯は妙心寺と関連するところが並ぶが)建つのが、花園会館。「臨済宗妙心寺派 お寺のホテル」とある。宿坊ではなく一般の宿泊施設だが、旅行の予約サイトで見つけ、今回のコースでドンピシャと思い予約した。これまで貯まっていたポイントを使うことで安く利用できたのも大きい。

ロビーも広々としている。売店はお菓子や土産物のほか、妙心寺派の直売店ということでやはり仏具関連の品物が多数扱われている。

今回利用するのは10畳の和室。さすがは「お寺のホテル」で、テレビの下の書棚には仏教、特に禅関連の書籍が置かれている。

ちょうど窓の向こうには、先ほど訪ねた妙心寺の伽藍が並ぶ。たまたまその方向の部屋に当たったわけだが、こうした形で京都らしさを感じられて思わずうなってしまう。

花園会館の売りの一つに大浴場がある。チェックイン後、まずは入浴である。さすがに夕方の早い時間なので他に客もいない。温泉ではないが浴槽の外には庭園があり、その眺めを楽しむことができる。

入浴後、ちょうど14日目を迎えた大相撲初場所をテレビ観戦。場所中に横綱・照ノ富士が引退し、綱取りを目指す2横関のうち琴櫻は早々とその可能性が消え、優勝争いは終盤まで混沌とする状況。この日、14日目の取組では単独トップの平幕・金峰山が勝って2敗を守り、3敗で平幕・王鵬、そして優勝の可能性が見えて来た大関・豊昇龍が続くという展開となった・・。(翌日の千秋楽の取組、王鵬が金峰山に勝って3敗で並び、豊昇龍も勝ったため優勝決定巴戦となり、豊昇龍が連勝で優勝。場所後に横綱昇進となったのはご案内のとおり)

相撲が終わった後、近くで一献ということで外に出る。妙心寺の勅使門は閉じられている・・・。

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