九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの後、三池炭鉱の産業遺産群をそのままレンタカーでめぐっている。荒尾市の万田坑を訪ね、そのまま境界線が入り組む中、大牟田市に入って宮原(みやのはら)坑に到着。かつての炭鉱電車の跡地も残るところである。
宮原坑は、三井三池が官営の炭鉱を払い下げられてから最初に開発した坑口で、当初は従来の竪坑からの排水用として開発されたが、明治から大正にかけて、三池炭鉱の中でも万田坑をしのぐ最大の出炭量を占めるまでになった。しかし昭和の不況下、炭鉱の整理統合が行われる中で1931年に閉坑となった。宮原坑は近くの三池集治監に収容されていた囚人たちが坑内の主な労働力となっていたが、国から囚人の坑内労働の禁止令が通達されたことも閉坑のきっかけになったという。
現在は第二竪坑の櫓や巻き揚げ機室が閉坑当時の姿で残されている。先ほどの万田坑と比べると遺産らしさは薄いようにも見えるが、無料で出入りできるし、敷地跡は芝生の広場もあり、観光客よりは子どもを遊ばせている地元の人のほうが目についた。地元の人にとっては公園のようなものだろう。