今回の神仏霊場巡拝の道めぐりは洛西にある7つの札所を2日間でめぐるルート。まず下車したのは阪急京都線の洛西口駅。開業は2003年と阪急の中でも新しく、周辺の開発もまだまだ進められている一帯である。ちょうど京都市と向日市の境界に位置している。
これから向かう大原野神社だが、以前に西国四十九薬師めぐりの際に一度訪ねたことがある。薬師霊場の正法寺、勝持寺を訪ねた際、近くにある大原野神社にも立ち寄った。その時は阪急の東向日から阪急バスで善峯寺まで上り、その帰途に灰方で下車し、徒歩でこれら寺社をめぐり、南春日町から阪急バスで東向日に戻った。その南春日町へはJRの桂駅から洛西口駅を経由する便があり、今回はこれに乗ることにする。
洛西口から乗ったのは私を含めて3人だけだったが、団地や住宅地が広がる一帯に入り、洛西バスターミナルに到着すると地元の人たちで席が埋まるくらいの乗車があった。京都市街へ向かう系統のバスが乗り入れるほか、ちょうど商業施設が隣接しており、地元の人たちにとっては日常的に利用しているのだろう。
住宅地と竹林が入り交じる中を走り、南春日町に到着。大原野神社へは歩いて5分ほどである。大原野神社の鳥居の前には、西国四十九薬師めぐりで訪ねた正法寺がある。
鳥居をくぐって参道を歩くと、鹿があしらわれた灯籠が並ぶ。また「神鹿苑」の碑もある。かつてここでは鹿を飼育していたそうで、鹿が神様の使いといえば・・どこかで聞いたことがあるぞ。春日大社だ。
大きな案内板がある。「紫式部 氏神のやしろ」とあり、これも鹿をキャラクター化した藤原道長、紫式部のイラストが描かれている。昨年(2024年)の大河ドラマにあやかってのことのようだ。
大原野神社は藤原氏の氏神である春日大社の4柱の祭神を勧請する形で、桓武天皇が長岡京に遷都した際に開かれたという。都が長岡に遷った後、奈良まで参拝に行く不便さを解消するためと言われている。現在地に社殿が設けられたのは平安初期の頃とされる。その後、藤原氏に女の子が生まれるとその子が皇后や中宮になれるよう祈願し、それが叶うと行列を整えて御礼参りをしたそうだ。
紫式部も藤原氏の出で大原野神社を篤く信仰しており、「源氏物語」でも帝が大原野神社に行幸する場面が描かれているとのこと(案内板による)。その後は藤原氏の力も衰え、応仁の乱の後は荒廃したが江戸時代の後水尾天皇の頃に復興し、現在に至る。
巻物をくわえた鹿の像がある手水場にて手を清め、参拝である。拝殿ではちょうど祈願が行われているところで、それに合わせる形でお参りとする。
朱印をいただく。ちょうど節分の前ということで、厄除開運の福豆も並ぶ。一袋買い求めるとくじが1回引けるとあり、それを開けると中には「海老」とあった。「はい、海老ということでこちら、えびせんをどうぞ」と、かっぱえびせんの小袋をいただく。福豆とかっぱえびせん・・ちょっとしたアテにいいだろう。
境内の一角に「神相撲三百年記念碑」があり、その奥に土俵がある。大原野神社の神相撲とは、毎年9月の御田刈祭で奉納される相撲で、昔からの作法、しきたりに沿って行われるそうだ。
相撲といえば、先ほど朱印と福豆をいただいた時、社務所の窓ガラスの一角に力士のサインが掲げられていた。その名は若碇。つい最近十両に昇進した力士である。父親は元・大碇の甲山親方で、若碇自身は東京で生まれ育ったがプロフィールは父親と同じく、ここ大原野神社がある京都市西京区を出身地としている。京都府出身の力士というのもなかなか少ない中、これからが期待の力士である(ちょうどこの初場所、十両の優勝争いに加わっていたが終盤の取組で負傷、そのまま休場となったが・・)。
復路は発車のタイミングがよかった阪急バスに乗り、東向日に出る。この日は駅前の餃子の王将で昼食として、再び阪急に乗る。次は京都7番・松尾大社に向かうべく桂で阪急嵐山線に乗り換える・・・。