まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

神仏霊場巡拝の道~近江八幡にて年越し、酒場放浪記に乾杯!

2024年01月08日 | 神仏霊場巡拝の道

2023年の年越しは近江八幡ということになった。神仏霊場めぐりの中であるが、JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」の期限が近づく中、まだスタンプを収集していない駅を訪ねること考えての宿泊先選びもあった。その一つが近江八幡である。結局大晦日は夕方に近江八幡に着いたのでそのまま宿泊し、元日は朝のバスにて長命寺を訪ね、帰りに日牟禮八幡宮に参拝する予定である。

宿泊する「ABホテル」は愛知県を中心としたホテルチェーンだが、滋賀県では近江八幡のほか、彦根、湖南に店舗がある。他の店舗を利用したことがあるが、全般的に機能的、割安な印象である。

デスクの上には「どん兵衛」の天ぷらそば(ミニサイズ)が置かれていた。年越しそばとして、ホテルからのちょっとしたサービスである。先ほど、コンビニで普通サイズを仕入れたのだが、こちらはこちらでありがたくいただこう。

まずは大浴場(といっても4~5人が限度だが)にて憩う。ABホテルは「日本全国の名湯めぐり」というのも売りにしており、こちらは「白浜の湯」とある。白浜か・・久しく行っていないなあ。神仏霊場めぐり、および西国三十三所のデジタルスタンプラリーで近々熊野三山方面に行くことを計画しているが、さすがに広島から1泊2日では白浜温泉に立ち寄るだけの時間はなさそうだ。

しばらく部屋でくつろいだ後、外に出る。ロータリーにはささやかなイルミネーションが照らされている。近江八幡の市役所や観光名所は北口側にあるのだが、南口側にはイオンショッピングセンターが建ち、あちらのほうが賑わっているように見える。

大晦日の夜ということでお休みの店も多く、一献に適したところがなければイオンで総菜を買って部屋飲みとも思ったが、グルメサイトにて、北口ロータリーに面した建物にある「らいおん丸」という店を見つけた。飲食店グループのブランドの一つだが、「らいおん丸」とはね・・先ほど近江鉄道の近江八幡駅ホームにて埼玉西武ライオンズのロゴが入った駅名標や待合室を目にした後で、そちらのつながりもあるのかと想像してみる(実際は違うと思うが・・)。

炉端居酒屋ということだが、店員や店内の客層も若い人が多く、賑わっている。次々に来客があるが、1人、もしくは2人なら飛び込みでも何とか空いている席があったが、それ以上となると満席でお断りしていたようだ。まずは生ビールのジョッキで、いろいろあった2023年を振り返る一杯とする。

メニューは豊富なラインナップだが、仕入れの関係で品切れのメニューもちょいちょいあった。滋賀らしい一品として鮒寿司もあったのだが、こちらも残念ながら品切れ・・。まあ、大晦日だから仕入れ全般が普段より薄いのだろう。どうしても鮒寿司を食べたいなら、イオンショッピングセンターの鮮魚コーナーにあるかもしれない・・。

その中で今回メインになったのは、隠岐直送という白イカの豪快姿造り。いただいた後、ゲソは天ぷらにしてくれた。

こちらはタラの白子。季節メニューには他に寒ブリのしゃぶしゃぶもあったが、鍋ものは2人前からとのことで断念。今思えば、寒ブリの刺身なりたたきなり注文すればよかったかな。

蟹味噌甲羅焼き。脚もついてきたのが贅沢な演出だ。

元々はまぐろの血合いを注文したがこちらも品切れとのことで、代わりに馬刺しの盛り合わせ。店員が「紅白盛り合わせです」と持ってきてくれる。赤身とたてがみの紅白二種盛り。薬味と合わせて美味しくいただく。

飲み物だが、生ビールの後はキンミヤ焼酎のサワー。

後半は滋賀の地酒に進む。単品もあれば各種呑み比べセットもある。その中で「店長厳選呑み比べ」として、「松の司」、「喜楽長」、「七本槍」のセットをいただく。ちょうどやって来たししゃも焼きと合わせて楽しむ。いずれも結構な味で、滋賀の夜、無事に締めることができた・・。

そのままホテルの客室に戻る。もう一度大浴場に入り、後は部屋飲みで一人二次会である。そのアテは、「吉田類の年またぎ酒場放浪記」(BS-TBS)。リアル酒場の後は、酒場詩人との画面越しの一献である。

大晦日の夜といえば、紅白歌合戦の司会や出場歌手が話題となり、民放各局は裏でどのような番組を流すのかも注目されるが、この数年、私としては「吉田類の年またぎ酒場放浪記」一択である。いわゆる視聴率にはBSの番組はカウントされないようだが、大晦日の夜、これを楽しみにしている方もそれなりにいることだろう。もっとも、BSチャンネルのため、ホテルによってはたまに入らないことがあるので注意が必要だが、ABホテルは大丈夫だった。

「酒場放浪記」のレギュラー番組はやはり東京近辺の店が中心だが、この「年またぎ~」では吉田類さんが地方の酒場を順々にめぐっていく。今回の行き先は東北。東日本大震災で被災した福島~宮城~岩手の海岸沿いに行く。

まずはいわきで地元の郷土料理を堪能した後、浪江では津波や原発事故から復活を遂げた酒蔵を訪問。

気仙沼も訪ねていた。こちらも津波で大きな被害を受けたところ。

他にも、パラグライダーや遊覧船、果ては三陸鉄道の「こたつ列車」での「呑み鉄」・・・。西に住んでいると東北地方はなかなか訪れる機会がないのだが、こうした旅番組、酒場めぐりの風情を十分に楽しませてもらう。

・・・ところかわって、年またぎのカウントダウンは東京・住吉の「山城屋」から。いかにも下町の大衆酒場といった風情である。訪ねたことがない店だが、画面越しにこういう雰囲気を見るとぜひとも行ってみたいと思う。

そこで吉田類さんと進行役で登場したのが、TBSの日比麻音子アナウンサー。ニュースや情報番組で目にするアナウンサーだが、自ら公表する酒好きとは知らなかった。「おんな酒場放浪記」のレギュラーも新たに務めているとかで、ビールの飲みっぷりもいい。見た目とのギャップもあり、もしこういう素敵な女性と大衆酒場のカウンターで隣り合わせで一献できたら最高だ。

そしていよいよカウントダウンということで、樽開きの準備。

そして2024年の幕開け、店内では乾杯の応酬、私も画面越しに吉田類さん、日比麻音子さんと乾杯・・・!

こうして、2024年は明るい感じで幕を開けた・・のだが・・・。

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神仏霊場巡拝の道~近江鉄道にてちょこっと乗り鉄

2024年01月07日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の年末年始神仏霊場めぐりの当初の目的地である三千院、寂光院を訪ね、バスで京都駅に戻る。雨はやみ、雲の中から晴れ間も見えるかと思えばまたどんよりとするなど、冬の空らしく安定しない。

時刻は13時を回ったところで、このまま大晦日の宿泊地である近江八幡に向かい、大晦日に長命寺、日牟禮八幡宮を先に回ってしまうこともできそうだ。たださすがに、それは元日でもよいのではないかとも思う。

ここでふと思い立ったのが、近江鉄道に乗ってみようというもの。以前、滋賀県内の札所をクルマで回った際、水口~日野~八日市の区間で近江鉄道の線路と並走したことがあるが、経営が厳しいローカル鉄道ということもあり、やはり鉄道に乗っておきたいという思いがあった。今回は札所めぐりの直接のアクセスではないが、近江鉄道の南半分に乗ることにする。

まずは貴生川に向かうべく、京都からJRで草津まで乗り、13時57分発の草津線柘植行きに乗り換える。乗ったのは京阪神近郊を走る221系だが、少し前まで113系や117系といった国鉄近郊型車両が残っていた路線である。草津線に入ると日差しも出てきた。

14時21分、貴生川到着。近江鉄道のほか、信楽高原鐡道との乗り換え駅である。JRの改札を抜け、近江鉄道のホームに向かう。この先、八日市を経由して近江八幡に向かうが、貴生川~近江八幡の普通運賃が930円のところ、「1デイスマイルチケット」を購入する。このきっぷだと900円で近江鉄道全線が1日乗り放題で、普通に近江八幡に向かうだけで元が取れてしまう。これから乗るのは14時28分発の米原行き。近江鉄道に乗るのが目的なら、そのまま米原まで行けばより乗車距離が長くなるのだが、この時点では、八日市から先はひょっとしたら翌日(元日)に乗るかもしれないということで取っておくことにする。

2両合わせて10人ほどの乗客で発車。次の水口城南との間、遠くに野球場の照明が見える。甲賀市民スタジアムである。

プロ野球独立リーグの一つであるBCリーグに、かうて「滋賀ユナイテッドベースボールクラブ」という球団が存在したことがあった。関西にもBCリーグの球団ができたということで、大阪勤務時代に滋賀には何回か足を運んだことがあるが、甲賀も本拠地球場の一つだった。その後、滋賀球団は名称や所属リーグの変更を経て、現在は活動休止となっている。BCリーグじたいも最も多い時で東は福島から西は滋賀まで12球団あったが、北陸を中心とした球団の離脱、活動休止などで関東甲信越を中心とした8球団となっている。そして2024年、新潟アルビレックスがNPBのイースタンリーグに参入することとなった。静岡のハヤテ223とともに、新たな野球の目玉になれるかどうか。

以前の滋賀の札所めぐりで宿泊した水口までで乗客の多くが下車し、残ったのは私以外2人だけ。日付、時間帯によるとは思うが、それにしても寂しい。

近江商人の拠点の一つである日野を過ぎる。

京セラ前に到着。京セラの工場が近いことからこの駅名だが、京セラドーム大阪の最寄り駅と間違えてやって来る人がいるというのでネタにされる駅である。どこをどうすれば大阪と滋賀を間違えるのかと思うが、今はスマホに駅名を入れると経路を検索してくれるが、そもそも駅名じたいの入力を間違えたり、あるいは表示された結果を確認しないまま、画面の通りに移動してしまう人もいるのだろう。

八日市に到着。近江八幡行きに乗り換えのため下車する。ホーム向かいに停車中の車両に乗ればよいのだが、「1デイスマイルチケット」を持っていることもあり、いったん改札を出る。

八日市には「近江鉄道ミュージアム」がある。入場無料で、改札内にあるが駅員に声をかければ入れてくれるとある。こちらには近江鉄道の歴史や沿線の案内、かつての鉄道用品などが展示されている。昔ながらの木造駅舎がいくつか現役で残っているのも、ノスタルジーを感じさせる。沿線にもさまざまな見どころがある。また、かつての車両の運転台や座席も置かれており、子どもたちの遊び場にもなっている。

先ほど、八日市から先の米原方面は元日に乗るかもしれない・・と書いたが、その理由として、多賀大社に行ってみるのもありかなというところがあった。多賀大社も神仏霊場の札所の一つ。湖東エリアには他に数ヶ所の未参詣の寺社があるが、それらを回るにはクルマが必須。その中で唯一、鉄道駅からのアクセスがよい多賀大社に、近江鉄道の乗車も兼ねて行くことも考える。翌日の動き次第だが・・。

15時38分発の近江八幡行きに乗る。カーブを曲がったところにある次の新八日市も、かつての木像建物が残る駅の一つである。遠くに太郎坊宮も見える。近江八幡行きということで駅ごとに少しずつ乗客も増える。

終点の近江八幡に到着。京都から少し遠回りしたが、近江鉄道ののんびりした時間を楽しむことができた。駅名標の写真を撮ろうとよく見ると、はいつの間にか「ライオンズブルー」のデザインになっていた。

そして待合室にもライオンズのロゴが並ぶ(気づかなかったのだが、待合室後ろの外壁には選手たちの肖像が描かれているそうだ)。

その間に背番号36の等身大パネルが立つ。地元・滋賀出身の山田陽翔投手。近江高校で甲子園に3季連続で出場、ルーキーイヤーの2023年は1軍登板がなかったが、これからに期待の投手であり、地元出身ということで近江鉄道のPRにはもってこいだろう。

改札を出て、JR側に向かう。ここで、JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」のQRコードを読み取る。

この日の宿泊は、北口のロータリーにある「ABホテル近江八幡」。手頃な価格、大浴場付きということで選択。2023年はここで年越しである・・・。

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京都25番「寂光院」~神仏霊場巡拝の道・80(建礼門院と再建地蔵菩薩の寺)

2024年01月05日 | 神仏霊場巡拝の道

三千院の参詣を終え、次は大原のバス停を挟んで西側にある寂光院を目指す。まずは川沿いの脇道を抜け、案内板に沿って歩く。この辺り、京都市とはいっても完全に洛中からは外れており、里山の景色が広がる。雨は三千院以来ぽつぽつ降ったままだ。

その中で、民宿である「大原の里」などの看板も見える。京都の奥座敷といったところで、のんびり、ゆっくりするにはよいかもしれない。

寂光院の入口に着く。通りに面して木戸はあるものの、まずは拝観料を納め、朱印帳を預けて石段を上がる。

寂光院は、聖徳太子が父の用明天皇の菩提のために開いたとされる。ただそれよりも、「平家物語」に登場する建礼門院が壇ノ浦の戦いの後に隠棲したところとして知られている。

石段を上がり、雨の中、本堂の外からお勤めしようとすると、寺の方が扉の中から顔を出し、本堂に入るよう呼ばれる。雨が降っているからというわけではなく、参詣者がいれば随時寂光院の案内をしているという。横の上り口から中に入る。

先に書いた建礼門院とは、平清盛の娘・徳子のことで、後に高倉天皇の皇后となり、安徳天皇を産んだ。壇ノ浦の戦いの時に入水したが助けられ、京に送られた。その後は寂光院にて隠棲生活を送り、「平家物語」では最後に後白河法皇が訪ねてくるところで幕を閉じている。「盛者必衰の理」を総括した場面として名高い。

正面に祀られているのは本尊の地蔵菩薩。両脇には建礼門院と、建礼門院に仕えた阿波内侍の像も祀られている。

この地蔵菩薩について解説がある。先代の地蔵菩薩は鎌倉時代の作とされ、体内には多数の小型の地蔵菩薩像が納められていた。ところが2000年5月、寂光院が放火に遭うということがあった。江戸時代再建の本堂は全焼、地蔵菩薩も焼け焦げたという。現在の本堂、ならびに地蔵菩薩、建礼門院や阿波内侍の像は2005年に再建された。

境内の外には、建礼門院が隠棲していた庵の跡地があるという。順路に沿って進むと石碑がひっそりと建ち、ここが跡地であることを示す。現在でも洛中を離れた里山の奥という佇まいのところ、当時としてはよりわびしかったことだろう。

奥の収蔵庫に、焼け焦げた本尊地蔵菩薩が安置されており、特定日のみ開放されるという。

境内に戻り、見学自由の宝物庫に入る。こちらでは大原や「平家物語」の紹介に加え、2000年に起きた寂光院の放火と本堂、本尊の再建についても取り上げられている。当日の様子を大きく伝えた京都新聞の記事がパネルになっており、当時、地元の人たちにとってはショッキングな出来事だったことがうかがえる。地蔵菩薩の体内に納められていた地蔵像も何とか残されている。何だろう、これも仏の力によるものか、何かの身代わりにでもなった地蔵菩薩の強さというのか・・そういったものを感じる。結局、放火の犯人は不明のまま時効を迎えたそうだが、犯人は何を思って寂光院を燃やそうと思ったのだろうか。

一通り回り、受付で朱印帳を受け取る。

さて、これで今回の目的地である寂光院を訪ねたのだが、次の行き先を決めるあみだくじはこの後とする。この先、この日(大晦日)の宿泊地である近江八幡に向かい、滋賀10番・日牟禮八幡宮、滋賀11番・長命寺を回った後で決めることにする。

大原のバス停に向かううち、ようやく雨はやんだ。大原の2ヶ所を回ったところで昼になる。京都駅行きのバスに乗り、そのまま京都駅に向かう。まだ洛北、出町柳あたりはスムーズに走るが、三条で鴨川を渡り、洛中に入ると市内も人でごった返すのを見る。今年(2023年)最後の賑わいというのかな。今思えば、近江八幡の札所は別に明日(元日)でもよいわけだし、どこかで降りて京都の年の瀬を楽しんでもよかったかなという気もする。手頃そうな大衆酒場もあったし・・・。

京都駅に到着。とりあえず、滋賀に移動しよう。まだ天気は不安定だが、近江八幡の札所を前倒しで訪ねてもいいかなと思ったり・・・。

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京都26番「三千院」~神仏霊場巡拝の道・79(ひっそりとした大原へ)

2024年01月04日 | 神仏霊場巡拝の道

さて、2023~2024年末年始の神仏霊場巡拝の道。当初の予定では、12月30日の朝の新幹線で新大阪まで移動し、その後京都を経て大原の地に向かうはずだった。しかし30日の朝に寝坊してしまったことで、いっそのこと出発を昼にして、大阪までの移動、そして夜に予定されていた大学時代の友人たちとの一献で終了。

31日は西から天気が崩れるとの予報が出ている。その中、30日宿泊の「大阪コロナホテル」を出発し、新大阪8時04分発の新快速で京都に移動する。気がかりだったコインロッカーだが、さすがにこの時間は余裕があり、ホーム内の大型ロッカーを確保できた。

8時40分発の京都バス大原行きに乗車する。こちらも時間帯のせいか乗客も多くない。まあ、観光客で年中賑わう京都といっても、この時季の大原はシーズンオフなのかもしれない。京都駅から大原までは約1時間。市街地の車窓を見つつ、前日来の反動からか、ウトウトしつつ過ごす。

大原に到着。このバス停を挟んで東に三千院、そして西に今回の神仏霊場めぐりの目的地である寂光院がある。まずは三千院を目指す。

三千院にはこれまでに近畿三十六不動、西国四十九薬師めぐりで訪ねたことがある。まずは「大原女の小径」を歩く。大原というとどうしても「きょ~と~ おおはら さんぜんい~ん」のフレーズがよぎる(または、嘉門達夫さんの替え歌「は~ら~ たいらに さんぜんて~ん」)。この時間、まだ雨は降っていないもののどんよりした空である。ある意味、これも冬の京都の景色といえる。

通りにはしば漬やゆばなどを扱う店が並ぶ。もっとも大晦日ということで閉めているところも。

三千院に到着。門松の飾りつけもあり、それをバックに記念撮影する人も目立つ。

三千院が開かれたのは平安時代。伝教大師最澄の時代に比叡山に開かれた円融房が起源である。その後、比叡山の東の坂本を経て平安末期に大原に移る。ただ、その後は洛中などを転々として、現在地に落ち着いたのは意外にも明治の初めである。三千院という名称もその時からという。

参詣順路にしたがって、まずは中書院、客殿をめぐる。客殿はかつての御所の材木を活用して建てられたものである。この時季なのでいささか寂しいが、庭園も広がる。

渡り廊下から宸殿に向かう。ここが三千院の本堂にあたるところで、大正時代に御所の紫宸殿を模して建てられた。伝教大師最澄作とされる薬師如来が祀られている。神仏霊場の本尊もこちら薬師如来ということで、ここで縁側の一角に腰をおろしてお勤めとする。

とはいうものの、三千院のスポットといえばこの先のほうが知られている。まず苔むす景色を見つつ着くのは往生極楽院。往生極楽院は恵心僧都源信が開いた寺院だが、明治に三千院がこの地に移った際に吸収されたそうだ。こちらの阿弥陀三尊像は国宝。

そしてわらべ地蔵。苔と一体となったその佇まいが今の三千院で「映える」ところ。

石段を上がると、金色不動堂、観音堂が並ぶところ。いずれも平成になってからの建物である。それぞれのお堂にて手を合わせる。

鎌倉時代の阿弥陀如来の石仏、そしてこちらにもわらべ六地蔵が並ぶ。

円融蔵に着く。こちらは展示室、収蔵庫も兼ねていて、展示室には往生極楽院の堂内の「舟底天井」を創建当時の姿に再現した一角もある。平安の極楽往生の願い。

こちらにて朱印をいただく。

外に出たところで雨が落ちて来た。予報通りではあるし、冬の京都だから雨が落ちるのも致し方ないが、やはり気が滅入る。この後、大原バス停を挟んで寂光院まで歩くのだが、こうなるのならやはり前日30日、寝坊しなければ冬の澄んだ青空の下で散策できたのに・・と悔やむ。

川沿いに坂道を下り、大原バス停に戻る。今回の目的地である寂光院を目指すことに・・・。

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神仏霊場巡拝の道~年末年始の予定が最初から・・・

2024年01月03日 | 神仏霊場巡拝の道

この年末年始休みは、帰省をかねての神仏霊場巡拝の道めぐりである。前回巡拝したあとのあみだくじにて、次の行き先は京都25番・寂光院である。寂光院はこれまで訪ねたことはないが、京都・大原にあり、大原のバス停を下車して三千院とは逆方向に歩いたところにある。平清盛の娘で、安徳天皇の母である建礼門院徳子が平家滅亡の後に隠棲したところとして知られる。

寂光院に行くなら、同じ大原にある三千院とセットで訪ねることとする。そしてその組み合わせだが、あることを考えていた。

それは、JR西日本でキャンペーン中の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」。これまで、西国三十三所の4巡目と、神仏霊場めぐりの組み合わせの中でこのデジタルスタンプラリーもやっていたが、このキャンペーンも2024年3月末で終了予定である。どうせならすべて達成したいのだが、まだまだ残っている駅も多い。青岸渡寺(紀伊勝浦)、紀三井寺(紀三井寺、和歌山)、三室戸寺(宇治、黄檗)、醍醐寺(山科、六地蔵)、穴太寺(亀岡)、播州清水寺(相野)、成相寺(天橋立)、松尾寺(東舞鶴)、長命寺(近江八幡)である。結局、南の端と北の端が残ったままである。

実は京都の寂光院に決まる前に、いっそこれらの駅を基準として、熊野三山や天橋立も含めて年越しの場所を決めるあみだくじをやってもいいかなと考えたこともあった。ただまあ、京都に行くのは行くとして、その後に近隣のどこかに宿泊してとりあえず近いところだけでもこの年末年始に抑えておくことにした。私のスケジュールとして、29日まで仕事、30日の朝から出て大原の2ヶ所を廻り、その夜は大阪ミナミで大学時代の友人たちとも忘年会が想定されるとして大阪に戻り、そのまま宿泊。そして31日に出かけてそのまま年越し、1日の夕方に実家に帰省という大まかなプラントなった。

そこで31日の宿泊の候補に挙がったのが、亀岡と近江八幡。いずれも駅前の大浴場つきホテルに空席がある。結局、大晦日の一献その他の条件にて、31日夜は近江八幡泊と決めた。

さてこの年末年始期間中、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」が全席指定席扱いとなった。それを見越して30日の朝6時台の「のぞみ」を予約した。そして29日、急遽職場にて忘年会(というかささやかな送別会)が入り、広島駅に出ることになったのでそのまま引き換えておいた。なお今回、年末にもかかわらずJR西日本の「WESTERポイント」を使った特急券を購入することができ、通常よりも安く移動することができた。

・・・そして迎えた30日、目覚めると朝7時を回っていた。確かに前日、広島駅近くで遅くまで飲んでいたが、きちんと家には帰ったし、まあ支度は翌朝起きてからでも間に合うかと、風呂にも入って就寝した。いつもならスマホのアラームで起きるところだが、やはり過ごしたか・・・。

幸い、紙の特急券は手元にある。乗り遅れた場合の扱いだが、どうやら普通の特急券の場合と同じく、その日の後続の列車の自由席なら乗ることができるようだ。ただし「のぞみ」は年末年始は全車指定席のため、デッキに立つことになるが、それも面倒だ。ならばいっそのこと30日は広島でゆっくりして、「こだま」で新大阪まで行き、札所めぐりは31日以降とするか・・・。

結局、広島12時38分発の「こだま850号」岡山行きで出発。こちらは500系だ。先頭8号車の自由席に乗車する。

途中駅での通過待ちの時間も、「こだま」ならではである。

終点の岡山からは14時36分発の「ひかり514号」東京行きに乗り継ぐ。「こだま」、「ひかり」いずれも自由席は十分な空席があり、時間を気にすることなくゆったり移動することができた。

さすがに新大阪駅構内はごった返している。いったん、在来線コンコースに出たのだが、そこで出迎えるのはダイハツの展示車。昨年末、いわゆる「大規模不正」で問題となったばかりだ。工場の操業停止は12月末のことだったので、まあ一足早い年末年始休みに入ったと言えなくもないが、年が明けると各方面に多大な影響が出ることだろう。

宿泊先としたのは、新大阪駅東口にある「大阪コロナホテル」。その名前のため、あのコロナ禍の時には風評被害もあったが、その逆境を逆手にとった営業戦略で逆に有名になったところである。私も以前に泊まったことがあるが、ロビーのいたるところに豚の置物が目立つのが印象的だった。オーナーが無類の豚好きということもあるが、豚はさまざまな国で富や繁栄の象徴ともされている動物である(豚の貯金箱もその一つ)。

しばらく休憩した後、大阪メトロで難波に移動。2022年末以来の飲み会を楽しむ。

新大阪に戻り、大浴場に入る。少々混んではいたが、内風呂、露天風呂それぞれ楽しむ・・・。

そして翌31日。雨の予報が気になる(それだけに、天気のよい30日に京都のスケジュールはこなしておきたかった)が、仕方ない。出発前に朝食である。バイキング形式はメニュー豊富だが、大阪らしさということで、どて焼き、ミニ串カツもあればさらにたこ焼きもある。朝からしっかりいただく。

そして新大阪からまずは京都に移動する。多客期、大陸からの客も多く見込まれる中、コインロッカー、空いているかな・・・。

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新年のご挨拶・・どころではない元日の地震

2024年01月01日 | ブログ
本年もよろしくお願いします・・・という元日のはずだったが、ちょうど実家に向かう電車の中で、乗客のスマホから一斉に警報が鳴ったのに驚いた。

石川県能登地方で最大震度7の地震、そして大津波警報。今後被害が心配である・・・。
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