ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

時と場所をわきまえる

2010年02月18日 | ひとりごと
昨夜、な~んにも知らなかった息子Kに、国母選手の一連の騒動を話しました。
兄のTとはかなり違った個性を持つK。それもどちらかというと国母くん寄りの性格の持ち主で同い年なので、彼がどういうふうに思うか聞いてみたかったのです。

まずKは、彼がどんな選手であるかも知らないからと、いろいろな大会で演技をしている彼のビデオを観、最後に今回の「ちっ、うっせぇ~な」会見を観ました。
Kは観た瞬間、「くぅ~」っといううめき声を出してうつむいたので、「なによ」と言うと、「わかる、わかり過ぎる!」と苦笑いしながら一言。

「わかるって、なにがわかるん」
「説明し難い」
「ふぅ~ん……」
「けど、ボクはこんなことはせんよ。時と場所をわきまえてるから」

同い年の、なんとなぁ~く雰囲気が似通っている息子ですが、彼なりに大人になっていたようです。

などと密かに喜んでいたら……台所でお茶碗洗いしているKにちょっと小言を言った途端「ちっ、うっせぇ~な」……。
ごっつんゲンコツかましたりました。
コメント (5)
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ルールと価値観

2010年02月18日 | ひとりごと
河野太郎さんという方がご自身のオフィシャルサイトに掲載されていた文章です。昨日の記事にコメントしてくれたかわちゃんから教えてもらいました。
わたしが漠然と思っていたことを言葉にしてもらったような気がしたので、ここに残しておこうと思いました。 
 

『スノーボードの国母選手の服装が問題視された事件が数日前にあった。この事件への対応が少し気になっている。
というのも、ルールと価値観が混同されているような気がする。

国母選手の空港での服装がだらしないと思う日本人はかなりの数いると思う。僕も国母選手の服装は格好悪いと思う一人だ。
しかし、腰パンのどこが悪いという日本人も少数派かもしれないが若者を中心にいることだろう。

スキー連盟の会長が「大いに不愉快」と発言をされていたが、そう思う人がいても不思議ではない。
しかし、不愉快に思ったり、だらしないと思ったりというのはその人の価値観であり、誰かの価値観にあわないから処分するというのは、私的な集まりではともかく、オリンピック代表団のような公の場では行えないはずだ。公の場での処分は、明確なルールに違反しているときでなければいけない。

たとえばもし、国母選手が定められた代表団のブレザーやネクタイを着ていなかったというならば、ルール違反で処分されるべきだ。
ルールは守らなくてはならない。しかし、価値観は多様だし、多様であるべきだ。
ルールで定められていないことについて、後から価値観を理由に、公の場で処分するのはいかがなものか。
しかも批判が多く寄せられたから、公式な応援を取りやめるとか、誰かが不愉快に思ったから行事に出席を自粛させるというのは、対応としておかしい。

オリンピックの日本代表団の編成方針には、「日本代表選手団は、礼儀を尊び規律を遵守し、活力ある日本を代表するに相応しい選手・役員をもって編成する」と定められているそうだ。
国母選手は、この編成方針に沿って選手団に選ばれている。ということは、彼のそれまでの服装や態度は、問題視されていなかったということになるのではないか。
オリンピックの日本代表には着こなしも重要な要素であるというならば、選手選考のときに、代表団の編成方針にあっていない選手はたとえ強くとも選ばなければよかっただけだ。

漫画家のやくみつるさんが「本来、制服を着崩すことがよくないのに、学校では恒常化しており先生がとがめることもない。この風潮に待ったを掛けるためにも、国母選手は本国に召還すべきだ。」と発言されている。日本相撲協会外部委員でもあるやくさんの気持ちはよくわかる。
しかし、学校で恒常化している着崩しを止めるために、国母選手を処分するということがあってはならない。
処分はルールに違反したから処分されるのであって、誰かの価値観にそぐわないからと処分をしてはいけない。

国母選手は、記者会見で、鼻ピアスもやめたという。空港での服装がちゃんとしていたら、鼻ピアスはしていてよかったのだろうか。服装がだらしないから鼻ピアスもやめろということならば、まるでルールはなく、誰かの感情や価値観で物事が決まっていることになる。
腰パンは駄目、鼻ピアスは駄目、でもドレッドヘアは良いという線引きは、何を基準にしているのだろう。
鼻ピアスはだめだけど、耳のピアスは良いのだろうか。女子選手なら鼻ピアスも良かったのだろうか。
腰パンは駄目だけれど、茶髪は良いのだろうか。金髪に染めるのはどうなのだろうか。モヒカン刈りは不愉快ではないのか。
ワイシャツの一番上のボタンが留まっていないのは許されるのだろうか。シャツの裾はズボンに入っていれば、多少ネクタイがゆるんでいても良かったのか。

日本の学校も、日本の社会も、ルールは確実に守る、ルールに違反したらなんらかの処罰がある。
しかし、価値観は多様であるということを教え、受け入れるべきではないだろうか。
だからといって国母選手がなにも痛い思いをしないというわけではない。

国母選手もスノーボードの競技を続けていくならば、強化のためにスポンサーが必要になってくるだろう。
そのときに、腰パンにゆるめたネクタイで人前に出てくる選手とぴしっとした格好で人前に出てくる選手のどちらにスポンサーがつくだろうか、ということを考えなくてはならなくなる。
そのときに彼がぴしっとした格好をするか、腰パンでも金メダルを取った選手をスポンサーが選ぶと判断するか、それは彼の選択だ。

価値観にあわないから、日本選手団の中でも特定の選手を個人的に応援しなかったり、喜ばなかったりするのは自由だ。
しかし、定められたルールではなく、特定の人の価値観にあわないからといって、処分を下すのはおかしい。
ルールがないから、処分できないので強制的に自粛させるというのはもっとおかしい。

頑張れ国母。僕は応援するぞ。

実は先日、ある通夜に行ったら、ご遺族の高校生が、制服のズボンが腰パン状態で、焼香をしていた。びっくりした。
ご両親は、注意しなかったのだろうか。高校生の彼は故人に敬意を表して制服を着ていたのだろうか。
やくみつるさんが嘆く気持ちがよくわかる。
学校も制服は定めても制服をどう着るかというルールを定めていない、あるいは定めていてもそのルールを守らせていない。
家庭でも、その場にあった服装とはどういうものかを教えていない。

それで国母のことを怒ったって。

制服の着こなし方をきちんと定めて、その通りに着てこない生徒は学校に入れない。度重なったら停学にする。
それぐらいのことを公立の中学校、高校でもやるのかどうか。それだけの覚悟が日本の社会にあるのか。

そこまで今回議論しても良いと思うし、議論すべきだと思う。

ついでに言うと、お通夜に黒を着て行ってはいけない。昔、通夜に黒い礼服を着ていって、オヤジにおまえは何を考えとるのかとぶん殴られたことがある。
でも、最近のお通夜ではほとんどの人が黒を着ていく。ひょっとしたら橋本団長もスキー連盟の会長もお通夜に黒を着ていくかもしれない。

国母はそれを見てなんか言うだろうか』


オリンピックの競技がすべて終わって、なにもかもが平常に戻った時、騒ぎ立てたマスコミが、社会に向けてこの問題がどうして起こったのかについて考えよう、語り合おうという動きを見せるのなら、わたしは騒いだ意味もあるかもしれないと思っているので、興味を持ってその後の報道を様子を観察しようと思います。


 
コメント (4)
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