旦那と旦那母と3人で、それぞれ好みの朝食をとりながら、母が勉強したコースの内容などを聞いていた時、旦那がつららを見つけました。
裏庭への階段口に、こんなおっきなつららがいっぱいできていました。
今日のACMAの演奏ミーティングは、タイソンにとって最後の演奏です。
昨日のリハーサルの酷さが少し気にかかったけれど、とにかく今日はベストの演奏を、彼のためにもしたいと思っていました。
家に居る時からだんだんと緊張感が増してきたけれど、今日ばかりはこれに負けるわけにはいかないと、最後の部分練習に励みました。
旦那と旦那母は、そんなわたしの邪魔にならないようにと、ふたりで散歩に出かけたり、いつも行くお茶屋さんがチャイニーズニューイヤーの催しをしているとかで、それを見に行ったり、旦那のオフィスの見学に行ったり、はたまた台所の片付けをしてくれたり、とても気遣ってくれてありがたいやら申し訳ないやら。
母はわたし達が出るのと同時にペンシルバニアの家に戻り、旦那はわたしを乗せてマンハッタンに向かってくれました。
ホールのピアノを試し弾きしてみると、どうしてだかいつもより音量が増えていて、特に低音の響きがどうコントロールしてもうるさいのです。
こりゃ大変!とばかりに、蓋を全部閉めて極力左手を弱く弾いてみましたが、どうもうまくいきません。
客席に戻ると、入り口付近に居たジェーンが、「まうみ、ちょっと左手の音が大き過ぎるよ、いつものまうみらしくない」と忠告してくれて、ああ、これはやっぱりわたしだけが感じたことじゃなくて、結構深刻だと確信しました。えらいこっちゃ!
それで、上の階の空いているレッスン室を借りて、急きょ音のバランスを変える方法を模索してみました。出番は1部の4番目。時間がありません。
地下のホール会場に戻るとタイソンも来ていて、ピアノの事情を話しました。
それと昨日、わたしは彼に、数カ所の楽譜の変更をお願いしていました。
『極弱く』とか『優しい音色で』とか指示されてあっても、どうしてももっと音量が欲しい(わたしが勝手にそう感じた)部分があって、どう歌って欲しいか伝えたところ、彼もそれでいいと賛成してくれたので、わたし達専用の強弱に変えたのでした。
そこにもうひとつ、今日はピアノがかなり鳴り響くので、全体的にいつもより音量を上げて弾いて欲しい、とお願いしました。
舞台に出て、ピッチをピアノの音と合わせ、さあやろう!と目で合図し、まずはわたしが弾き始めました。
タイソンがしばらくして入ってきて、ああ、彼はすでにピアノの音を理解して、いつもとは違う音を出している!と感動しました。
ふたりの音がうまく溶け合い、絡み合い、今日は本当にいい演奏ができていると自分でも嬉しくなり、ピアノソロの丁度真ん中のとても繊細な部分に入った時、
「る~~~、る~~~」
なに?え?もしかしてタイソンのヴァイオリンになにか起こった?弦の調子が悪くなった?え?なに?なに?
わたしのソロなのだからヴァイオリンの音が聞こえてくるはずがありません。けれど、その一定の長さで聞こえてくる音は、調子ハズレのヴァイオリンの音に限りなくそっくりだったのです?!
わたしの脳みそはものすごい速さでいろんなことを分析し始めました。
タイソンの様子を視線の脇で捉え、彼が心配そうにわたしの方をチラッと見たのが見えました。
「る~~~、る~~~」
違う!彼のヴァイオリンじゃない!携帯?まさか?でもそれだったらどうしてさっさと消さないのか?
「る~~~、る~~~」
多分、10秒か20秒かそこらの、短い間のことだったのかもしれません。
でも、それまで素晴らしく弾けていたわたしの指が少し乱れました。完璧だった世界に亀裂が入りました。
「る~~~、る~~~」
わたしの我慢の限界はもうすぐそこにまできていて、今にも立ち上がり、客席の方に向かって怒鳴りたい気持ちを抑えるのに必死でした。
曲はどんどん進んでいきます。ソロの部分が終わりタイソンが入ってきたので、やり直しはやはり賢明な選択では無いと思い、そのまま続けました。
短い間に突然噴火した怒りを消して、次の音楽に集中しないと、せっかくの至福の時間が台無しになってしまいます。落ち着け!忘れろ!楽しもう!
タイソンは、旦那曰く、今まで聞いた彼の演奏の中で一番素晴らしかった、ある意味凄みがあった演奏ができたようです。
ひょうひょうタイソンにもやはり、これが最後だという思いがあったのだと思います。
演奏を終え、客席に戻っても、どうしようもなく腹立たしくて座っていられません。
会場の後ろに居たジェーンとミッチェルの所に行って、携帯電話事情を話していると、「あ、それ、ボク……」とミッチェル。
ぬぁ~んだとぉ~
音が出てびっくりしたのだけれど、どこにあるのかわからなくてオロオロしてるうちにどんどん時間が経って、結局コートの中にあったとわかったけれど遅過ぎた……んだそうな。一応ニコニコしながら指に少し力を入れて首を絞めさせてもらいました。ジェーンは横で複雑な表情……。
まあ、そんなこんなの、やっぱり普通には終わらない演奏でしたが、聞きに来てくれたスポウドや他の観客の方々からは、温かなお褒めの言葉をいただき、わたしが自分で思っているほどはダメージが無かったのだと思うことにしました。
帰りにメンバー20人ほどで近くのジャパニーズレストランに行き、懇親会&タイソンのお別れ会をしました。
一度は彼と一緒に演奏したいと、密かに願っていたのに、なんと今日が最後だったとは知らなかったピアニストさん達。
「西海岸なんかに戻らずに、なんとかこっちで仕事を見つけてよぉ~!」と、数人のピアニストから迫られまくりながら、すき焼きを頬張るタイソン。
「まうみは知ってたの?知ってたのに独り占めしてたの?」と、今度はこっちに矛先が向けられて、でへへ~と誤摩化しながら、うなぎ丼を食べるわたし。
あともう一曲予約してあるもんね~、なんて、さらに厚かましいことを考えていましたが、そんなこと言おうもんならもう、おっとろしい展開になること必至。
でも、もし、もし、もしものもしも、3月の演奏会に弾けるようなことになった時のために、4楽章の練習は続けようと思っています。
フランクの曲は好きな人が多いのか、演奏会が終わってから、2人のヴァイオリン奏者とフルート奏者に、いつか一緒にしようと誘われました。
「タイソンとまうみは、なにか深いところでつながってるのがわかった。ああいう音の溶け合い方は不思議で魅力がある」と旦那がしんみりと言ってくれました。
今日もらった中で、1番嬉しい言葉でした。
タイソンは明日、つららなんか一本もぶら下がってないカリフォルニアに帰ります。