ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

めちゃくちゃでございますがな~のいちにち

2011年09月01日 | ひとりごと
昨日の夜、正確に言うたら夜中、それも3時過ぎまで、わたしはパタパタとパソコンのキーボードを叩いてた。
頭の中には、言葉がぎょうさん渦巻きを作ってて、それを整理しようにも、眠気と苛立ちと疲れの三連発で、なかなか思うように作業がはかどらず、
それでもまあ、なんとか一区切りつけて、旦那と別の、自分だけの寝室のベッドになだれ込んだ。

そしたらいきなり、今住んでる煉瓦の家が、気味が悪いほどユサユサと揺れる、大きな地震の夢を見た。
びっくりして狼狽えるわたしの周りには、大人になった(夢ではよく小さかった頃の息子が出てくるので)息子達と旦那がいて、
その3人に向かって、性懲りもなくわたしはまた、「落ち着いて、大丈夫、いや、けど、う~ん……」などと言いながら、近くの階段の手すりを掴んでいた。
どうして性懲りもなく、かというと、阪神大震災の時、大津に住んでいて、大きな余震に揺られるたび、「落ち着いて!落ち着いて!落ち着こう!」と叫んでいたのはわたしひとりで、
他の3人は、そんなわたしの狼狽えた姿を、実にシラケた顔をして見ていて、後々の家族伝説の中のひとつにしっかりと加えられてしまったからだ。

目が覚めても、なんとなくベッド自体が揺れているような気がした。
自分の体も、それから部屋自体も、まだ揺れが続いているような気がした。
急に、日本は大丈夫か?と心配になり、またパソコンをつけて、ニュースを検索したりした。
皆が無事でいるとわかってからも、なぜだか気持ちが落ち着かず、それから夜が明けてしまうまで眠れなかった。

先日のハリケーンのせいで、レッスンを変更した、とても遠くから来てくれる大人生徒のS子さん、もしかして今日違たっけか……。
などと、朦朧と思い出しながら、眠っているのかいないのか、なんとも中途半端な状態で、ベッドの上に横たわっていた。
そして……、目覚ましが鳴って、消しに起き上がり、そしてまた横たわって、寝てしまった……。

「せんせぇ~、すみませぇ~ん、遅くなってしまって~」

ぎょえぇ~~~!!S子さんっ!!
彼女はいつも、ちょびっと遅れて、それで悪いと思うからか、えらい勢いで玄関から入って来る。
今はまだ夏で、玄関のドアはパカンと開いていて、網戸が閉まっているだけなので、余計に素早い。

朝はいつも、旦那の方が早起き。
二階の彼の寝室から降りてきて、台所に入り、コーヒー豆を挽く音が聞こえるぐらいの頃に、ピアノ部屋の奥にある寝室から、のそのそと起き出してくるわたし。
問題は、寝坊そのものではなく(いや、もちろん寝坊も問題だが……)、寝ている場所が袋小路になっていて、家の中に入ってきた生徒との鉢合わせは避けられないこと。
旦那は前々から、夜中遅くまで起きていて、朝はぼぉ~っと寝ぼけて起きてくるわたしに、
「休み中は特に、午前中のレッスンを不定期に入れてるんやから、目覚ましだけはちゃんとかけること!ええ気になって夜更かしせんこと!」
と、口を酸っぱくして忠告し続けていた。

(こりゃもう、後で旦那にめっちゃ叱られる)……などと思いながら、

ベッドから飛び起き、必死になってなんとか誤摩化せそうな部屋着(実はパジャマ。洋服類は全部、二階の寝室にある)を探し出し、
髪の毛を手櫛で乱暴にとき、目くその点検をし、瞼を数回大きく開けたり閉じたりして、部屋のドアのノブに手をかけた時、

「あぁ~S子さん、あのね、えっと、あの、あっ、そうそう、実はちょっと聞きたいことがあるんですよ」

という、ナニゲに悲愴感&絶望感の漂う、けれどもめちゃくちゃ大声の、旦那の日本語が聞こえてきた。

「え?なんですかぁ~?」
「あの、それは、あの、外のことなんですよ!」
「え?外?」
「そうそう、外。だからちょっと、一緒に見てもらえませんかね」
「そうですかぁ~、じゃあ、ちょっとだけ」

旦那の声の端々から、「おらぁ~!なにやっとんねん!ボクが誤摩化したってるうちに、さっさと着替えて準備しとけっちゅうねん!」という怒り玉が、すっかり恐縮しまくっているわたしの心をポカポカと打ち込んでくる。

顔を洗う間など無く、歯だけ磨いて、ピアノ部屋の方のドア(一階のトイレにはドアが二つついていて、一方は台所に、一方はピアノ部屋に出る)から出た。

一件落着、めでたしめでたし!

と……、気をとり直してパソコンの前に座り、調べものをして、少しピアノの練習をし、お昼ご飯などを食べ、夏休み限定の昼1時からのレッスンをしていると、
なぜだかそれからずうっと、夕方の6時半まで、◯◯で変更した人、△△で急に今日に滑り込んできた人が次々にやってきて、
結局わたしは、顔も洗わず、パジャマ的服装のまま、最後の最後までレッスンをしてしまったのであった……。

いやはや、もう夜更かしはやめなあかん!と、毎晩心に誓うのやけど、それがなんとも難しく……ううむ……。
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おまかせ民主主義国家の成れの果て

2011年09月01日 | 日本とわたし
前回の記事の転載をさせていただいた『ダークホース』さん(福島在住の男性)から、とある、同じく福島在住の男性の方の、生の言葉が送られてきました。
わたしはこの言葉を、朝、仕事が始まる前のバタバタしている時に、トーストをかじりながら読んでいたのですが、
読み進むにつれて、体が震えてくるような怒りと、哀しみと、どうしようもない空しさを、その男性の言葉の中にひしひしと感じ、
泣けて泣けて、また読みながら泣けて、それから深いため息をついた後、この言葉をみなさんにも紹介させていただこうと決めました。

 
『頑張ろう日本!頑張ろうふくしま!と、奮起を促す声と励ましの声を、全国から頂いています。

温かい声と支援の手に、感謝の念を深くするのですが、私には奇妙な違和感が感じられて仕方がありません。

世界が驚きと尊敬の念を持って目にした、日本人の勤勉さ忍耐強さ、そして協調性は、間違いなくそれなりの経済的復興を約束している事には間違いがありません。

しかし、日本人が今回の震災から学び、本当に頑張らねばならない事は、そんな事ではないのではないのでしょうか?
私にはそう思えてなりません。

毎時30μシーベルトを記録した3月当時から較べれば、汚染の度合いはかなり低下しました。

建物を高圧洗浄機で洗い流し、庭の芝を剥ぎ、生垣の枝を落とし、丈を切って五割方小さくするなど、
除染対策を施した今は、0.6μシーベルト/h有った室内も、0.3μシーベルト/h程度まで低下し、
2.0μシーベルト/hあった庭土も、0.8μシーベルト/hに改善されました。

それでも、家の前の側溝は3.079シーベルト/h、裏の桜の木は1.544シーベルト/hもあります。

息子は私と同居し、彼の妻と3人の子供達は、仙台市の姉の、たまたま空いていた家を借りて生活し、
娘は、支援制度で用意された蔵王の別荘に幼児を残し、福島の勤務先まで毎朝通勤し、その間、私の妻が子守りをしています。
娘の旦那は一人住まいで、ウイークエンドに蔵王へ向かう、と云う生活をしています。

不便この上なく、二重生活から来る生活費用も疲労も、積み重なって行くばかりの毎日です。
しかし、幼児たちの健康と将来を考えれば、この程度の事はして上げたいと思うのは、親の想いと云うものでしょう?


私と環境運動で出会った友人夫婦は、引きこもりの子供達の、社会復帰を支援する施設を設立し、やっと運営に目鼻がついた時だったにも拘らず、
退避する子供が相次ぎ、閉鎖に追い込まれ、淡路島に伝手をたどって、先ごろ移り住んで行きました。

当社、岩盤浴の女性スタッフの母親の実家は、耕作を放棄し、80代の老夫婦を伴って沖縄に移住すると言って、別れのあいさつに来たと云います。

そんな『涙の物語』は、身の回りにいくらでも生まれつつあります。

環境の危機的な状況を、理解出来ている人たちにとっては、極く当たり前の行動、判断であろう、と私は思うのですが、
同じ福島に住みながら、全く正反対の判断に立つ人々もまた、少なからず存在するのです。

退避して行く人達をあざ笑い、陰で悪し様に言い放つ。

仲良く暮らしてきた人々の間で、なんでこんな事が起きてしまったのか、本当に悲しい気持ちになってしまいます。

福島第一が水素爆発を起こした翌日、3号機の圧力容器の底が抜けたら福島を脱出する旨、家族社員全員に伝え、準備をさせていました。

会社の帳票と通帳印鑑、防寒用具をいつでも持ち出せるよう準備し、一台だけ満タンにした車を用意した上で、
被災者向けに、岩盤浴場のシャワー室を開放しながら、毎日ラジオの情報だけに耳を傾けていた当時を思い出します。

不思議な事に、私の住まいのある一角だけが一度も電力が不通にならず、一時は5家族が雨風を凌ぐ幸運に恵まれました。

この事故初期において、メディアから流された情報に、今の混乱の原因がある、と私は思っています。

電気がない中で、ほとんどの人々は、ラジオに情報を求めました。
県はいち早く、放射能リスクアドバイザーと云う職に、長崎大学の山下俊一を任命し、
県内各所を巡り、放射能に対処する為の講演会を開催し、地元ラジオ局を通して、同じ内容を、日に5回も6回も繰り返し流しました。


聞くに堪えない話を、岩盤浴のフロントに、為すすべもなく座りながら聴いていましたが、
最後には、ラジオ福島と知り合いのアナウンサーに、メディアとしての責任を問うメールを送ったものです。

山下の話は、レントゲンは600μシーベルト/hもあるのだから、福島の20や30μシーベルト/hは、その何十分の一。
だから、危険でもなんでもないと云う、知識のない市民が聞けば信じてしまう嘘です。
どうして嘘なのでしょうか。
それはつまり、レントゲンは、毎時600μシーベルトの放射線を0.1秒被曝するだけ。
福島の住民は、毎時30μシーベルトの放射線を、毎日24時間分被曝するのだから、どこが危険でもなんでもないのだ?ということになるからです。

挙句の果ては、100mシーベルトでも安全、マスクなんていらない、外で遊んでも大丈夫、とまで言い出す始末。(YouTubeで確認できる)
その結果、大量の放射性物質が舞う大気の中、遊びまわる子供が出現し、
校庭の除染もされていない中、ラグビーのタックルで倒れこむ高校生の姿が、TVの画面に映し出される、と云う悲喜劇が作り出されてしまいました。


白紙の状態で刷り込まれてしまった、安全の誤解はそのまま、現在の福島県を蔽いつくしています。
今でこそ、全町退避を受け入れた飯館町ですが、いち早く汚染土壌の調査に入られた、京大の今中助教の調査結果(チェルノブイリをはるかに超える汚染状況)を、
山下の話を信じるが故に、『余計なお世話』と受け止めた人々が、生まれたことも事実です。

現在福島市は、公的な汚染調査の数値が1.1~1.2μシーベルト/h、と毎日報告されています。

それは、1.1~1.2×24時間×365日ですから、年間被曝量は、9.636~10.512mシーベルトと云う事になります。

年間10ミリシーベルトの被曝量は、何を意味しているか御存じですか?

チェルノブイリでの強制退避は、年間5mシーベルトで発令された、と聞き及んでいます。

先進国日本は、ロシア収容所列島より、2倍も劣悪な状態に国民を放置している、と云う事ではないのでしょうか?

福島のみならず、皆さんが毎日飲む飲料水の暫定基準値・放射性ヨウ素が、1リットルあたり300ベクレル以下とは、何を意味しているか御存じですか?

国際法で定められた原発の排水基準値は、1リットルあたりヨウ素40ベクレルです。
つまり、原発の排水基準値よりも汚れた水を飲料水とする事を、合法としていると云う事です。

農作物をサンプル検査するだけで、その地域全体をOKとしています。
本当にそれで安全ですか?
放射能汚染は、福島だけだったのですか?
ホットスポットは、コンパスで円を描けば把握できますか?
本当の事は、全量検査をしなければ何も分からないことなど、常識ではありませんか?


毒水を飲まされ、毒含有の食品をあてがわれたままで、何故日本人は黙っているのか、私には判りません。

菅首相の無能が、混乱に輪をかけた事は間違いありませんが、この無策は巡り巡って実は、市民国民の『お任せ主義』に起因しているのだ、と私は考えています。

日本は、民主主義国家なのだそうです。
なのだそうだと云うのは、この国が民主主義の国家だなんて、私はこれっポッチも思っていないからです。

日本は、『お任せ民主主義国家』なのです。
これは、民主主義でもなんでもありません。

選挙で、国民の代表と称する政治家を、国会に送り込んではいます。
しかし、これら政治家のほとんどは、国民市民が見つけ出し、身銭を切って育て、監視ししている政治家ではありません。

従って、政策のプロ集団の官僚と、渡り合うべく研鑽することも無く、
挙句、官僚が政策の全てを取り仕切るという、現在の日本の国家体制が作り上げられている
、と云う訳です。

オランダの政治学者ウォルフレンが、30年も前に、『国民を幸せにしない日本と云うシステム』と、日本の状況を分析してくれています。

国民の目線で、政策立案のプロ=官僚をコントロールする能力も無く、その気すらない政治家は、簡単に官僚に取り込まれ、
選挙と云うチェック制度も無く、身分保障を受けた官僚は、ほとんど官僚の本能とでもいうべく、増殖と保身強化にまい進する事となり、
国家国民が、たとえ原発や公害で苦しもうが、全く責任を問われず、ただただ増殖することだけに豊かな才能を発揮すると云う今日を迎えるのです。

昨日もあったように、佐藤幸子さんに「安全だと云うなら、飯館のこの土を舐めてみろ」と言われて見せる彼らの表情が、その象徴だとは思いませんか?

彼らにそんな表情をさせた原因は、実は、我々市民の『お任せ民主主義』に有ったと云う事を、今回この時に気付くことこそ、
頑張れ日本、頑張れふくしまの頑張り処なのではないでしょうか?
日本人も、もうそろそろ気付いてもいい頃だ、と私は思っています



この男性は、今も福島に住み、幼いお孫さんや、若い世代の娘さん息子さんの、あちこちに離散して暮らす生活費用や疲労が、
いつ終わるのかもわからん、どこまで嵩むのかもわからん、いつまで続けられるのかもわからん不安に苛まれながら、
それでもなんとかして、まだ人任せにしてる、何かを頼ろうとしてる、せやから自分からは動けへんと信じ込んでる人達に呼びかけてる。

いったいなにを夢見てるん?
いったいなにを待ち望んでるん?
増殖と保身強化のためだけにひたすら邁進する官僚に、国民の目線なんかあるわけないやん。
そんな輩が作り上げた政策に、がんじがらめにされて動けへん、その縄を噛み切って抵抗しようともせん政治家や役所の人間達が、
いったいあなた方市民のために、なにをしてくれると思ってるのかと、ほんまは声を荒げて叫びたいのを抑え、静かに語ってはる。

ただ、『お任せ民主主義』っていう、平和ボケの象徴のような、無責任で無意志で無抵抗な日本人に、強い憤りと失望を感じてることは隠してはらへん。

『毒水を飲まされ、毒含有の食品をあてがわれたままで、何故日本人は黙っているのか、私には判りません』


頑張れ日本、頑張れふくしまの頑張り処を間違えたらあかん。
逃げるんとちゃう。神経質なんともちゃう。ここに残るしかない?これが定め?そんなんクソくらえや!
これしかできひん、仕方ない、そんな凝り固まった岩みたいな勘違いなんか、今すぐ、自分の手ぇ金槌にして、頭蓋骨割れるぐらい叩き潰したれ!
どうしてそんなふうに決めつけられるん?
津波が目の前に襲てきた時、なり振り構わず逃げたんちゃうん?
それが当たり前やろ?誰だって、自分の命に関わるようなもんが目の前に迫ってきたら、必死でなんとかして逃げようとするわ。
そんだけ命が大事なんちゃうん?家族との暮らしが大事なんちゃうん?
生きたいのやろ?どうせ生きるなら、できるだけ健康に、無事にいてたいやろ?家族にもそうであって欲しいやろ?

見えてへんだけやねん。匂えへんだけやねん。
けど、放射能爆弾は、透明な毒を、物音ひとつたてんと、なんの容赦もなく、戸惑いもなく、まんべんなく、あらゆるもんの上に降りてきてんねん。
自分の周りに、放射能爆弾が始終降り落ちてきてて、毎秒休むことなく撃ちこまれてること、それぐらい想像しいな!
担任が、学校が、教育委員会が守ってくれへんのやったら、そんなとこに行かさんときいな!
上司が、社長が、職場が、露骨に変人扱いしてくるんやったら、そんなとこに働きに行かんときいな!
いっぱいあるやんか。受け入れしてくれてるとこ。
本気の本気で探したら、絶対に見つかってるはずやって、本気の本気で探した人は皆言うてるわ。
あの時はもう、ほんまに死ぬかと思うぐらいえらい目に遭うたなあ~って、家族一緒に、笑て思い出せる日が来る。
あの時、思い切って決心できんかったこと、ほんまにごめんな、許してなって、どんどん弱っていく大切な家族に言わんでもええように、
そんな人が、日本に無茶苦茶大勢現れんように、自分のこと、家族のこと、人生のこと、それをもういっぺん、とことん見つめ直して!
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