ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

憧れの人

2011年09月11日 | 音楽とわたし
Repin and Lugansky Play Franck Sonata mov.4


いよいよ来月に迫ってきたコンサート。

ただ今、わたしのお手本になっているのはこの方々。

甘く優しく奏でられる、けれども計算し尽くされた、見事にコントロールされたメロディライン。
情熱がほとばしる和音、躍動感たっぷりのベースライン。

嗚呼うつくしい!

少しでもいいから近づきたい。
そう夢見て、ゴーヤで痛められた指先に、アロエの中身をすり潰したテープ巻きつけて頑張ってまっす!


*ACMA定期コンサート
日時 10月29日 夜7時30分より。
会場 カーネギーホール地下ザンケルホール(600席)

サラとわたしは、二部の二番目に演奏します。

チケットは一席30ドル。
もし興味のある方は、ぜひご連絡ください。
わたしの分として、前売りを50席購入しましたが、あと20席分ほどしか残っていません。
直接カーネギーのボックスオフィスでも購入していただけますが、窓口にての直接購入以外は、6ドルの追加金がかかります。

クラシック音楽のコンサートですが、プログラムはすべてアンサンブルで、時代も雰囲気もいろいろ。
多分、飽きずに、楽しく聞いていただけると思います。
コメント (6)
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今日は9月11日

2011年09月11日 | 世界とわたし
以下は、9月9日にNHKのウェブ上に掲載されたもので、この10年の軌跡を簡潔にまとめてられていたので、ここに転載させていただきます。

『ニューヨークの世界貿易センタービルなど、アメリカの国家中枢を襲った同時多発テロ事件から、11日で10年になります。
およそ3000人が犠牲になったこのテロ事件を受け、アメリカは地球規模での「テロとの戦い」に乗り出します。
しかし、アフガニスタンやイラクでの戦争では、戦闘やテロに巻き込まれて、民間人を中心に合わせて22万人以上が犠牲になりました。
世界を大きく傷つけ、10年を経た今、大きな転換点に立っている「テロとの戦い」について、国際部の別府正一郎デスクの解説です。


9.11同時多発テロ事件

2001年9月11日。
アメリカで起きた同時多発テロ事件では、4機の旅客機がハイジャックされ、ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントンの国防総省に衝突したほか、1機はペンシルベニア州に墜落しました。

このテロで、日本人24人を含むおよそ3000人が犠牲になり、アメリカの国家中枢を襲った事件として世界中に衝撃を与えました。
当時のブッシュ大統領は、国際テロ組織・アルカイダの犯行と断定したうえで、「テロとの戦い」に乗り出し、アフガニスタンとイラクで2つの戦争に相次いで突入します。

アメリカは、アフガニスタンでは、テロから1か月後の2001年10月に、ビンラディン容疑者の引き渡しに応じない当時のタリバン政権に対し、激しい空爆を始めます。

1か月ほどで、首都カブールは制圧され、タリバンは敗走します。
ビンラディン容疑者らアルカイダのメンバーも、隣国パキスタンとの国境付近の山岳地帯へと逃げ込みました。
アメリカは、ビンラディン容疑者を拘束するために、大規模な軍事作戦を展開するとともに、カルザイ政権を擁立し、国の再建を目指します。
そして今、アフガニスタンの復興や治安維持は、アフガニスタン人が主導する段階になったなどとして、7月から一部の部隊の撤退を始め、3年後にはすべての戦闘部隊を撤退させる予定です。
しかし、アフガニスタンの復興は進んでいません。
復興の遅れに対する人々の不満が高まるなかで、タリバンは息を吹き返しており、戦争が始まってから10年で、治安は今むしろ混乱の極みにあります。

アメリカの「テロとの戦い」で、第2の戦場となったイラクでも混乱が続いています。
先月15日も、首都バグダッドをはじめ、17の都市で自爆テロが相次ぎ、60人以上が死亡しました。

イラクでの戦争が始まったのは2003年3月。
開戦に先立ち、ブッシュ政権は、▽当時のフセイン政権が大量破壊兵器を隠し持ち、▽アルカイダを支援していると主張し、国連の安全保障理事会で、イラクへの武力行使を容認する決議の採択を目指します。
しかし、フランスなどは、戦争は大混乱をもたらすなどとして、拒否権行使の可能性も示唆しながら強く反対し、国際社会の同意は得られませんでした。
結局、アメリカは、イギリスや日本など、一部の同盟国の支持だけでイラクへの先制攻撃に踏み切り、首都バグダッドは1か月で陥落し、フセイン政権は崩壊します。

ところが、ブッシュ政権が喧伝した開戦の理由はまやかしでした。
フセイン大統領が拘束されたあとの捜査でも、▽大量破壊兵器の開発計画も、▽アルカイダとのつながりを示す証拠も、結局見つかりませんでした。
フセイン元大統領が、国内の多数派のシーア派や、少しでも異を唱える政治勢力に対し、厳しい弾圧を行い、人権をじゅうりんしていたことは、議論の余地はありません。
ただ、アルカイダとの関連で言えば、フセイン体制を支えたバース党は、アラブ民族主義と社会主義を掲げ、イスラム原理主義を掲げるアルカイダとは、「水と油」の関係でした。
首都バグダッドでは、ひげをすっきりとそり落とした西欧的なビジネスマンが行き交い、中東の最高学府の一つだったバグダッド大学では、女子学生がスカートとハイヒール姿で登校していました。
外出時には、女性にベールの着用を強要するサウジアラビアのような国では、考えられない光景です。
イラクがそうした国だっただけに、アルカイダは開戦前から、フセイン大統領をたびたび世俗的すぎるなどとして、むしろ非難していたほどです。
そのアルカイダがイラクに入り込んだのは、むしろ戦争でフセイン政権が崩壊したあとのことでした。
地元の武装勢力とともに、イラクを占領するアメリカ軍への攻撃を始めました。
そして混乱が深まるなか、イスラム教の異なる宗派の対立や、政治勢力の権力闘争が激化。

イラクは内戦状態に陥り、戦闘やテロに巻き込まれ、これまでに12万人を超えるとみられる民間人が犠牲になっています。
「アメリカは、イラクを『テロとの戦い』の主戦場だというが、アルカイダはアメリカが連れてきたようなものだ。
われわれは、自分の国がそんな戦場になることを選択した覚えはない」。
バグダッドで、人々からこうしたことばを聞くたびに、もっともなことだと感じました。


ブッシュからオバマへ

こうしたなか、2008年の大統領選挙を経て、アメリカでブッシュ大統領が退陣し、オバマ大統領が就任しました。
オバマ大統領は、イラクからの撤退を選挙で公約し、ことし中に、すべての部隊の撤退を終えようとしており、
アメリカの「テロとの戦い」は、アフガニスタンとイラクという、2つの戦争への突入から撤退へと、今、大きな転換点に立っています。

オバマ政権が、ことし6月に発表したテロ対策の新しい戦略でも、ビンラディン容疑者を殺害するなど、組織の壊滅に向け大きな成果が出ており、
「アルカイダとの戦いは転換点にある」として、これまで地球規模で進めてきた「テロとの戦い」について、今後はより、アメリカ本土の防衛に集中していくとしています。
背景には、アメリカの財政負担が拡大し、海外への部隊の派遣の縮小を求める国内世論が高まっているなか、
オバマ政権として、前のブッシュ政権の方針と決別する姿勢を明確にし、国民の理解を得るねらいがあるものとみられます。


中東で民主化の動き

ブッシュ政権は、「テロとの戦い」において、民主主義の普及も理由に掲げ、戦争を続けましたが、今、まったく別の方向から、その実現を目指す動きが出ています。
市民が平和的なデモを通して、民主化を求める動きです。
チュニジアで、ことし1月、ベン・アリ大統領が退陣に追い込まれたのに続き、エジプト、リビアで、長期にわたって独裁を続けてきた政権が打倒されています。
武力によって民主主義を押しつけようとしたアメリカの思惑が失敗するなか、
市民が主体的に立ち上がった改革の流れが、同時多発テロから10年となることしに出てきたことを、多くの人が感慨をもって見つめています。


多極化する世界で

「イラク戦争に踏み出せば、それは、アメリカの衰退の第1歩となる」。
イラク戦争の開戦前に、こう警告する声が聞かれました。
実際、「テロとの戦い」を10年間続けた結果、アメリカ兵や関係者、およそ1万人が死亡したことに加えて、
巨額の軍事予算が重くのしかかり、財政は疲弊しています。
また、ブッシュ政権の掲げた開戦の理由がまやかしだったことも加わって、アメリカの国際的な威信は低下しました。

こうしたなか、中国やインド、それにブラジルなど新興国が台頭。
高まる経済力を背景に、国際政治での発言力も強めています。
アメリカについては、10年前、グローバル経済のいわば勝者として、「唯一の超大国だ」、「アメリカの1極支配だ」とも言われていましたが、
今から見れば、文字どおり「十年一昔」の状況となっています。
同時多発テロ、そして「テロとの戦い」の10年は、世界が1極支配から多極化へと移り変わる10年でもあったのです』




以下は、ブレジンスキー氏(カーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官)への、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)による「米国は同時多発テロ攻撃に過剰反応したか」との質問への回答)です。

『米国民2700人の凄惨な殺りくが、一般市民の激しい怒りを掻き立てたのみならず、非常に強い報復を引き起こしたのは至極当然のことだった。
不運にも、この報復は、戦略的な一貫性と政治的英知を欠いていた。
テロとの戦いは、テロリストが、米国をイスラム世界の敵として描くのに好都合だった。
米国の軍事的報復はやがて、2つの戦争へと発展した。


米国防総省(2001年9月11日)

私は当時、アフガニスタンへの派兵の決定を強く支持した。
犯人を一掃し、こうした人間に保護を与えた体制を打破するためだ。
同時に、国内の高官レベルの会合や国防長官にあてた手紙で、アフガニスタンを武力で改造しようとして行き詰まった、旧ソビエト連邦の過ちを繰り返すべきではないと訴えた。

さらに、同時多発テロの直後にWSJ紙で、テロの問題については、政治的な面に焦点を当てるべきだと主張した。
広域的連携を通じて、アラブ諸国の政府の支持を得ることで、テロリストの隔離を目指すということだ。

ブッシュ政権が、私の警告を聞き入れることはなかった。
さらに悪いことに、単独に近い形でイラクに侵攻し、アフガニンスタンでの軍事行動を軽視した。
米国は、イラク国内に、核兵器や生物兵器が存在する可能性を訴え、イラク戦争への支持を得ようとした。
しかし、結局のところ、いずれの兵器も存在しなかった。
こうしたことが米国の信頼に与えたダメージは、現在に至るまで、外交にマイナスに作用している。
イランについては特にそうだ。

米国で、イスラム教を信仰する市民への偏見に基づく行動が、より頻繁にみられるようになった一方、イスラム圏での反米感情はさらに拡大した。
同時テロから10年を経た現在、アフガニスタンの未来にはいまだ疑問符が付き、
イラクにおいてイランの影響力がますます強まり、第二次世界大戦以降の中東における米国の影響力は最も弱い。

要因は正当、反応は的外れだった』



国の高官、官僚、軍、政治家が、その国の民の命と暮らしを破壊することに何の躊躇いも罪も感じん、
地球にかて、致命的なダメージを平気で与えることができる、
どんだけ阿呆で、人間の皮をかぶっただけの人間とちゃう生き物なんやっていうことに、
この11年を、ここアメリカで生活してて、ほんで、東北を襲った悲惨な出来事以降の日本の様子を、この半年間毎日見てきて、やっと気づいた。
しみじみと、つくづくと、自分はなんとおめでたい、平和ボケした大人やったんやろうと思う。

あの日、地上に居るもんすべてを青う染めるぐらいに美しい青空のもと、いつものように佇んでたマンハッタンのビル街目がけて、
少し不安げに、そやけど覚悟だけはくっきりと決めたみたいな旅客機が、一機二機と、ぶつかっていくのを見た。
耳をつんざくような悲鳴と「Oh my god!」という言葉が、あの時間が来ると必ず、わたしの耳の奥で響き始める。
バスの中の、異様なぐらいの静けさと、使えんようになった携帯電話を何とかして使おうとする人らの指の音。
そこに、突き刺さるような金属音と一緒に、押し殺したような声で交信されるバス会社内の無線連絡。

テロも原発事故も、そして人為的ではない震災も津波も、容赦なく、大勢の人達の命を奪う。
いつやったか、スコップ団の了君が、こんなこと言うてた。
『おう、よく聞け。
2万人の事件が一件起きたんじゃねぇ。
「東日本大震災」って1件みたいに言うな。
1件の悲しい事件が2万件起きたんだ』

ほんま、その通りやと思う。
ところがあの阿呆らには、こういう考え方が、頭の中にも心の中にもまるで無い。
人を人とも思えん、自然の恵みをありがたいとも思えん、ほんまは人の形してたらあかんぐらいに心っちゅうもんが無い。
そういう連中が牛耳ってるんやから、国がとりあえず無事に、なんとか毎日を過ごせてるのは、わたしら市井の人間が暮らしを作ってるからちゃうのかなあ……。
この頃特に、そんなふうに考えるようになった。

そやからやっぱり、あきらめることはできひん。
匙を投げることも、無かったことにすることも、知らんふりすることも。
わたし一人が止めようが続けようが、世の中は全く変わらんのかもしれん。
ほんで多分、わたしが生きている間には、変わらんままの世界が続くのかもしれん。
けど、もしかしたら、わたしがしつこう伝えてたことを、うるさいなあ、しつこいなあと、イヤイヤ聞いてた人や、それはおかしい間違うてると拒絶してた人が、
ある時ふと、なんかの拍子に新しい世界を垣間みるチャンスに出会て、心の窓がほんのちょっとだけ開いた時に、
「ああ、そういやあのうるさいオバはん、そんなこと言うてたなあ……」と、薄~くでもええから思い出してもらえるかもしれん。
変化って、そういうもんや。
もちろん、急に、恐ろしい勢いで変わることもある。
暴力とかも加わって、人の命が奪われたりするほどに激しい戦いをせんと叶わん時もある。
けど、暴力や権力で押さえつけたりしたら、人の心はいっぺんに硬うなる。反抗する。不幸になる。
せやからこそ、暴力や権力を使えるもんは、人並み以上に謙虚にならなあかん。
哀しいことに、暴力や権力を使えるもんは一様に、人並み以上に奢り高ぶる傾向にある。
それが国が泣く、地球が嘆く、大きな原因のひとつであると思う。

今日は9月11日。
同時多発テロが起こって10年、東北大震災が起こって6ヶ月が経った日。
けど、わたしにはまるでいつもと同じ。
マンハッタンとワシントン・D.C.とペンシルバニアで旅客機がテロ行為に使われ、日本の東北で巨大な地震が起こり、大津波が押し寄せ、原発が事故を起こしてから、
生きてたら、こういうことにも遭遇する可能性もあることを知っただけの、それがただ続いているだけの日。
もしも叶うなら、願わくば自分も、自分の大切な人達も、そのどちらの事にも巻き込まれることの無いよう祈り続けてる日が続いていくだけのこと。
そう思て、10年の月日はきっと、わたしを少しは強くしてくれてるやろと、式典のビデオの一部を観た。
あかんかった。
やっぱり体が小刻みに震え、涙がわっと溢れ出た。
あのビルに、あの時実際に居た人、あの海に、あの時実際に呑み込まれそうになった人、その人の心の傷の深さを思い、また泣いた。
コメント (2)
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