ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

軽く放心中

2011年09月20日 | 日本とわたし
山本宗補氏が撮影してくださった二枚の写真。
どちらも、高齢の男性の写真です。
彼らの手にしっかりと握られた、彼らの魂がこもった武器は、人を傷つけるためのものではなく、見る人の心を強く強く揺さぶる。

9・19「さようなら原発」集会・脱原発デモ取材に上京した、反骨で伝説の報道写真家・福島菊次郎さん。90歳と6ヶ月。


9・19「さようなら原発」集会の呼びかけ人のひとり、大江健三郎さんのスピーチ原稿。何度も何度も推敲された跡がある。



彼らの手は節くれ立っている。
長い長い年月、その手はカメラを抱え、鉛筆を、万年筆を握ってきた。
彼らはその道具を使い、自らの思いを語り続けてきた。
その思いがこもった作品は、見る人を、読む人を、それぞれの心の深淵に導き、己自身を見つめ直す時間を与えてくれる。

ただでさえ、毎日を無事に生き長らえることが簡単ではなくなってしまったこの世界に、
こんなふうに、豊かな心と情けを保ち続けながら年を重ねていくのは、本当に難しい。
だからこそ、菊次郎さんの目は、どこまでも遠くを見通せる仙人のような深みをたたえている、
だからこそ、健三郎さんの声は、どこまでも遠くに響き渡る老僧のような慈しみをもつ。

ひとりで反核デモをするようになって190日。
次から次へと現れる、意味不明の企みや、悪意丸出しの隠匿の数々に、かなり疲れてもきた。
けれども、わたしはまだ、自分の生活のついでにやっているような、まるで中途半端なデモンストレィターなので、疲れたなんて言うと、どこかからかゲンコツが飛んできそう。

明日、うちからそれほど離れていない所に日本の首相がノコノコやって来て、
事もあろうに、『原発の安全性と核の安全保障に関するハイレベル・カバーアップ会合』なんていう、今この世界で一番意味の無い会合に出席する。 

そこでおっさんが言うことになってる原稿には、
「原発の安全性を最高水準に高める」
「安全でより信頼性の高い原子力エネルギーの確保は引き続き必要だ」
「直ちに『脱原発依存』へ移行しない」などという文句が書かれているらしい……。

どうしようもないろくでなしの阿呆なら、多分そのまんまをマイクの前で話し、スピーカーから会場に、そして報道によって世界に流れることだろう。
もし、まともで、人間としての常識と心を持ち合わせているのなら、
「こういう会合を開くこと自体が、世界が進もうとしている方向からずれ過ぎている」
「安全でより信頼性の高い、などという言葉は、原子力や核に関しては今やもう死語である」
「直ちに『脱原発』をここで表明する」に変更するだろう。

半年経って、世界がどれほど苦笑しているのか、呆れているのか、憤っているのか、情けなさ過ぎて見放しかけているのか、
原発のお膝元アメリカなんかに来たって、そんなことは全くわかるわけがないし、感じ取ることもできない。
一昨日のデモの報道で、ニューヨーク・タイムズがいかに根性無しかもよくわかった。
同じなのだ。原発大好き狂団が棲息している国はどこも。
アメリカは、原発に関してはとっくの昔に冷め切っていたけれど、如何せん、さらに阿呆度が高い軍がある。
あれが存在する限り、核の依存と狂信から逃げることはできない。


わたしがこれからうんと年をとって、まだこの世の中に核が居座っていたならば、
菊次郎さん達のように、長い長い闘いを続けた歴史をきちんと刻んだ目と手を、持つ事ができているのだろうか。
そんな自分を見届けたい気がすごくする。
それをわたしを見届けて欲しい人がたくさんいる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする