↓BS世界のドキュメンタリーで放映されたビデオです。
副題に『終わらない悪夢』と書かれたこのふたつのビデオ。少し長いので、時間を作ってぜひ観てください。
以下は、このビデオを観ながら書き留めたメモです。
地球上で最も危険な廃棄物は、原子炉から出る使用済み核燃料だ。
原子炉では、ウランを詰めた燃料棒が炉心に置かれる。
燃料棒は数年経つと使い物にならなくなり、炉心から取り出されプールに沈められる。
そこで時間をかけて冷却される。
これが使用済み核燃料。
使われた燃料棒の内部には、新たな放射性物質が生まれている。
プルトニウム、セシウム、アメリシウム、クリプトンなど。
放射線を出す期間は、千分の数秒のものから数百万年のものまで様々。
人間は絶えず、自然界の弱い放射線にさらされている。
例えば、飛行機に乗ったり、花崗岩の多い地域を歩く時などもそう。
原子爆弾が落ちた後や放射線を出すもののすぐ近くに居る時には、強い照射を受ける。
また、放射能で汚染された食べ物や水を摂取したり、気体やちりを吸い込めば、放射性物質が臓器に付着する。
放射線はいわば小さな粒子や電磁波の機関銃のようなもの。
細胞に入り、DNAを傷つける。
放射線が弱ければ、体はDNAを修復する。
しかし、あまりに強い放射線を浴びると修復できない。
そして、消化器官や心臓血管の病気、あるいはもっと深刻な癌や遺伝子の変異を引き起こしかねない。
放射線物質を不用意に棄てると、わたしたち自身が被害を受ける可能性がある。
海洋投棄はかつてどこの国もやっていた。
イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本、ドラム缶ごと海に棄てていた。
当時はなんの監視も無かった。
海は世界最大のゴミ箱と考えられていた。
50年足らずの間に、様々な国が10万トン以上の海洋投棄をした。
イギリスだけで80%、海をもたないスイスが2番目に多い海洋投棄をした。
1950~1960年に投棄されたボロボロのドラム缶は、今も海の底で沈んだままだが、中はもちろん空っぽだ。
その中身は?
もちろん海中に流れ出し、海を汚染し、魚に取り込まれ、食物連鎖で人間の体内も汚染した。
グリーンピースなどによる反対運動が勝利を納め、海洋投棄が廃止されるまで10年かかった。
廃棄物の管理については今だに曖昧。
核開発は軍が主導となっている。
アメリカ・ワシントン州ハンフォードは、かつて世界で初めて、本格的なプルトニウム生産に成功した施設。
長崎に落とされたプルトニウムはここで作られた。B炉と呼ばれている。
ハンフォードは兵器を作るための施設だったので、汚染のことなど誰も考えなかった。
住民は気づかないまま、すべてが秘密で、マンハッタン計画のもとに行われた。
施設のそばを流れるコロンビア川の川底は、極めて酷い汚染を受けている。
けれども、職員の家族が川で遊ぶ事を許可し、その危険性をなにも告げなかった。
ハンフォードは、実は酷い施設で、出した廃液で周囲を汚染していた。
1943年以降、最も危険性の高い廃液を貯蔵するため、巨大なタンクを作った。
その後リスクを減らすため、一時的な措置として、タンクは地中に埋められた。
1980年、60個のタンクから廃液が漏れ出して、地下水を汚染していることが発見される。
そのまま放置すべきでない、放射能レベルが高い廃液は、今も二億リットル残っている。
廃液を安全に処理するには、溶けたガラスに混ぜた後固める。
ここにはその工場が建設中だが、完成までの間、タンクの底では廃液が漏れ続ける。
この先数十万年、地下水脈は汚染され続ける。
西半球で最も汚染されている場所。
アメリカとの軍事拡張競争に勝つため、ソビエトは、1945年から10あまりの核施設を建設した。
30年以上の間、鉄のカーテンの向こうからは、何の情報も流れてこなかった。
1957年に、ウラル地方で重大な原子力事故があった。
放射性廃液を貯蔵するタンクが爆発した事故だ。
この事故は、およそ20年間秘密にされていた。
ソビエトの反体制派の学者ジョレス・メドベージェフ(『ウラルの核惨事』著者)の告発を、西側の科学者は相手にしなかった。
ジョレスが告発をした1976年には、西側のあらゆる国は、原子力発電を推進する必要に迫られていた。
原子力開発を中止するための陰謀だ、と誤解された。
アメリカのCIAも、この事故を知っていたが、黙っていた。
人々が恐れることを嫌った。
廃棄物を確実に安全に処理する方法は、まだ見つかっていない。
この事故に関する詳細は、原子力業界、CIA、ソビエト政府によって隠蔽された。
放射性廃棄物が持つ熱で、水素爆発などが起こる事を、この事故が示したからだ。
1946年から、マヤークの核施設は、ソビエトの原子爆弾用のプルトニウムを製造。
アメリカのハンフォードと瓜二つの施設。
外国人の立ち入りを禁じているこの町は、長い間地図に乗らず、暗号名で呼ばれてきた。
1957年に爆発したタンクは、この秘密の町のすぐそばにある。
現在も近づくことはできない。
この事故はチェルノブイリ以前のものとしては最大のものだったが、まるで公表されなかった。
その数日後も、子供達は、畑の収穫のための手伝いをさせられた。
信頼のおけるデータも残っていない。
マヤーク核施設のことは、今だに秘密にされている。
廃液はカラチャイ湖に廃棄。
カラチャイ湖は埋め立てられたが、廃棄物はどんどん増える。
埋め立てるための岩を運ぶ、5トンの鉛で防御したトラックでも、作業は15分で終えないといけない。
なのでまた穴を掘り、そこに埋める。
その繰り返しが続くと、いずれは川にしみ込み、それが海へと汚染が広がる。
ものすごい汚染の川や橋が、まるで普通に使われている。
足跡がたくさんある。
葦を刈ったり、川魚を穫ったりしているはず。
どうして当局は、村人に真実を知らせなかったのか。
エリツィン大統領の頃、1986年の原発事故が、情報公開のきっかけになった。
原子力産業の真相が語られるようになった。
民主化の波に乗って、エリツィンが政権に登った1991~1995年までの間がそう。
1995年以降、再び秘密主義に戻った。
爆発事故があった施設の近くに住む住民には、政府から、村から退去すれば280万円を支払うと申し出があった。
住民の話
「この保証金では、他の土地に移り住むのは難しい」
「この村では、癌で死んだ人は大勢いる」
「全部外から買うようにと言われた」
「月に9000円ではなにも買えない。だから、自分の所で作った野菜や食べ、牛乳を飲んでいる」
「毎年、保険機関が、住民の定期検査をしているが、結果は一度も教えてもらっていない」
村から採取した牛乳には、セシウム、トリチウム、ストロンチウムが含まれていた。
この村の住民は、非常に特殊な環境に置かれている。
周りの自然環境が、放射線物質で汚染されたからだ。
調査は50年代から行われている。
当初の研究から導かれた結果が、現在の調査によって正しいと裏付けられた。
被曝した放射線量と、癌の発生率には、明確なつながりがある。
死亡率も同じように、被曝した放射線量に関係があるとわかった。
三万人の集団。現在まで50年間、追跡調査をしている。
数世代に渡る人達が、汚染された土地におきざりにされている。
「当局はとっくの昔に警告を出して、住民を避難させるべきだった」
「わたし達はモルモットみたいだ」
「わざとここで生活させているんだろう」
「これが我々の運命だ」
川のそばで安全に暮らせますか。
もちろん大丈夫です。
あそこで暮らすのをやめさせるべきでは?
法的に難しい。
放射能レベルは、国際基準を下回っているので、避難させる必要はない。
軍事用か民間用かを問わず、原子炉にはひとつの共通点がある。
放射性廃棄物を生み出し、その一部が環境の中に出ていくということだ。
以上、前編です。今夜はここまでにしておきます。
副題に『終わらない悪夢』と書かれたこのふたつのビデオ。少し長いので、時間を作ってぜひ観てください。
以下は、このビデオを観ながら書き留めたメモです。
地球上で最も危険な廃棄物は、原子炉から出る使用済み核燃料だ。
原子炉では、ウランを詰めた燃料棒が炉心に置かれる。
燃料棒は数年経つと使い物にならなくなり、炉心から取り出されプールに沈められる。
そこで時間をかけて冷却される。
これが使用済み核燃料。
使われた燃料棒の内部には、新たな放射性物質が生まれている。
プルトニウム、セシウム、アメリシウム、クリプトンなど。
放射線を出す期間は、千分の数秒のものから数百万年のものまで様々。
人間は絶えず、自然界の弱い放射線にさらされている。
例えば、飛行機に乗ったり、花崗岩の多い地域を歩く時などもそう。
原子爆弾が落ちた後や放射線を出すもののすぐ近くに居る時には、強い照射を受ける。
また、放射能で汚染された食べ物や水を摂取したり、気体やちりを吸い込めば、放射性物質が臓器に付着する。
放射線はいわば小さな粒子や電磁波の機関銃のようなもの。
細胞に入り、DNAを傷つける。
放射線が弱ければ、体はDNAを修復する。
しかし、あまりに強い放射線を浴びると修復できない。
そして、消化器官や心臓血管の病気、あるいはもっと深刻な癌や遺伝子の変異を引き起こしかねない。
放射線物質を不用意に棄てると、わたしたち自身が被害を受ける可能性がある。
海洋投棄はかつてどこの国もやっていた。
イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本、ドラム缶ごと海に棄てていた。
当時はなんの監視も無かった。
海は世界最大のゴミ箱と考えられていた。
50年足らずの間に、様々な国が10万トン以上の海洋投棄をした。
イギリスだけで80%、海をもたないスイスが2番目に多い海洋投棄をした。
1950~1960年に投棄されたボロボロのドラム缶は、今も海の底で沈んだままだが、中はもちろん空っぽだ。
その中身は?
もちろん海中に流れ出し、海を汚染し、魚に取り込まれ、食物連鎖で人間の体内も汚染した。
グリーンピースなどによる反対運動が勝利を納め、海洋投棄が廃止されるまで10年かかった。
廃棄物の管理については今だに曖昧。
核開発は軍が主導となっている。
アメリカ・ワシントン州ハンフォードは、かつて世界で初めて、本格的なプルトニウム生産に成功した施設。
長崎に落とされたプルトニウムはここで作られた。B炉と呼ばれている。
ハンフォードは兵器を作るための施設だったので、汚染のことなど誰も考えなかった。
住民は気づかないまま、すべてが秘密で、マンハッタン計画のもとに行われた。
施設のそばを流れるコロンビア川の川底は、極めて酷い汚染を受けている。
けれども、職員の家族が川で遊ぶ事を許可し、その危険性をなにも告げなかった。
ハンフォードは、実は酷い施設で、出した廃液で周囲を汚染していた。
1943年以降、最も危険性の高い廃液を貯蔵するため、巨大なタンクを作った。
その後リスクを減らすため、一時的な措置として、タンクは地中に埋められた。
1980年、60個のタンクから廃液が漏れ出して、地下水を汚染していることが発見される。
そのまま放置すべきでない、放射能レベルが高い廃液は、今も二億リットル残っている。
廃液を安全に処理するには、溶けたガラスに混ぜた後固める。
ここにはその工場が建設中だが、完成までの間、タンクの底では廃液が漏れ続ける。
この先数十万年、地下水脈は汚染され続ける。
西半球で最も汚染されている場所。
アメリカとの軍事拡張競争に勝つため、ソビエトは、1945年から10あまりの核施設を建設した。
30年以上の間、鉄のカーテンの向こうからは、何の情報も流れてこなかった。
1957年に、ウラル地方で重大な原子力事故があった。
放射性廃液を貯蔵するタンクが爆発した事故だ。
この事故は、およそ20年間秘密にされていた。
ソビエトの反体制派の学者ジョレス・メドベージェフ(『ウラルの核惨事』著者)の告発を、西側の科学者は相手にしなかった。
ジョレスが告発をした1976年には、西側のあらゆる国は、原子力発電を推進する必要に迫られていた。
原子力開発を中止するための陰謀だ、と誤解された。
アメリカのCIAも、この事故を知っていたが、黙っていた。
人々が恐れることを嫌った。
廃棄物を確実に安全に処理する方法は、まだ見つかっていない。
この事故に関する詳細は、原子力業界、CIA、ソビエト政府によって隠蔽された。
放射性廃棄物が持つ熱で、水素爆発などが起こる事を、この事故が示したからだ。
1946年から、マヤークの核施設は、ソビエトの原子爆弾用のプルトニウムを製造。
アメリカのハンフォードと瓜二つの施設。
外国人の立ち入りを禁じているこの町は、長い間地図に乗らず、暗号名で呼ばれてきた。
1957年に爆発したタンクは、この秘密の町のすぐそばにある。
現在も近づくことはできない。
この事故はチェルノブイリ以前のものとしては最大のものだったが、まるで公表されなかった。
その数日後も、子供達は、畑の収穫のための手伝いをさせられた。
信頼のおけるデータも残っていない。
マヤーク核施設のことは、今だに秘密にされている。
廃液はカラチャイ湖に廃棄。
カラチャイ湖は埋め立てられたが、廃棄物はどんどん増える。
埋め立てるための岩を運ぶ、5トンの鉛で防御したトラックでも、作業は15分で終えないといけない。
なのでまた穴を掘り、そこに埋める。
その繰り返しが続くと、いずれは川にしみ込み、それが海へと汚染が広がる。
ものすごい汚染の川や橋が、まるで普通に使われている。
足跡がたくさんある。
葦を刈ったり、川魚を穫ったりしているはず。
どうして当局は、村人に真実を知らせなかったのか。
エリツィン大統領の頃、1986年の原発事故が、情報公開のきっかけになった。
原子力産業の真相が語られるようになった。
民主化の波に乗って、エリツィンが政権に登った1991~1995年までの間がそう。
1995年以降、再び秘密主義に戻った。
爆発事故があった施設の近くに住む住民には、政府から、村から退去すれば280万円を支払うと申し出があった。
住民の話
「この保証金では、他の土地に移り住むのは難しい」
「この村では、癌で死んだ人は大勢いる」
「全部外から買うようにと言われた」
「月に9000円ではなにも買えない。だから、自分の所で作った野菜や食べ、牛乳を飲んでいる」
「毎年、保険機関が、住民の定期検査をしているが、結果は一度も教えてもらっていない」
村から採取した牛乳には、セシウム、トリチウム、ストロンチウムが含まれていた。
この村の住民は、非常に特殊な環境に置かれている。
周りの自然環境が、放射線物質で汚染されたからだ。
調査は50年代から行われている。
当初の研究から導かれた結果が、現在の調査によって正しいと裏付けられた。
被曝した放射線量と、癌の発生率には、明確なつながりがある。
死亡率も同じように、被曝した放射線量に関係があるとわかった。
三万人の集団。現在まで50年間、追跡調査をしている。
数世代に渡る人達が、汚染された土地におきざりにされている。
「当局はとっくの昔に警告を出して、住民を避難させるべきだった」
「わたし達はモルモットみたいだ」
「わざとここで生活させているんだろう」
「これが我々の運命だ」
川のそばで安全に暮らせますか。
もちろん大丈夫です。
あそこで暮らすのをやめさせるべきでは?
法的に難しい。
放射能レベルは、国際基準を下回っているので、避難させる必要はない。
軍事用か民間用かを問わず、原子炉にはひとつの共通点がある。
放射性廃棄物を生み出し、その一部が環境の中に出ていくということだ。
以上、前編です。今夜はここまでにしておきます。