ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

なので今夜はひとり。うひひ♪

2012年01月28日 | ひとりごと
昨日の地震、大変でしたね。
実際に揺れに遭ったみなさん、恐かったですね。
あまりに重なったので、夜中になっても心配で、なかなか寝付けませんでした。
とにかく、日本が無事に一日を終えますようにと、毎晩祈らざるを得ません。

さて、昨日一日、北風がびゅんびゅん吹いて、おかげで今朝は晴れ

気温は5~6℃。

それでも晴れたらやっぱり登場するのがこのお方!


こうやってしばらくの間、同じポーズをとっていてくれる、辛抱強い仔です。
冬の間は、窓ガラスにビニールシートを貼っているので、写真がボケボケ。
ちょいと残念……。

ほんじゃ~ちょっと、オレッチの自慢の尻尾も披露しちゃるけん。


このカエデの老木は、もともと4本だった幹がくっついたもので、このリス君達のお気に入り舞台はその中の一本をブッツンと切り取った所です。
うちの家のケーブルがしっかりと取り付けられております。すまん!



今日は、旦那が泊まりがけでスキーに行きました。
友人宅で一泊させてもらい、そこの皆と一緒に、うちから三時間ほど車で北上した所の山で久々のスキーです。
旦那の実家はペンシルバニアで、冬場は近所にある凍った池で滑りまくってたそうです。
なので滑りモンは得意。
わたしはとにかく、足元がツルッとすることがどうしても許せない。
恐い、というより許せない……これではあかんに決まってます。
スケート場に行けば転倒し、しばらく白目をむいてたこともありました。
スキー場では当然のように放っとかれ、初心者用のかったるい山を、それでも恐々降りていたら、
小さな娘さんを連れた男性がにわかコーチになってくれて、親切に教えてもらって感激してると、リフトの上から見つけた旦那にブツブツ文句言われたことも。
文句言うんやったらあんたが教えてぇな!ったく……。

と、元々そんなんやのに、そこに加えて腰痛……。
昨日今日と、旦那に鍼を打ってもらい、かなり楽にはなりましたが、往復6時間のドライブとへっぴり腰のスキー……あかんやろそれは……。
息子達もいつものごとく、トーナメントに出るためにニューヨークへ。

なので今夜はひとり。うひひ。 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「繁栄と発展と進化のバケモノ『原子力』の恐怖からの脱却こそが新しい日本への第一歩」 by 渡辺謙

2012年01月28日 | 日本とわたし
東京新聞ウェブに掲載された、渡辺謙氏による、ダボス会議でのスピーチ全文です。

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える

東京新聞 2012年1月26日

『スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、
各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。
渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

スピーチ全文は次の通り』

渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。
皆さんからの力を私たちの勇気に変えて、前に進んで行こうと思っています。

私は、さまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。
日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。
さらには、近代の軍人や一般の町人たちも。
その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。
役を作るために、日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。
ただ、時には、インカ帝国の最後の皇帝アタワルパ、と言う役もありましたが…。

その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。
19世紀末の日本。
そう、映画「ラストサムライ」の時代です。
260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。
そのころの日本は貧しかった。
封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。
人々は、圧政や貧困に苦しみ生きていた。
私は教科書でそう教わりました。

しかし、当時日本を訪れた、外国の宣教師たちが書いた文章には、こう書いてあります。
人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。
しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。
世界中で、こんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

それから、日本にはさまざまなことが起こりました。
長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から、新しい日本を築く時代に移りました。

私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。
まだ蒸気機関車が走り、学校の後は、山や川で遊ぶ暮らしでした。
冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。
しかし、私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。
携帯電話、インターネット、本当に、子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。
物質的な豊かさは、飽和状態になって来ました。
文明は、僕たちの想像をも超えてしまったのです。
そして映画は、飛び出すようにもなってしまったのです。

そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。
それまで美しく、多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。
電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。
そこに何が残っていたか。
何も持たない人間でした。
しかし、人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。
それは、どんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。
それは、私たちが持っていた、「絆」という文化だったのです。

「絆」

漢字では、半分の糸と書きます。
半分の糸が、どこかの誰かとつながっている、という意味です。
困っている人がいれば助ける。
おなかがすいている人がいれば分け合う。
人として当たり前の行為です。
そこには、それまでの歴史や、国境すら存在しませんでした。
多くの外国から、支援者がやって来てくれました。
絆は、世界ともつながっていたのです。
人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

いま日本は、少しずつ、震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。
私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。
しかし、度を超えた成長は、無理を呼びます。
日本には、「足るを知る」という言葉があります。
自分に必要な物を知っている、と言う意味です。
人間が一人生きて行く為の物質は、そんなに多くないはずです。
こんなに電気に頼らなくても、人間は生きて行けるはずです。
「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、
再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

私たちは、もっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。
がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたい、と切に願っているのです。
今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは、大きな痛みと勇気が必要です。
しかし、今やらなければ、未来は見えて来ません。
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。
そしてこの「絆」を、世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。




『国は栄えて行くべきだ!経済や文明は発展していくべきだ!人は進化して行くべきだ!』

この呪文に縛られている国の代表がここアメリカ。
そうでないと幸せにはなれんやろ?みたいな風潮すら存在してる。
けど、この呪文がいかに人間を狂わせるか、その現実を今、わたし達はいろんな姿で目の当たりにしてる。

法律が知らんうちに変えられてたり増えてたり、援助や言うて金儲けたり、改革や言うて詐欺やったり、
大丈夫や言うて全然大丈夫やなかったり、影響無い言うてめちゃくちゃ影響あったり、

繁栄と発展と進化。
そんなことばっかり考えて生きてるうちに、数えきれへんほどの、けったいで正しくないもんが世界には氾濫してしもた。
その中でも一、二を争うてるのが原子力。
人間が最後までコントロールできひんもん。謙さんはそう言わはった。
そんなもんでお湯沸かしてたやなんて、ほんま、なんぼほどアホやったんやろ?
もうやめよ、な、やめとこうな。

「足るを知る(自分に必要な物を知っている)」

わたしらの心の遺伝子には、こんなすてきな言葉が組み込まれてる。
自然に寄り添い、時にはそのことで傷つけられても、それでもまた立ち上がって、
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本人の姿。
痛みを堪え、辛さを堪え、支え合いながら立ち上がり、新しい幸福を目指す日本人の底力。

今がその時やねん。いきなりでびっくりしたけど、その時が来てしもてん。
そやからがんばろな。がんばってる日本を世界に見てもらおな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする