oshiaraさんという方が 2011/03/14に、ユーチューブにアップロードしてくださってあったビデオです。
25年間、大変な思いをして保管されていたビデオだということです。
1986年4月26日にチェルノブイリの事故があり、その後に制作されたこのビデオを、25年以上経った今、一言も聞き逃したくない思いで観ることになるとは……、
日本人の誰が、地球人の誰が、想像できたでしょうか?
多分、原発というもののバケモノの性質を知りながら、そして、そのバケモノが大きな地震と津波が起こる可能性のある海岸線に建てていた連中は、
まさかと思いながらも、起こり得る可能性を認めていたかもしれません。
ユーチューブ上に掲載されているコメントをここに↓転載しておきます。
1.放射能ってなあに?
2.汚染食品を食べるとどうなるの?
3.放射能が平気な人もいるみたい
4.どうして放射能は危ないの?
5.生き残れるの私たち?
子供達の未来のためにこれだけは知って欲しい。
【市川定夫】
1935年大阪府生まれ。
京都大学大学院修了。
農学博士。
米国ブルックヘブン国立研究所研究員、メキシコ国立チャピンゴ農科大学大学院客員教授、埼玉大学理学部教授等を経て、現在、埼玉大学名誉教授。
その間、伊方原発訴訟や原爆症認定訴訟などの原告側証人として放射線と遺伝の関係を証言。
また、ムラサキツユクサの研究は有名で、ごく低線量でも生物に影響があることを証明。
1995年から原水禁国民会議副議長を務め、今年4月に議長に就任。
ここからはブログ主のわたしです。
天然放射能と人工放射能は違います。
わたし達は、長い長い年月を経て、天然放射能と折り合いをつける術を手に入れてきました。
などと、すました顔で言う資格はありません。
なぜかというと、わたしはほんの少し前まで、汚染されている食べ物を食べているという自覚が全く無かったからです。
最近わたしは、自分が口に入れているものが、汚染されているのかいないのか、それがわからなくなってきました。
日本国産の食材は、ずっと今まで、誇りと、懐かしさと、信頼を感じながら手にとり、割高の値段にも目をつむって買っていました。
今は、外国や、隣の州の、誰がどこで作っているのかをちゃんと知る事ができる所から野菜を送ってもらったり、
調味料も、日本ならではのものも、こちらで作っている、それも、周りにどんな会社や施設があるのかを調べて買うようになりました。
けれども、いろんなものを混ぜて作った物はもう、どうしようもありません。
なので、市販の物がとても減りました。
それでもゼロにするわけにはいかない。
わたし達は、誰かが作った、あるいは加工した物を、その労力に見合っているのかいないのかわかりませんが、お金を払って手に入れる。
そういう方法で手に入れた、食べ物や道具や機械のおかげで、お腹を満たし、心を満たしながら生きることができています。
作ってくれてありがとう。という気持ちと同時に、近頃では、これは大丈夫だろうかという心配が常につきまとう。
こんな世界になってしまった……もしくは、もうとっくになってしまっていた。
わたしにはわかりません。
深刻な事故が無い限り、誰も調べないから。
わたしが今までに食べて排泄してきた物、愛用してきた物の中に、とても酷い汚染が無かったのかどうか。
今までの、いろんな人達の死に、遺伝や生活環境や癖の他に、汚染が強く関係していなかったのかどうか。
わたしはこの際、各国がお金をかけて、自分の周りの物事の汚染をしっかり調べたらどうかと思い始めています。
半減期が恐ろしく長い核種はきっと、今だにしっかりと根を張って、周りを汚染し続けているだろうから。
このビデオを観ながら、そんなことを考えていました。