ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

津波来たらもたない!ストレステストは批判をかわす為の言い訳にすぎない!事故直後、情報は米国に!

2012年01月16日 | 日本とわたし
3つの、東京新聞紙上で報道された記事を、美代子さんのブログから転載させていただきます。

津波来たら、もたない (ふくしま作業員日誌)から

今年になってから、地震が多い。 
12日に震度4の地震があった時は、福島第一原発で作業をしていた。 
近くにあったタンクがガタガタ鳴るから風がすごく強いなって思ったら、一緒にいた仲間が地震だと気づいた。

慣れは怖い。 
「また来た」とは思ったけれど、津波のことは考えなかった。
仲間もみんな落ち着いていた。
だけど、高台の方で他の作業員たちが騒ぎ始めた。

建物内に放送が入って、休憩所にいた同僚が「津波が来るから安全なところに逃げろー」と、慌てて知らせてくれた。
「そうだ津波だ」と思ってから慌てた。
すぐに道具を回収して高台に。

今考えると、道具を回収している場合じゃないんだけど、福島第一は海のすぐそばにあるから、実際に津波が来なくて良かった。 
ほんと怖かった。


元日にも地震があったけど、最近また地震が増えていて気になる。
大小はあるけど、毎日のように来ている気がする。
防波堤も高くはなったけど、海が荒れている時は波が超えたりしている。

今の状態で大地震や津波が来たらー。
福島第一はとてももたない
』(聞き手・片山夏子)


ストレステストは、国民の(原発に対する)批判をかわすための言い訳にすぎない

『ブルガリア原子力安全庁の元長官で、欧州連合(EU)加盟国の原発の安全性を評価するストレステスト(耐性評価)の議論に加わったゲオルギ・カスチェフ氏(62)が東京新聞の取材に応じ、
「ストレステストは、国民の(原発に対する)批判をかわすための言い訳にすぎない」と指摘した。

日本政府は、欧州の制度を取り入れることで、原発の再稼働に理解を求めようとしているが、
本場の欧州で実際にストレステストに加わった人から強い疑念が出された。

原子力物理の専門家で、東京工業大で客員教授を務めたこともあるカスチェフ氏はまず、
EU加盟国のストレステストが福島第一原発事故以前と同じ事業者や専門家によってなされていることを問題視。

「今まで安全と判断してきた人々が再び評価したところで、結果は同じだ。その結果を誰が信じるだろうか」と述べた。

テストの方法についても、
「新しい研究成果をテストに適用する時間はなく、これまでと同じ基準で審査することになる」とし、基準が必ずしも最良ではないと指摘

審査にかける期間が短すぎるほか、事業者による報告書が非公開であることも非難した。
批判は日本の状況にも及んだ。
日本政府が、原発を稼働させ続ける条件として、ストレステスト合格を打ち出したことに 
「妥当性がない。テストを行う意味は、国民の批判をかわして言い訳するためだ」と言明』


緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、事故直後の昨年3月14日、外務省を通じて米軍に提供していた

『文部科学省の渡辺格科学技術・学術制作局次長は16日、
福島第一原発から放射性物質がどう拡散するか緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、
事故直後の昨年3月14日、外務省を通じて米軍に提供していた
ことを明らかにした。

試算結果が国民に公表されたのは、米軍への提供より9日も遅い3月23日のことだった。
公表が遅れたため、住民の避難が遅れ、放射性物質が拡散する方面に非難した人もおリ無用の被ばくを招いた
と批判されてきた。

その一方で、米国側には早い段階で連絡していたことになる。

16日に開かれた国会の事故調査委員会で、委員からの質問に答える形で、渡辺氏が明らかにした。
渡辺氏は「(事故対応を)米軍に支援してもらうためだった。公表という認識ではなかった。
(住民ら国内への公表は)原子力災害対策本部で検討しており遅くなった
」と釈明した』



いったいもう、どういうこと?!

年末に、もっともらしい顔して収束宣言(まああれほど言うた瞬間からウソつくな!って世界中から非難された宣言も珍しかったけど)したのに、
今の状態で大地震や津波が来たら、福島第一はとてももたんって、現場で現実に直面しながら作業してはる人が言うてる。

ストレステストの本場で、実際にそれに深く関わってきた人が、
「ストレステストは妥当性がなく、テストを行う意味は、国民の批判をかわして言い訳するためだ」と明言しはった。
テストのやり方もうだうだ、テストをする人間も仲間内、今までウソばっかついてきた連中のこと、いったいどないして信じられんねん?

ほんで極めつけは、緊急時に、迅速に、放射能の影響を予測できる装置があって、その試算もしっかり出て把握してたデータを、
市民には隠し続けてたのに、米軍に支援してもらいたいからっちゅう理由でしっかり報告してたって?!
震災と津波の後で、被災地の人達が外に出て、お水や食料を受け取るためにずっと長い間立ち続けてたり、
被災した人達を助けに回ってたり、生き別れになった家族を探し回ってたことも重々しってたくせに。

もうほんまにクソの中のクソや!
おい、司法に関わってるあんたら、なんであの連中らを逮捕せえへんねん?
業務上過失致死、少なくともこれは、業務上過失傷害罪に相当するんとちゃうの?
いつまで見てへんふりしとんねん!ちょけとんのか!ええかげんにせんかい!
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過去は変えられへんけど、未来は変えられる!日本の大人は今こそしっかりして未来を変えなあかん!

2012年01月16日 | 日本とわたし
まだこちらは17日になってないけど、17年前の17日の早朝5時46分に、阪神・淡路大震災があった。
6500人もの人が亡くなってしもた。
あの日、旦那と息子達(8才と6才)とわたしは大津に暮らしていて、最初の路地奥の置屋の長屋から、とりあえず壁がどこともつながってない一軒家に引っ越したとこやった。
けどもその家は、正面から見ると、かなりの角度で傾いてる、その通りで一番ボロいことで有名な家やった。

地震が来た時、軋むというより咽び泣くような音がして、家全体が信じられへんほど長く、大きく、横に揺れた。
生まれて初めて腰が抜けて、気持ちは息子らが寝てる二段ベッド(実は織物を保管するための棚やったとこ)に向かうも全く動けず、
同じく生まれて初めて経験したとんでもない揺れで立ち上がれんまま、それでも旦那は、まるでゴリラのおっさんのように、奇妙な動き方をしながら息子らのとこへすっ飛んでった。

いろんなところが爆発して、火災が起こり、生きながらにして焼かれていく家族を見守らなあかんかった人がいた。
悲惨とかいう言葉なんか使てもしょうがないほどに、辛くて惨いことがあちこちで起こった。
報道のためのヘリコプターがバタバタとうるさい音をたてて、そのために、瓦礫の中から助けを求めてる人や動物の声が聞こえんかったりした。
毎日テレビをつけっ放しにして、三日間ほどずっと泣いてた。
運良く家族全員無事にいられることのありがたさに、手を合わせて感謝した。



14日と15日、横浜のパシフィコというとこで、脱原発世界会議が開催された。
 
毎日新聞

脱原発世界会議:「廃炉へ工程表を」宣言発表し閉幕-横浜/神奈川

横浜市西区で開かれた世界約30カ国の専門家や市民が原発について考える「脱原発世界会議」は最終日の15日、「原発のない世界のための横浜宣言」を発表し、閉幕した。
ピースボートなど6団体でつくる実行委員会によると、14日からの2日間で延べ約1万1500人が参加した。

両日で約100のテーマ部会が企画され、15日の「脱原発・首長会義」には福島県南相馬市の桜井勝延市長ら8人の首長や首長経験者が出席。
桜井市長は「原発事故を二度と起さないために脱原発を力強く口にするようになった」と明かした。

また、96年に東北電力巻原発建設計画の賛否を問う住民投票を実施した新潟県巻町(現・新潟市)の笹口孝明元町長は、
「国策に地域住民が声を出すのはおかしいという議論もあるが、生命健康に関わることは住民に決定権があるはず」と指摘。
住民投票で反対多数の結果が出たことから、笹口氏は計画への不同意を表明し、東北電力が計画を断念した。

会議に出席した首長らで「脱原発市区町村長会議」を結成することも決定
閉幕イベントで「核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発を廃炉にする工程表を作る」ことを目指す「横浜宣言」を明らかにした。【高橋直純】


共同通信

横浜の脱原発世界会議に3千人 避難児童「大切なのは命」

「脱原発世界会議」で「原発はいらない」と訴える福島県郡山市の富塚悠吏君=14日午後、横浜市


東京電力福島第1原発事故をきっかけに「原発のない未来」を話し合う「脱原発世界会議」(ピースボートなど主催)が14日、横浜市で始まり、
約30カ国から原子力の専門家や市民活動家らを含む約3千人が参加。
福島からの避難者が「原発はいらない」と訴えた。

開会式では、福島県郡山市から横浜市に避難している小学4年富塚悠吏君(10)が、
「政治家に言いたい。大切なのは僕たちの命ですか、お金ですか。僕は病気になりたくない。原発は子どもにはいらない」と訴えた。

東京都内に滞在している郡山市の女性(33)が家族や友人と別れのつらさを語ると、涙を拭う外国人参加者の姿も。
2012/01/14 19:21


会場に入りきれん人達がいた。
会議と並行して、原発反対のデモ行進が行われた。こちらも5千人集まったそうな。


地震がいっぱい起こる島、日本。
もしもの時の避難セットやら、家具が倒れんような器具をきちっとつけたり揃えたりするのに、
なんで、なんで、こんないっぱい、核物質だらけの建物を次から次へと建ててしもたんやろ。
わたしら国民が、いくら騙されやすいからいうても、危ないもんやってことは関係してる人らにはわかってたはずやのに。

17年前の、あの巨大で、情け容赦のない自然の現象を、日本はただただ受け入れて、共に生きていかなあかん国なんやと思い知ったんと違たんか。
17年前のあの地震の後に、良識と誠意でもって民を守るという意思があるもんが、政治家や企業家や専門の学者に存在してたら、
ほんでわたしらも、ただただ便利やの快適やのという言葉のリズムが心地良うて、のんきに調子に乗って踊ってたりしてへんかったら、
地震より6年ほど前に起こったチェルノブイリ事故の現実を、活断層だらけの海岸線に建つ原発とつなげて、真剣になんとかせなって思てたら、
こんな悲惨な日本になってへんかったんやろか……。

……やったら、……してたら、そんなことをなんぼ悔やんでももう起こってしもたもんは消されへん。
わたしらの手で、うんと悔やんで省みたわたしらの思いで消せるのは、いや、消さなあかんのは、核物質の燃料やゴミや兵器。
絶対にこれだけは実現させな、これからの子達に、世界に、地球に、宇宙に申し訳がたたへん。
17年前だけやない、それまでにも、それから後にも、いろんな天災や事故で命を失った人達の、生きたかった思いに報いるためにも。
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