ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている!

2012年01月06日 | 日本とわたし
「これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します」ドイツ女医の更なる警告---ドイツTAZ紙:デルテ・ジーデントプフ医学博士インタビュー

Tomoさん(ドイツ在住)のブログより転載させていただきます。
この記事は、ドイツの新聞に載ったジーデントプフ医学博士のインタビューを、Tomoさんが翻訳してくださったものです。
このような膨大な量の文章を翻訳するのは、想像を絶する大変さだと思います。
貴重な内容なので、本当にありがたいと思っています。


低線量被曝による「脳障害」「不妊」「糖尿病」などを警告するドイツ女医のインタビュー

12月初旬、ジーデントプフ博士は私達取材班を、ベルリン・パンコフの市民公園沿いにある、彼女の小さな屋根裏のアパートに迎え入れてくれた。
お茶とクッキーをはさんで、今までの救援活動や経験について語ってくれる。

『一番ひどいのは、責任者達が、チェルノブイリから何一つ学んでいないことです。
チェルノブイリ事故よりもさらに規模の大きい福島原発事故に対する対応ぶりには、私は茫然自失としています。
日本政府が、避難地区を事故に見合った範囲に拡大しなかったこと、
女性や子供達を、即座に安全な南へ避難させなかったことに対しては、ただただやり場のない怒りを感じるだけです。
そうした適切な措置を取る代わりに、国民はシステマティックに騙されてきました。
実際の危険に関する情報は伝えられない、あるいは伝えられても誤った情報である。
なんという無責任でしょう。
これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。
しかも、政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです!世界中で!


チェルノブイリの先例を見れば、事故の規模については、ある程度想像が出来るでしょう。
多くの人々が、チェルノブイリははるか昔のことだ、ウィキペディアで調べられるような過去の事故だ、と考えています。
しかし、汚染地域の住民達は、1986年から現在までチェルノブイリ事故と共に生活してきているのです。
事故による被害は、収束するということを知りません。
自然災害と違って、原発事故の被害は、時間の経過と共に減少していく代わりに増大していくのです。
しかも、その期間は、今後少なくとも300年間にも及びます。

このことに関しては、後ほどもっと詳しくお話しましょう(Gesundheitliche Folgen von Tschernobyl, 20 Jahre nach der Reaktor- Katastrophe )」


人々は何十年にも渡って汚染地域で生活してきた

「その前にまず、何故私達が援助活動をベラルーシーで始めるようになったのか、手短にお話しましょう。
チェルノブイリ事故による汚染地域の大部分は、ベラルーシーにあるのです。
当時のソ連邦に降下した放射性物質の70%が、当時の旧ソ連ベラルーシー共和国に降り注ぎ、国土のおよそ4分の1が放射能汚染されました。
ベラルーシーの国境は、原子炉から約15キロの距離にあります。

それだけではありません。
事故後、風向きが変わって、放射能雲がモスクワに向かい始めたとき、
ヨウ化銀を用いた人工雨によって、大急ぎで、放射性物質のベラルーシー領域への降下が促進された
のでした。
もちろん、住民には何も知らされませんでした。
五月初旬のよく晴れた日、突然空からべとべとした黄色い雨が落ちて来た、と人々は語ります。
このことは、長年の間、住民に明らかにされず、ただ移住が行われ、指令が出され、人々をなだめすかせるようなことが行われただけでした。
計測器は、厳重に禁止されていました。

特に汚染がひどかったのが、ゴメルとモギリョフでした。
このモギリョフ地方にあるのが、私が20年来足を運び続けている小都市コスジュコヴィッチなのです。
ゴメルとモギリョフ両地方は、大きな面積が放射能汚染され、約百万人が移住させられましたが、
移住を実行するためには、まず大きな都市や区域に家々を建設しなければなりませんでした。

ミンスク(ベラルーシー首都)周辺には、大きな街が建てられました。
新しい住居に移住できるようになるまで、多くの人々は、十年間も、汚染地域に住み続けなければなりませんでした。
そして今でも、多くの人々が、汚染された土の上に住み、農業に従事しています。

ソ連邦が崩壊した後には、こうした措置の責任は、すべてベラルーシーが負うことになりました。
私達の「区域」だけでも、8000人の住民が移住させられました。
26の村が取り壊され、土に埋められました。
放射能汚染地域の村々の多くは、空っぽのまま取り残されています。
そこには老人達が帰郷したり、町で生活していけないアフガニスタンやチェチェン戦争の旧軍人達が住み着いたりしています。

チェルノブイリ周辺の閉鎖区域でも、似たような光景が見られます。
古い村に、人々は電気も水道もないまま住み続け、自分達の手でなんとか生き延びています。
この地域の地面は砂地です。
ベルリンと同じで、白樺の森は、ベルリンからモスクワまで続いています。
この土地では地下水は浅く、放射性物質が年に2センチずつ沈下していくと考えると、現在では、地下50センチまで達していることになり、地下水まであとわずかです。


国家予算の半分

そういうわけですから、彼の地では、大々的な変革が起こりました。
ベラルーシーは、莫大な医療費を負担しなければいけませんでした。
チェルノブイリ事故後10年、15年に渡って行われてきた国土に対する対策、校庭の除染ですとか、取り壊しなど。
いったいその汚染土がどこに運ばれていったのか、私は知りません。
こうした費用は、すべてベラルーシーが負担しなければなりませんでした。
おそらく、国家予算の半分は、チェルノブイリ事故処理のために消えていったと思われます。

とうとうある時期、ソ連時代のような、比較的気前の良い措置を実施し続けることは望まれなくなり、また続けることも不可能になったのです。
ルカシェンコ大統領が、チェルノブイリ事故は収束したものであり、博物館に収めるべき過去の出来事である、と発表したのはそのためです。
放射能汚染されていたベラルーシーの地域は、すべて安全になった、と公式表明されました。

事故処理除染作業で、証明書を保持する者には、事故後20年間、「石棺費」と呼ばれる補償が支払われてきました。
また、移住をさせられた人々も、請求権を所持していました。
こう言った手当てが、広範囲に中止されてしまったのです。
決して多額ではありませんでしたが、その他に、無料に施されていた医療手当も廃止されてしまいました。
また、チェルノブイリ事故の影響と認められてきた幾つかの病気も、現在では容易には認められなくなりました。
事故を起こしたチェルノブイリ原発とその周辺地域には、およそ100万人の「事故処理除染作業員」が送られました。
ほとんどが若者です。
そして多くが、ベラルーシー出身でした。
今日、こうした作業員のほとんどが身障者です。
肺癌、甲状腺癌、心臓疾患、腎臓や胃腸の障害、白血病のほか、精神病を病んでいる者もあります。
すでに約10万人が、40~50代で亡くなっています。
自殺をした者も数多くあります。
それなのにあっさりと、「チェルノブイリは過去のものだ」といわれるのです。

ミンスクでは、抗議運動が起こりました。
そして現在、キエフでも彼らが、ウクライナ政府が目論んでいる年金や手当て打ち切りに対して、ハンガーストライキを行ったところです。

例えばベラルーシーでは、被害者達は、幼稚園や学校給食が無料だったり、子供達は、特別のヴィタミン剤や保養を受けることも出来ました。
保養こそ、今でも年に一度受けることが出来ますが、その他の措置は、すべて打ち切られてしまいました。
ヴィタミンたっぷりの給食もです。
被害者達は今でも証明書を所持していて、私達に見せてくれますが、実際には価値がなくなってしまったわけです。
事故当時の請求権は、すべて廃止されてしまったのです。

そもそも収入が少ない上に、体も壊している人々にとって、こうした廃止や短縮はすぐに響きます。
今も、ちょうど毎年恒例の地方税増税を行ったところです。
つまり、水道代と暖房費。
例えばこの暖房ですが、田園地帯を通って、耐寒措置の施されていない配管から、都市や大きな住宅や団地に送られるので、途中で多くの熱が失われてしまいます。
そして人々は、失われた暖房分も支払わなければなりませんから、村に住んだ方が安くあがることになります。

国民の生活を圧迫する国家巨大赤字は、確かにチェルノブイリ事故処理を原因、とする面もありますが、ずさん極まりない経済体制によるところも大きいのです。
ベラルーシーのハイパー・インフレは、目下113パーセントにも昇ります。
国民の平均所得は、月々150~300ユーロ(約1万5千円~3万円)です。
外国での就労は認められていません。


反対運動はまったく存在を許されない


ベラルーシーと、新たなEU参加国であるポーランドやラトヴィア、リトアニアへの国境は、非常に近いです。
しかし、問題は、お金や国家破綻の脅威だけではありません。
20年間、この国は、どうにも民主主義を樹立させられずにいるのです。
政権に対する反抗は、まったく許されません。
それでもなお、抗議運動が起こるのです。
新しい原発建設と言う、とんでもない政治決定に対する抗議です。

ベラルーシーは、原発を所持しません。
しかし、福島原発事故後間もなく、ルカシェンコは、ロシアの支援を受けて、
リトアニアとの国境から20キロの場所にあるオストロヴェッツに、原発を建設する、と発表しました。
その後、ルカシェンコとプーチンの間で、契約も締結されました。
建設費用は、50億ユーロ以上掛かると言われていますが、
この新型で、まったく安全な原発により、クリーンで安価なエネルギーの供給が可能になり、雇用も増加するという、お決まりのプロパガンダが行われています。
東でも西でも、原発産業はまったく変わりません。


(中略:デルテさんのベラルーシー訪問や、支援活動について語られますが、長いのでいったん略させていただきます)

さて、現地の人々の健康状態についてお話しましょう。
ドイツでは、耳にすることのない内容です。
次のことを、よく念頭に入れておくことが重要です。
事故から時間が経過するとともに、人々の健康と生物学上の被害は、甚大になっていくのです。
ドイツ政府もマスコミも、ルカシェンコ大統領と同じ様に、この事実から目を逸らそうとしています。
事故は過去のもの、博物館入りしたもの、と言う政治決定がなされたからです。


身を隠す母親たち

チェルノブイリ事故後、様々な、異なる被害の波が発生しました。
最初の波は、まず成人に襲いかかりました。
除染作業員達、放射能汚染した村を訪れた医者やその他の人々、そして、そういう場所に住んでいた人々の多くが、間もなく癌で亡くなったのです。
またもう一方で、間もなく、子供達も被害を受け始めました。
ベラルーシーでは、ヨード不足が蔓延しています。
ベラルーシーには海岸がありませんから。
その点日本は幸運でした。
蔓延するヨード不足のため、ベラルーシーの子供達は、甲状腺に大量の放射性ヨウ素を取り込んでしまいました。
放射性ヨウ素は半減期が短いので、最初の十日間で取り込まれたことになります。

また、チェルノブイリ事故後、被害を受けた妊婦を、全員堕胎させる試みが行われました。
しかし、一部の妊婦達は、身を隠してしまったのです。
そして、その翌年生まれてきた子供達の間にも、甲状腺癌が現われたのでした。
甲状腺癌は、チェルノブイリ事故以前には、子供にはまったく見られなかったのに、今では4000人の子供の甲状腺癌が、ベラルーシーでは公的に認められています。
この子供達は手術を受け、放射性治療を受けました。
それでも、一生ホルモン投与を続けなければ、クレチン病(甲状腺機能低下による先天性の病気; 体の奇形・白痴症状を伴う)を患ってしまいます。
こうした一連の治療は、後年発症した機能障害のケースも含めて、事故から25年が経過した今日でも、無料で行われるべきです。

続く世代には、血液の病気が増発しました。
ですから私達は、「チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている」と表現するのです。
そしてこの現象は、あと300年間続くことになるでしょう。
これは、ストロンチウムとセシウムの半減期30年を、十倍して計算した大まかな期間です。
そして少なくとも、7から8世代を意味します。
半減期が2万4千年のプルトニウムには言及しません。
糖尿病も問題の一つで、成人のみならず、子供や特に新生児に見られます。
かつてはありえなかったことです。

糖尿病に対して、ベラルーシーは、二種類のインシュリンを購入して、すべての患者に対応しようとしています。
しかし、子供には少なくとも、三種類のインシュリンが必要です。
これは、NGOが面倒を見なければ、手に入らない状態です。
NGOはまた、不足している知識を人々に広める役割も果たしています。
さらなる問題としては、子供の視力障害、白内障が挙げられます。
また、女性の間では乳癌が増加し、患者の多くは、5年以内に命を落としてしまいました。
もしかしたら、被曝によって引き起こされる癌は、通常の生活の中で発生する癌よりもタチが悪いのでしょうか?

奇形の数も増えました。
堕胎は大きなテーマです。
ベラルーシーには、避妊費用を負担できる人がほとんどいないのです。
ですからこれは大きな問題です。
また逆に、不妊に悩む夫婦の問題も発生しています。
コスチュコヴィッチでは、30%の夫婦が、望まない不妊に悩んでいます。
また、現在6~9歳の子供達の間で、悪性腫瘍が増加し、新たな問題となっています。
脳腫瘍や骨の腫瘍です。

まだまだ問題はあります。
放射能汚染した地域では、傷口がなかなか癒えないのです。
これはドラマチックでした。
原因は、免疫力の低下。
骨に取り込まれたストロンチウムのせいです。
骨の中では血液が製造されますが、それが常に被曝を続ける状態になるわけです。
ちょうどエイズと同じような状況で、抗体が製造されなくなるために、予防接種が効かないのです。
そのために、予防接種にも関わらず、急性灰白髄炎(ポリオ)が増加しました。
予防接種が効かなくなったせいと、栄養状態が悪いせいで、結核も増加しました。
その上人々は、自家菜園に雨水を撒き、秋になると、今でも汚染度の極めて高いキノコや野いちごを収穫します。

傷ついた細胞

被曝が直接引き起こす健康被害にはまた、身体、又は精神に、障害を持つ子供の増加があります。
女性の卵巣は、胎児の状態ですでに形成されることを、よく知っておかなければなりません。
そして、細胞の多くは、約8百万個の卵胞に発達します。
母体が受けている傷は、すべてこうした細胞に伝達されます。
胎盤という保護膜がありますが、よりによって放射性物質は、この部分に凝縮しやすいのです。
傷ついた卵子は、修復されることができません。
誕生時に、1~2百万個が傷ついていることになります。
思春期では、約40万個がまだ残っています。
依然傷ついたままの卵子を持った母体が妊娠すると、それに応じた障害が引き起こされるのです。
もう一つ知っておかなければならない大事なことがあります。
こうした遺伝子の障害や癌といった症状の原因は、すべて低線量被曝だということです。
これは、除染作業員達を襲った被曝症状とは別物なのです。
そして、責任者達は、このことを頑なに認めようとしていません。

身体に取り込まれた人工放射性物質が、内臓器官を傷つけるのは、波長の短い放射線を発するためです。
放射性物質が、細胞を傷けた場合、起こりえる現象は4通りあります。

1) 細胞は死亡する 
2) 細胞の機能が障害を受ける
3) 細胞は劣化し癌に変わっていく
4) 細胞は修復される


4)が可能なのは、成長した細胞だけです。
胎児には、修復機能は全く備わっていませんし、子供の細胞も修復はできません。
子供の細胞は、成長と分裂を行うように出来ているだけで、修復機能は徐々に取得されていくものなのです。
そのため、子供達は、ひときわ被曝の脅威にさらされています。
福島の妊婦と子供達が、即座に避難させられなければいけなかったのもそのためなのです!

原子力産業の規模というものは、私達などにはまるで想像も及ばないほど巨大なものです。
あまりに多くの経済的利権、お金が、背景に絡んでいます。
そして、原子力産業とそのロビイスト達(これに含まれるのは政治家や関連組織ですが)は、徹底して冷笑的な存在であり、それに見合った行動を取ることだけは私達にもわかります。
まずは、被曝許容基準量が一番の例
です。
ベラルーシーとウクライナでさえ、被曝許容基準は、私達(ヨーロッパ)よりも低いのです。
とにかく、世界には、完全に中立の機関が一つとして存在しないのです。
WHOには、放射線防護の専門家は、たった1人しかいません。
それに、どっちみち、WHOは発言なんてできないのです。
放射線問題に関しては、完全に口を封じられてしまっているからです。
1957年に、IAEA(世界原子力機構)との間に結んだ協定によって、WHOは、本当の放射能危機に関するいかなる報告を行うことも阻止されているのです。
私達は、この口封じの協定を、断固として弾劾しなければなりません。
IPPNWは、この協定の破棄を求めています!
この協定を破棄することで、WHOは、ようやく自らの憲章前文を、正当に実施することが出来るようになるかもしれません。
「最高水準の健康に恵まれることは、あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです」

IPPNWは、2011年8月に公表したFoodwatchリポートにおいて、明白な表現を行っています。
「許容基準の設定とは、結局のところ社会が許容する死亡者数を意味するのである。」

*******       *******       *******

医学博士デルテ・ジーデントプフ。
1942年オルデンブルグ(北ドイツ)生まれ。
同地でアビトゥア(大学入学資格)まで学び、1961年からヴュルツブルグ、ベルリン、ゲッティンゲンで人間医学を学ぶ。
1966年学位取得試験、1968年博士号取得。
1967年結婚し、子供二人を持つ。
1970年からは、ヘッセン州ディーツェンバッハの共同診療所に、一般医・心理セラピストとして常勤。
2003年現役引退。

ジーデントプフ博士は、1981年の創設当時から、IPPNW(核戦争防止国際医師の会)に所属する。
90年代はじめ「ディーツェンバッハ・コスチュコヴィッチ友の会財団」を設立。
年二回、ベラルーシに医療器具、衣服、自転車、ミシン、コンピューターなどの、支援物資を送付するなどしている。

ドイツでは20年来、チェルノブイリの子供達のための療養滞在が組織されて来ている。
ディーツェンバッハ市では、ホストファミリーが、毎年夏にベラルーシーの子供達を迎える。
今では、「友の会」はメンバーの数も増え、コスチュコヴィッチ市との間に、数々の交友を実現させてきた。
何人かの実行グループのメンバーが、世話を一手に引き受け、寄付金や物資支援も募集している。
2009年チェルノブイリ事故から23周年の日には、両市は姉妹都市となった。
ジーデントプフ博士は、医師の夫を持ち、子供が二人いる。
父親は地方医、母親は教師で主婦だった。



チェルノブイリが見せてくれた辛く酷い現実を、日本でまた繰り返したいか?
別にええやん、と思える人間は人間とちゃう。
別にええやん、とシラを切る政治は政治とちゃう。
別にええやん、と突き放す国は国とちゃう。

日本の大人は、今ここでまず、自分の体がいかれてしまわんように猛烈に大事にしながら、放射能の攻撃にひとたまりもなくやられてしまう子供を守る。
子供を守らな未来が亡くなる。
コンセントの向こうでほくそ笑んでる、わたしらがうっかりしてる間に作り上げられてしもたシステムに、わたしらは石を投げつけ続けなあかん。
石の上にも三年て言うやんか。
システムの壁には何年かかるか知らん。けど、大勢の人間が寄ってたかって投げ続けたら、絶対にどこかに亀裂ができて、そこからヒビが入り、いつかは崩れるはず。
自分の子のため、よその子のため、日本の子のために、わたしら大人が自分の手で石掴んで投げなあかんねん。
もうフクシマは、遺伝子の中で荒れ狂てしもてる。
もうフクシマだけでたくさんちゃうの?
これ以上、日本のどこの地名も、世界からカタカナで呼び捨てされとうないやんか。
せやから闘おう!
廃炉はわたしらが考えてるほど簡単なこととちゃう。
ものすごいお金と時間がかかる。
けど、ここで日本が核と手を切らなカッコ悪すぎや!
大人がひとりひとり、一個の石をぎゅっと掴んで集まろう!
どんなとこでも方法でもええから、集まって大きな数を作ろうな!
わたしらが力を示せるのは数やねん。数がもの言うねん。
核いらん年!
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守るべきものは

2012年01月06日 | ひとりごと
2012年最初の、気功瞑想のクラスに行った。


15分の立ちながらの瞑想から、1時間の座っての瞑想に移り、そのあといろんなことを話し合った。

瞑想中に、濃い緑や赤や白、それから黄金に紫、各臓器に合わせて色をイメージするのだけれど、
そしていつもは、このことに関しては、けっこう問題なくできていたのだが、今日はどうしてもこの色が浮かんでこなくて少し焦った。
それでそのことを言うと、「わたしもそうだった」と言う人がいて、
ではそのことについてちょっと考えてみよう、ということになった。

色をイメージしにくくなるのは当たり前なのかもしれない。
特に今日のような曇った冬の日には。

そんなふうに、当たり前だと、すぐに思えなくなってしまってること。
思えないどころか、どうしてこんな暗い色ばかりしかイメージできないのかと、焦ったり戸惑ったりしてしまうこと。
そこに、現代人の不自然な生き方が影響しているのかもしれない。

人間は、自然の中で生きてるけれど、特にアメリカのような国の在り方に従うには、自然に反することをたくさん、無意識にしてしまっている。
寒くなれば温かく、暑くなれば涼しく、暗くなれば明るく、乾燥すれば湿気を加え、
眠るべき時間にも電気を煌煌とつけ、神経を休めることなく目を使い、手を使い、
その間、小腹が空いてきたからと、食べるべき時間でもないのにスナック菓子や茶を口にして、後で後悔する。
そして、大手農家や大企業は、自分の家族には絶対に口にさせない物を作って売り、
行政は、水道水内の有害物質の除去基準を甘くし、蛇口からの水を信用できなくさせ、困った市民が渋々買い始めた水も、いったい本当に大丈夫なのかどうかも誰も知らない。
それ専用のボトルのためにプラスティックがまたまた大活躍し、そのプラスティックの容器が、夏の炎天下の下で放置され、水に溶けている。

今日本は、大きな原発事故が起こって、放射能の汚染と対峙しなければならないけれど、事故が起こったから、いろんな物を調べ始めている。
事故が起こっていないここでは、よほど危機感を抱いている者以外、誰ひとり調べようとする者はいない。
だから、知らないだけで、とんでもなく汚染されてしまっている物があるかもしれない。
隠匿されたまま、騙されたまま、大人も子供も動物も、じわじわと、大きな力を持つ者によって作られた不自然の世界の中で生きている。

どこの国もそれぞれに、それぞれの問題を抱え、混乱し、闘っている。
ミリアムが、「イスラエルの人間は、よその国の人から、『よくこんな所で暮らしていられるな』と言われることが多い」と言った。
けれども、イスラエルよりいろんな物事が整っていて、幸福度も高いと言われているスウェーデンの人の方が、自殺度が高い。
どの国の人も、そこにたまたま生まれ、そこでたまたま生きていく事情があるから、そこに留まり生き続けている。
人はどんなに頑張っても、世界をコントロールすることはできないけれど、自分の周りを自分の生きよいように整えることはできる。
そしてそこで、一日一日を生きていく。

でも、その毎日の中で最も大切なことは、全力をかけて自分を守ること。
親から受け継いだもともとの力(これをミリアムはいつも定期預金のようなものと言う)に手を出さなくてもよいように、自分の力(普通預金のようなもの)をしっかり管理すること。
そのために良いと思われること、ミリアムや我々の場合は気功や瞑想、他にヨガや運動、人によってそれぞれ違うものに取り組みながら、
早寝早起きをし、腹八分目の分量の食べ物をよく噛んで食べ、一日に必ず一回、静かに何もしない時間を作る。
そうやって、自分の心身を鍛えることが、我々を取り巻く悪意や毒から身を守ることになる。
そして子育てしている大人は、自分の子供を我が事のように、その子が自分のことを自分で管理できるようになるまで守らなければならない。

まるで昨日の、肥田医師の言葉の続きのようなミーティングになった。


おまけとして、ミリアムから聞いた、ポテトチップスの話をひとつ。

彼女は若い頃、イスラエルで、ポテトチップスの工場で働いていたことがある。
その時以来彼女は、ポテトチップスを一切口に入れなくなった。
ポテトチップスを作るには、当然ポテトが要る。
広大な畑から採取したポテトはまず、

最高品種→高級スーパー
普通品種→普通のスーパー
やや劣る品種→貧民街のスーパー
かなり劣る品種→冷凍食品&缶詰
最低品種→スターチなどの粉
どうにもこうにも食べ物とは言えない品種→ポテトチップス

に分けられ、当然のように売りに出されたり、加工されていったのだそうだ。

どうにもこうにも、もはやジャガイモなどとは言えないものをまず煮て、粉にし、腐敗やカビの臭いを除去し、危険な油で揚げ、そこに強烈な味と匂いの化学物質を加え、過多な塩分を加え、そして袋詰めされる。

というわけで、ポテトチップスを食べる時には、それ相応の覚悟をして食べてください。

わたし達の生きている現代は、本当に、マジで、けっこう狂っている。
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