ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

こいつら全員無期懲役!

2012年01月17日 | 日本とわたし
わっはっはっはっはっ!
こんなん政府ちゃうわ!
記者さん、そういう単語使わんといて!
原発狂い集団その1、その2でええねん!

地震の活動期に入ったっちゅうのに、それを無視って原発原発原発!
もうわかってたっちゅうねん!
最初っからこうするつもりやったんやろが!
うんざりも通り越したら笑えてくるわ!

アメリカがそうやから世界的?
アメリカがやってるから国際的?
「国際的な動向を参考にした」やと?
「60年運転でも十分な余裕がある」やと?
アホ抜かせ!
アメリカで活断層の真上に建ってる原発は104基のうちの2基だけやねん!
環境が全くちゃうやろが!

それに、アメリカこそが、あっちゃこっちゃに原発押しつけて、自分らが使う核兵器の材料集めてる悪の元締めやがな!
おまえらの言うハードルなんか、高かろうが低かろうが意味ないねん!
もうほんま、おまえら日本から出てって!
とっくの昔から、日本にはもう、政府も司法も行政もなくなってしもてん。
今、それでもなんとかやっていけてるのは、国民のおかげやねん。
いらんねん!
消えてくれ!


原発:40年廃炉、一転「60年」容認へ 政府が方針

『政府は17日、原則40年で廃炉にすると公表していた原発の運転期間について、
「20年を超えない期間、1回に限り延長を可能とする」との方針を新たに明らかにした。
今月6日に細野豪志環境相が「40年で廃炉」方針を公表した際には、例外もあり得るとの見解を示していたが、年数は明らかにしていなかった。
この「例外規定」が適用されれば、国内で今後認められる原発の運転期間は最長60年となる。【江口一】

政府は、24日に召集される通常国会に関連法案を提出し、4月1日施行を目指す

内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室によると、関連法案では、原子炉等規制法に「40年」の運転期間制限を明記する一方、
「環境相の認可を受けて20年を超えない期間、1回に限り延長を可能とする」との規定を追加する。
具体的な期間は、20年を上限に政令で定める。

延長の考え方は米国を踏襲したもの。
米国では、法律で認められた40年の運転期間の後、交換困難な機器類の劣化対策を確認し、
原子力規制委員会の許可が得られれば、最長20年の延長が何度でも認められる。
同準備室は「国際的な動向を参考にした」と説明する。

細野氏は6日に「原則40年で廃炉」の方針を公表した際、事業者から運転延長の申請があった場合は、
(1) 施設自体の老朽化の評価
(2) 施設を保全できる技術的能力--を審査し、問題ない限り延長を承認する、との例外規定を示していた。
一方、この規定により、事故リスクが高い老朽化原発を減らしていく、という原発安全規制が形式化するとの指摘もあった。
 

◇「60年」経産省の従来見解に合致

原発の寿命を原則40年と定めながら、その発表から11日後に、最長で20年もの延長を容認した今回の原子炉等規制法の改正案は、
「60年運転でも十分な余裕がある」としてきた経済産業省の従来見解に合致し、政府の原発規制姿勢が後退した印象を与えるものと言える。
政府は「延長には高いハードルを設ける」と例外を強調するが、具体的な延長基準は示されず、専門家から強い疑問の声が出ている。

内閣官房の担当者は、20年という延長期間の根拠として米国の例を挙げ、
「世界的に認められている。(延長できる)可能性として短すぎるのも妥当ではない」と説明。
具体的な延長期間や基準は、新たな規制機関となる原子力安全庁で、専門家の意見を聞いて政令などで決めるという。

原発の老朽化問題に詳しい市民団体「原子力資料情報室」の上澤(かみさわ)千尋氏は、
「米国でも延長基準は緩く、実際に(運転延長が)例外になるかどうか疑問だ。
原子炉の劣化を診断する方法が技術的に確立していないことを真摯(しんし)に受け止めるべきだ」と厳しく批判しており、
原発の40年運転制限制が形骸化する恐れは、依然ぬぐいきれない。【西川拓、比嘉洋】』


なあ報道屋さんら、
そろそろ、こんなお伝え記事ばっかり書いてんと、
あんたらが思てる本音をガツンと書いたらどう?

いつまでこんなことやってるん?
次のおっきな地震が来るまでか?
いよいよ日本が半分以上つぶされてしまわな、良心は出てこんのか?
共犯もしんどいやろ。
ええかげんにしたらどうや?

「冥土の土産に、電力会社を血祭りにあげてくれよう!」

2012年01月17日 | 日本とわたし
広瀬隆氏の叫びをふたつ、『談』立ち読み週刊朝日に掲載されたものをここで紹介します。

原発破局を阻止せよ!
(40)『東電が責任放棄、追認する国の狂気』
(41)『原発全廃へ決戦、2012運命の年』



「東電が責任放棄、追認する国の狂気」

前号で、福島県内のゴルフ場が放射能汚染されたので、東京電力に除染を求めた裁判で、ゴルフ場側の訴えが却下されたことについて述べたが、
東電によれば、原発事故を起こして大気中と海水中に放出された放射性物質は、所有者が存在しない「無主物」という定義だ。
これほど不条理な理屈を、なぜ東電は持ち出したのか? 
ならば、松本サリン事件、地下鉄サリン事件で、オウム真理教がばらまいたサリンも、無主物ではないか
なぜ、オウム真理教の実行犯たちは、死刑判決を受けたのか? 
同じように放射性物質を日本全土にばらまいた東電は、業務上の過失ではなく、
事故が起こり得る可能性を充分に知りながら大事故を起こし、司法界で「未必の故意」と定義される重大犯罪者なのである
正気とは思えない東電と、彼らの除染の責任を認めない裁判官の頭の中を、理解できる人がいるだろうか。
ゴルフ場側は、決定を不服として東京高裁に即時抗告したが、ここまで日本という国家全体が狂ってしまった。

このように、被害を起こして平然としていられる社員が集まった企業が、東電という会社だったのである。
そのような人の集団が、この世で最も危険な原子力発電所を運転しているのだ。
会長・社長ばかりか、全社員に人間の血が通っていないからこそ、このような事件があっても、社内で誰も異論を唱えない。
原発事故を起こせば、電力会社は今後考えを改めるだろうと読んできたわれわれは、甘かった。
どうやら東電は、水俣病を引き起こしたチッソをはるかにしのぐ、度を越した極悪人の巣窟である
ことがはっきりしてきた。

放射能の汚泥・汚染土壌・汚染瓦礫(がれき)・焼却灰は、人体にきわめて有害なのである。
日本全土に降り積もった放射能の汚染物を、すべて東電本社の社屋に投げこむぐらいの行動を起こす必要があるのではないか。
そして、投げこんだあと、「それは無主物だ」と、怒鳴りつけてやらなければ気がすまない


そもそも、事は、こうして始まったのだ。
6月16日、全国各地の上下水処理施設で汚泥から放射性物質が検出されて深刻になってきたため、
政府の原子力災害対策本部は、放射性セシウムの濃度が1キログラムあたり(以下すべて同じ単位で示す)8000ベクレル以下であれば、
跡地を住宅に利用しない場合に限って汚泥を埋め立てることができるなどの方針を公表し、福島など13都県と8政令市に通知した。
また、8000ベクレルを超え、10万ベクレル以下は、
濃度に応じて住宅地から距離を取れば、通常の汚泥を埋め立て処分する管理型処分場の敷地に仮置きができるとした。

さらに6月23日の環境省の決定により、放射性セシウム濃度(セシウム134と137の合計値)が8000ベクレル以下の焼却灰は、
「一般廃棄物」扱いで、管理型処分場での埋め立て処分をしてよいことになった。
さらに環境省は、低レベル放射性廃棄物の埋設処分基準を緩和して、8000ベクレル以下を10万ベクレル以下に引き上げてしまい、
放射線を遮蔽できる施設での保管を認めてしまった。

おいおい待てよ。
原子力プラントから発生する廃棄物の場合は、放射性セシウムについては100ベクレルを超えれば、厳重な管理をするべき「放射性廃棄物」になるのだぞ。
環境省は、なぜその80倍もの超危険物を、一般ゴミと同じように埋め立て可能とするのか。
なぜ汚染した汚泥を低レベル放射性廃棄物扱いとして、ドラム缶に入れて保管しないのか。
この発生地は、無主物どころか、福島第一原発なのだから、その敷地に戻すほかに、方法はないだろう。
これが「廃棄物の発生者責任」という産業界の常識だ


さらに環境省は、放射性物質の濃度が適切に管理されていれば、再生利用が可能であるとして、
一般の市場に放射性廃棄物を放出するというトンデモナイおそろしい道を拓(ひら)いた

環境省のガイドラインに従えば、リサイクル製品にはフライパンも入ってくる。
えっ、放射性廃棄物が、いよいよフライパンに化けるのか。

6月半ば、汚泥は関東地方全域で深刻な量に達し、数万ベクレルの汚泥があと数日で置き場がなくなるという危機になった。
すると6月24日、農林水産省は「放射性セシウムが200ベクレル以下ならば、この汚泥を乾燥汚泥や汚泥発酵肥料等の原料として販売してよい」というトンデモナイ決定を下した
対象となる地域は、汚泥から放射性セシウムが検出された以下16の都県、
岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、長野県、山梨県、静岡県、新潟県であった。
えっ、放射性廃棄物が、いよいよ発酵肥料に化けるのか。


◆レンガに化ける放射性廃棄物◆

11月2日には、千葉県市原市にある廃棄物処理業者「市原エコセメント」が、9月15日と10月11日に排水を測定した結果、
1000ベクレル以上の放射性セシウムを検出していたことを千葉県が発表した。
原子力安全委員会が6月に示した基準値の14~15倍に相当するこの高濃度放射性排水が基準値を超えていると知りながら、
同社は、1ヶ月以上にわたって計1万3200トンを東京湾に排水してきた
が、この日、県の要請を受けて操業を停止した。
市原エコセメントは、県内34市町村から受け入れたゴミの焼却灰などを原材料に、セメントを製造してきた。
えっ、放射性廃棄物が、新築マンションやビル建設用のセメントに化けてきたのか。

さらに東電子会社の東京臨海リサイクルパワーが、3年間で52万トンの瓦礫を、宮城県と岩手県から受け入れる計画だが、
可燃ゴミを600℃で焼却し、焼却灰を1450℃で再溶融して固化する。
不燃ゴミは破砕処理して、いずれも中央防波堤内に埋め立てる。
残留スラグは、8000ベクレル以下であれば、レンガの下地材として転用される。
えっ、放射性廃棄物が、レンガに化けるのか。

問題は、こうした焼却によって、放射能が大気中に振りまかれることにある。
一般ゴミの焼却は、低温で焼却するとダイオキシンが出るので、800℃以上の高温で燃焼するように義務付けられているが、
震災瓦礫を焼却すると、そこに含まれている放射性セシウムは、沸点が800℃よりずっと低い671℃なので、ガスとなって大気中に拡散するからである。
さらに焼却灰では、放射能が高濃度に濃縮されるから、到底、一般廃棄物として扱うことなどできない

こんなおそろしいことを、いつから日本の国民は認めるようになったのか。
環境省、厚生労働省、文部科学省、農林水産省の大臣と官僚たちがやっていることは、もう、メチャクチャである。
国民がこのような不始末を認めれば、日本列島には放射性廃棄物と呼ばれない放射性物質が散乱して、
その自然界で採取される食品の放射能汚染はますます長期化して、深刻になる。

     
「原発全廃へ決戦、2012運命の年」

福島原発事故で、悲惨な大被曝・汚染国家となった日本で、電力会社が正気を失って暴走しようとするのを、
全国の住民運動・市民運動が食い止めた2011年が過ぎ去り、いよいよ最後の決戦の幕が開いた。

今年2012年の正月を迎えた時点で、運転中の原発は、54基中のわずか6基となっている。
出力で見れば、およそ5000万キロワットのうち、たった562万キロワットしか発電せず、実際の能力は11.5%にまで落ち込んだ。
さらに残る6基が定期検査によって運転を停止する予定は、
1月に四国電力/伊方2号、中国電力/島根2号、東京電力/柏崎刈羽5号、
2月に関西電力/高浜3号、
3月に東京電力/柏崎刈羽6号、
4月に北海道電力/泊3号
とされている。

原発をすべて今年限りで廃炉にできるか、それとも日本という国家が滅亡への道に再び突進するか、日本人はその分かれ道に立っているのである。
この全基廃止の運命の年は、この機を失えば今後二度と訪れないほどの重大な節目である。

本誌で連載してきた通り、昨年3月の福島原発事故発生以来、その最大の意味は、次の原発事故「第二のフクシマ」が、目前に迫っていることにある。
なぜなら、第一に、東日本大震災の津波大災害をもたらした昨年3月11日のプレート境界型の大地震によって、
東北地方が太平洋側・海底側に引っ張られ、日本列島が大きくひん曲がってしまった
からである。
この巨大な歪みは、自然界の地殻が元に戻ろうとする調整運動を続けているため、昨年末までずっと余震を引き起こしてきたが、
これから大型の余震がまだまだ起こり得る。
それが証拠に、東日本大震災後の日本全土で、東日本だけに限らず、西日本でも広島や熊本に至るまで、断層運動の活発化が著しくなって、人びとを震えあがらせている。
余震といっても、阪神・淡路大震災クラスの大地震になる可能性が高いのだ。

さらに、ここ数年、地球規模でますます活発になっている太平洋プレートの運動が引き続いたままで、
それがまったくおさまっていないので、余震とは別に、新たな大地震がどこで、いつ起こるか分らない

この余震と、新たな大地震の脅威は、今後少なくとも30年は続くのだ。

そして、昨年の恐怖のフクシマからようやく真剣にスタートを切った過去の歴史的な津波の調査がおこなわれるにつれて、
日本中に大型津波の記録のあったことが報告されるようになってきた。
四国電力の愛媛県・伊方原発では、豊後水道周辺で2009年~2010年にかけて、スロースリップ現象による地殻変動が顕著となって、かなり危険な兆候だと見られているが、
四国電力は「瀬戸内海には津波が来ない」とタカをくくっている
のだ。
1596年(慶長元年)9月1日(一説には4日)、大分県別府湾でマグニチュード7級の海底地震が発生し、
津波が押し寄せ、瓜生(うりゅう)島が一夜で水没したことが判明した。
その4日後の9月5日には、京都の伏見でマグニチュード8近い大地震が起こり、伏見城の天守閣が崩落した。
その結果、愛媛県西条市の幸の木遺跡では、12世紀以降の液状化跡が発見されており、
別府湾と、四国の中央構造線と、伏見の断層が400キロにわたって、ほぼ同時に動いた可能性が出てきたのである。
瀬戸内海には津波が来ないなどと、誰が言えるのか! 
内海の津波来襲は、最もおそろしい結果を招く。
もし中央構造線が動けば、瀬戸内海に巨大津波が発生することは間違いない。
日本中の電力会社が、実はみな、ほぼ同じレベルの無策状態にあることが、フクシマ後に明らかになっている。


そして第二の問題は、もし西日本の原発が、たとえば佐賀県の玄海原発、鹿児島県の川内(せんだい)原発、愛媛県の伊方原発、いずれかが「第二のフクシマ」となれば、
台風の通過コースによって日本人の誰もが知る通り、放射能の雲は、一気に東上して日本列島をなめつくすことにある。
すでに深刻化している食品の放射能汚染が、救いようのない地獄に突き落とされることは見えている。

あるいはまた、日本海側の原発が、たとえば島根原発か、能登半島の志賀原発か、福井県若狭の14基の原発群か、新潟県の柏崎刈羽原発7基、
いずれか1基が「第二のフクシマ」となれば、
日本海が一挙に汚染し、その放射能は永久に滞留して、魚介類は全滅するのだ。
柏崎刈羽原発の場合は、コシヒカリの米どころ、酒どころだから、食料問題は一層深刻になる。


◆浜岡原発事故で7千万人が避難◆

言うまでもなく、静岡県の浜岡原発が「第二のフクシマ」となれば、
一夜にして名古屋の中部経済圏ばかりか、首都圏と関西経済圏が、同時に全滅する。
それは7000万人の民族大移動というあり得ない地獄図になる
路頭に迷う大都会人たちの阿鼻叫喚を想像すれば、凄惨きわまりない人類史上最悪の原発震災になることが分っている。

北海道の泊原発が「第二のフクシマ」となれば、
日本中に食べ物を供給している食料自給率210%を誇る広大な土地で起こる大悲劇だ。
酪農王国、魚介類の宝庫、昆布の95%を生産する海藻類の宝庫、それらすべてが崩壊して、日本全土が食料難に襲われるのだ。

さらに第三の問題は、原子力発電所が、「地震の揺れ」にまったく無防備な機械装置であることが、フクシマ事故によって実証されたことにある。
東日本大震災では、津波が到来する前に、すでに配管破損が起こって、原子炉内の熱水が噴出し、それが大事故を招いた第一歩だった可能性が濃厚である。
その事実をサイエンスライターの田中三彦氏、もと格納容器の設計者だった渡辺敦雄氏、後藤政志氏に指摘され、ついにあの原子力安全・保安院が認めたのが、昨年末であった。
これは、まさに、日本中の原発すべてに共通する最大の恐怖である。その対策など、100%あり得ない。

加えてフクシマでは、人間の本質的欠陥が明確になった。
原発のコントロール・ルームに働く運転員たちは、結局は大事故が発生してみれば何もできなかったのである。
運転員たちは、大事故を想定して訓練を受けていたが、実際にそれが起こってみれば、気が動転して思考力を失い、何をしてよいかまったく分らなくなった。
こんなことは、運転員が人間であれば当り前のことだ。
複雑怪奇なメカニズムを内包した原子炉の安全装置は、決して自動的にあらゆる問題を解決するようには設計されていない。
つまり、ある一定の事故を想定しているだけで、それは、現実に起こり得る出来事の100分の1もカバーしていないのだ。
大地震の揺れに襲われたパニック状態のオペレーターたちに、その想定もされていないすべての緊急事態に、万全に対処せよというのは、不可能な要求である。

こうなったら原発の全基廃止という条件は、日本人の生き残りにとって、絶対に引けない国民の要求である。
冥土の土産に、電力会社を血祭りにあげてくれよう



ひろせ・たかし 
1943年生まれ。
早大理工学部応用化学科卒。
『原子炉時限爆弾--大地震におびえる日本列島』(ダイヤモンド社)、『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社新書)、『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』(朝日新書)、本連載をまとめた『原発破局を阻止せよ!』(朝日新聞出版)など著書多数     

東京の赤い雨に濡れる『喪失と孤独』

2012年01月17日 | 日本とわたし
今朝のニューヨーク・タイムズに掲載されたフォトエッセイを転載します。
お粗末ながら、わたしが日本語に訳したものも載せておきます。

旦那から記事を教えてもらい読んだのですが、去年の丁度同じ時期に日本に帰省していたわたしが感じた、チリチリとした『喪失』と『孤独』が表されていたので、とても共感しました。
写真もとても素晴らしいので、どうか御覧下さい。

Lost and Alone Under Tokyo’s Red Rain

Soon after shooting memorial concerts on the 10th anniversary of the Sept. 11 attacks, my sister called to tell me that our father had died unexpectedly. Two days later, I returned to Japan for the first time in 20 years to attend his funeral. I felt constant vertigo, like I had been violently cut and pasted from New York to Tokyo.
『9.11・同時テロの10周年記念コンサートを撮影した直後に、僕の姉が電話をかけてきて、こう言った。
「おとうさんが死んじゃった。突然に」
二日後、父の葬式に参列するために、実に二十年ぶりに日本に戻った。
僕はずっとくらくらしていた。
それはまるで僕が乱暴に切り離されて、ニューヨークから東京に連れてこられたみたいに』

Hiroyuki Ito

The first thing I had to do was go to the men’s clothing store and buy everything – a funeral suit, shoes, shirt and socks. The manager was speechless, like I had just landed in his store from another planet.
『僕が一番最初にしなければならなかったことは、紳士服の専門店に行って、全ての物(礼服、靴、ワイシャツに靴下)を買うことだった。
店の店長は、まるで別の惑星からやって来た人間が自分の店に入ってきたのを見たみたいに、絶句していた』


When I arrived, I saw red drops everywhere. I thought it was red rain falling from the sky. It has been said that the day after the atomic bomb was dropped, there was black rain in Hiroshima. Although there was radiation in Tokyo after the Fukushima nuclear fallout last year, there simply isn’t such a thing as red rain.
『日本に到着した時、赤いつぶつぶがそこら中についているのを見た。
僕はそれはきっと、赤い雨が空から降ったんだろうと思った。
それはまるで、そう、原爆が投下された翌日に、広島の空から降って来たと言われている黒い雨のように。
去年、福島の原発事故が起こった後に、東京も放射能に汚染されていると言われているけれど、だから赤い雨が降ったんだ、みたいな単純なものではなくて』

But even when the sky was clear, I kept seeing red rain, as if a filter was over my eyes.
『でも、たとえ快晴の日であっても、僕は赤い雨を見続けた。それはまるで、僕の目をあるフィルターが覆ってでもいるかのように』

Two weeks after my father’s funeral, my aunt passed away, so I traveled alone to the Hokuriku region of Japan for her funeral. The red was intensified and the rain seemed to fall harder and harder. At times my emotions were so raw, I couldn’t tell what was real and what was my imagination. But I didn’t even bother ― or simply didn’t have any strength left ― to figure out what this red rain was and why I saw it, everywhere, all the time.
『父の葬式の二週間後に、僕の伯母が亡くなった。
それで僕は、彼女の葬式に参列するために、北陸地方にある町にひとりで行った。
僕にまとわりついている赤は色の度合いを増し、雨は日に日に激しく降り続けているように見えた。
その頃の僕の精神は丸裸で、いったい何が現実で、何が想像の世界なのかわからなくなっていた。
いや、そのどちらでもなかったのかも……
もしくは、ただ単に、その赤い雨はいったい何なのか、そしてどうして僕が、ありとあらゆる場所で、途切れることなく見ているのかを解決できないほどに弱り切っていただけなのかもしれない』

A week later, the red rain disappeared from my eyes without explanation.
『その一週間後、赤い雨は突然、なんの理由も無しに、僕の視界から消えた』

In the middle of November, my girlfriend called me from New York to tell me that she was leaving me. I waited for the red rain to return to blur my vision and alleviate my pain.
『11月の中頃に、ニューヨークに住む僕のガールフレンドが電話をかけてきて、別れましょうと言った。
僕は、赤い雨がまた戻ってきて、僕の想像力を曇らせ、心の痛みを和らげてくれるのを待った』

It never did.
『でもそれは、二度と実現しなかった』