ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

大晦日と元旦にいただいたうまいもん

2012年01月01日 | 家族とわたし
この秋食べ忘れてた栗。


つきたてののし餅を、まだあたたかいうちに切り餅にして。


ひとり台所で励む自分にちょいとトリート。乾燥イチジクとアーモンドのケーキ(めちゃかたい)。


おせちの準備開始。


息子Kの大好物、伊達巻。巻けるだけ巻いてくれと頼まれたけど、1個作るのに卵5つも使うのだよ……。


息子Tの大好物、昆布巻。今年は昆布が手に入らなくて、とりあえず有り合わせの物で。


ガガッと煮の筑前煮。


そんなこんなでバタバタしているわたしの横で、ゲームに勤しむ若者達。実はこれ、ズルしてる現場の証拠写真と、Bあやちゃんにバラしておこう。


直前に、けっこうお腹にこたえるピザをパクついていたので、年越しそばはあっさりときつね揚げととろろ昆布と天かす。
テレビの画面に映るタイムズスクエアのカウントダウンに合わせてお祝いをする。
お正月用にきれいに着飾ったMちゃんが、「Happy New Year!!」と可愛い歓声を上げて、いつもならシラケ気味の新年を盛り上げてくれた。
あぁ~やっぱ娘っていいわぁ~。


本日元旦。
旦那以外は皆、大寝坊して、まずはおせちとお雑煮とお屠蘇で乾杯。寝起き&寝癖爆裂の息子達。


外は快晴。そしてとんでもなく暖かい。


この変なおっさんは誰なのか……。


この巣の中で、雛たちは日向ぼっこしてるのかな。


ほんま、ごっつぅぬくいなかあちゃん。


あ、つかまってもた……と、新年早々ムッとする家猫。



この、いつもと変わらない日常。
家族の皆が揃って、無事に、健康に、年を送り迎えできたことを、今まで以上にありがたく思う。
そして、この奇跡が、これからも続くよう心から祈る。
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2011年が2012年になったので

2012年01月01日 | 日本とわたし
だからとりあえず「あけましておめでとうございます」と言うけれど、心の中はあんまりめでたいとは言えない。

この寒空の下、座り込みをしている人達がいる。
陳情書を渡しに東電に行き、会社の建物の中にも入れてもらえず、門前払いを食わされた福島の人達がいる。
事故を起こした福島第一原発の四号機では、使用済燃料プールのスキマサージタンクの水位が、通常の4倍もの速さで低下している。
そのことをまた、いつものごとく東電は、夜中のメールでこそこそと知らせている。

なにも良くなんかなっていない。
なにも終わってなんかいない。
なにも解決していない。
なにも見通しが立っていない。
地震は毎日のように続き、日本は地面の底からごうごう揺れている。
そして、そのことを知ってる人、知らない人、知ろうとしない人、知ってても無視してる人、知ってることをわかってもらおうともがいている人がいる。

あの悲惨な震災と津波が日本を、そして世界を変え、原子力発電という、救い様の無いバカげた発電方法が、地球を破壊しかけている。
去年9ヶ月もかけて闘ったのに、と憤慨している人達は、この闘いは多分、何ヶ月ではなく、何年何十年と続く、地球の命を賭けた、この惑星に生きる生き物すべてのためのものなのだと、認識を新たにしなければならない。



あの震災と津波の翌日も、原発事故の翌日も、そしてこの2011年最後の夜の翌日も、
こんなふうに、いつものように、当たり前のように、太陽が東の空から姿を現した。
昨日の夕方、おせち料理の食材を買い足しに出かけた時、それはもう見事な、とても大きな、美しい夕日を拝ませてもらった。
運転しながら、振り返ったり、ルームミラーの角度を変えたりして、朱色に燃える大きな太陽を見つめていた。
あんまりきれいで豪快なので、嬉しくなって泣けてきた。
ありのまま、このまま。人間がどれほど愚かなことをして、酷い破壊を加え続けても、自然はいつものようにその営みを繰り返す。
父がたった半年しか暮らせなかった終の住処に戻る車中、その時もこれとよく似た夕日が父の頬をオレンジ色に染めた。
もうとっくに冷たくなっているはずの父の頬に手のひらをあてると、ほんのり温かで、わたしはその手のひらを夕日にすかしてみた。
若かった父が、わたしをおぶって歌ってくれた『七つの子』を、小さな声で歌った。



また今日から、ひとりデモを始めよう。
おせちの食材を選ぶ時、国産という表示があると棚に戻した。
味噌や漬け物も、東日本産の物を避けるのは至難の業だった。
酒も然り。
いつもなら、郷愁と憧れと親しみを感じながら手に取っていたたくさんの物が取れなかった。
ミツワマーケットでは、パッケージの後ろに必ず、英語表記のシールが貼られている。
その貼る場所はいつも、原産地や製造者の住所、そして賞味期限が表記されている部分で、そのことに腹を立てていた。
あの事故以来、わたしはついに、そのシールを注意深くはがし、原産地と製造された場所を確認することにした。
はがしていることを咎められたら、「買う側の立場としては、正しい情報を得てからお金を払いたい」と堂々と申し出るつもり。



わたしの年代の人間は多分、今回の原発事故以上の、酷い汚染食品をすでに口にしているだろう。
子供の頃に、核実験が盛大に行われていたし、チェルノブイリのような大きな事故が起こる以前は、誰も何も検査なんてしなかったし。
なので、どれだけ汚れた物を口にしたり、吸ったり、使っていたりしたか。
本当のことを知る者は、今更なにをギャアギャア騒いでいるのかと、内心呆れているのかもしれない。
騙されたまま、知らないまま、知ろうともしないまま、わたし達はいろんな攻撃を体に受け続けてきた。
ほんの一部の、恥知らずで阿呆で強慾な人間が犯した過ちが、自然や人間の営みの邪魔をする。
1%と99%。
これはひとつのシンボルだけど、わたし達はこのことについて、本当に、真剣に、果敢に、考え、取り組み、行動に移さなければならない時が来たのかもしれない。

それが2012年。闘いの年。
コメント (4)
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