官邸前抗議集会に集まってきた人達の数が、一万人を超えたことを知って泣き、
泣いたことがバレたらいやなので、ゴシゴシと目をこすって台所に入って行くと、
「まうみ、とうとう始まった」
旦那が、強張った顔してわたしにそう言った。
なんのこっちゃと彼の顔を見ると、「知らせたくないのやけど」と言いながら外の方に視線を移した。
わたし達がここに越してくる前年までずっと、50年以上もここに暮らしていた夫婦が、4人の子供を育てながら楽しんできた庭に。
その庭は、うちの家の正面右側にあり、大きな一軒の家が建てられるほどの敷地に、低木や高木、岩や草花が、それぞれ気持ち良さそうに佇んでいた。
この庭が自分達のものになったらどんなにすてきだろうと思ったけれど、別々に売られていて、土地の固定資産税だけでも、年に40万ほどかかる。
この家のローンと税金だけでヒィヒィ言ってるのに、どんなに欲しくても手が出せない。
我々が越してきて数ヶ月後に、どこかの不動産屋の手に移り、あちこちの木に、ピンクのリボンがかけられてしまった。
この木は切ります。
そういう予告だった。
その日からわたしは毎朝毎晩、庭の草木の話しかけた。
「一日でも命が延びるようにがんばろうね」
今年で三度目の夏を迎えた。
去年の冬は雪がほとんど降らなくて、比較的暖かだった。
春は長雨があったり、夏日があったり、そうかと思うと冬に戻ったような厳しい寒さになったりした。
毎朝、朝食を食べるわたしの、真正面の窓の向こうに、カエデの老木が生きていてくれる。
「まうみ、今年はやけに葉っぱが増えて元気やと思わへんか」
ある朝、旦那にそう言われて、そういえばほんとに、葉っぱの勢いが違うことに気がついた。
洗い場前の窓から見える白樺も、同じように葉に勢いがある。
もしかしたらこのままずっと、一緒に暮らしていけるかもしれん……そう思った矢先だった。
赤い動力式ノコギリを持った男の人が、白樺の枝を切り取っている。
近くで見るのが辛過ぎたので、階段の踊り場に移った。
ノコギリなんか故障してしまえっ!そう強く念じた途端、調子が悪くなって作業が止まった。びっくりした。
彼はただ、頼まれて、仕事をしているだけなのだから。彼を呪ってはいけない。
それはわかっているけれど、やはり、どうしてそんなことをするのだ!と、心の中で叫んでしまう。
こんなに突然に別れの日が来るやなんて……。
窓際に突っ伏して泣いていたら、下に居る旦那に呼ばれた。
金曜日の朝は、気功瞑想と道教を学ぶ。
モーターの音から逃げるように、ミリアムの家に出かけた。
なぜか、車に乗っている間中、「I am here」という言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。
瞑想中、ばいばい、ごめんな、止めることができなかった、わたし達が大地を守ってやれなかった、そんなことばかり浮かんできた。
集中が難しい。
福島を想う。
今の日本を支えてくれているのは、他の誰でもない、福一の事故現場の修復に、被ばくしながら携わってくださっている人達だ。
福島が日本を支えてくれている。
官邸前に佇んだ人達を想う。
本当にギリギリの、ひとつ間違えば終わりかもしれない現実を抱えながら、なんとか良い方向に舵を戻そうと叫んでくれる人達。
「I am there」
瞑想の最後に、突然、わたしは朽ち果てた流木になった。
海辺に打ち上げられ、濡れた砂の冷たさと、太陽の温かさを感じながら横たわる、かすかすの流木。
家に戻った。すべての木が切られてしまったわけではなかった。
庭向こうのアンドレの家が、やけに近くに見える。
ただただ残念。
季節ごとに、楽しませてくれた。
真冬の厳しい寒さにも、鳥やリスの憩いの場だった。
リス達は、今年の冬はどうするのだろう。
外に出て、空を見上げた。もう、こんなふうに、空をおおい隠す葉っぱは見られなくなる。
たまらなくなって、両手を回して抱きしめた。
ごめんね。ほんとにごめん。