首相官邸前で再稼働反対デモ
東京新聞 2012年6月23日 00時35分
首相官邸前で大飯原発再稼働反対を訴える人たち=22日午後、東京・永田町で(淡路久喜撮影)
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関西電力大飯(おおい)原発3,4号機(福井県おおい町)の、再稼働決定の撤回を求める、大規模なデモが22日夜、
首相官邸周辺(東京都千代田区)であり、官邸に向かって、「再稼働反対」「大飯を止めろ」と、力強いコールを繰り返した。
複数の、市民グループ有志でつくる「首都圏反原発連合」が、ツイッターなどで呼び掛けた。
政府が、3,4号機の再稼働方針を決めた四月から、毎週末、官邸前で実施されているが、
再稼働が正式に決まった、今月16日以降、これに抗議して、参加する市民が増加。
この日は、官邸から、霞が関方向へ人の波が、歩道から車道にあふれ、主催者発表で、約4万5千人が加わった。
マイクを握った、ルポライター鎌田慧さんは、「原発がなくても、日本社会は混乱しない」と強調。
参加した、東京都東村山市の大越明子さん(44)は、「声を上げないと、賛成したのと同じになってしまう。再稼働を認めると、なし崩し的に、他でも始まるのでは」と話した。
大飯再稼働:撤回求め官邸前でデモ 列は700メートルに
毎日新聞 2012年06月22日 21時22分(最終更新 06月22日 21時40分)
首相官邸前で、大飯原発再稼働反対を連呼する抗議集会の参加者ら=東京都千代田区で2012年6月22日午後6時19分、手塚耕一郎撮影
東京・永田町の、首相官邸前で22日、関西電力大飯原発の再稼働撤回を、政府に求める、抗議行動があった。
主催者によると、約4万5000人、警視庁によると、約1万1000人が参加。
周辺の歩道を埋め尽くした人が、「再稼働反対」と、約2時間にわたって、声を上げた。
有志の市民ネットワーク、「首都圏反原発連合」の呼びかけ。
3月に始めた当初は、300人程度だったが、回数を重ねるごとに、参加者が増えたという。
この日、集まった人の列は、約700メートルにも達した。
茨城県土浦市から来たという、会社員、東原裕樹さん(32)は、
「フェイスブックで、今日の活動を知った。
核廃棄物の処理方法も決まっていないのに、再稼働するなんてあきれてしまう。
黙っていてはいけないと思った」と、参加理由を話した。【池田知広】
田中龍作ジャーナル
「再稼働反対」の地鳴り 首相官邸前で進む“紫陽花革命”
2012年6月22日 23:31
『紫陽花革命』。勤め帰りの男性は、アジサイの花を空に突き上げ「再稼働反対」を叫んだ。=22日夕、首相官邸前。写真:田中撮影=
原発を動かそうとする、「ほんの一握りの特権層」と、再稼働に反対する、「圧倒的多くの国民」。
22日夕、この図式を象徴するような出来事が、首相官邸前で起きた。
時系列で述べよう。
エセ右翼が、正午過ぎから、官邸前の歩道で、街宣活動を始めた。
リーダー格の男性によれば、麹町警察署に、「午後8時まで、集会を開く」と、届け出ているという。
午後6時から始まる、金曜恒例の、再稼働反対集会(主催:首都圏反原発連合)を、妨害する意図がありありだ。
官邸前交差点の“一等地”を、わずか10人の、エセ右翼が占拠した。
「放射能は健康によい」「原発事故が起きる確率は、飛行機事故よりも少ない」…子供だましにもならない演説を続けた。
Twitterなどによる呼びかけで集まった、大勢の市民たちは、脇で待った。
午後6時には、1万人を超えていた(主催者発表)。
定位置に行こうとする、市民たちと、一等地を譲るまいとする、エセ右翼との間で、競り合いが起き、警察隊が、間に入った。
間もなく、異変が起きた。
警察隊が、エセ右翼を、溜池方面に押しやったのだ。
リーダー格が、警察幹部に食ってかかった。
「我々も引いたんだから、あいつら(市民)も引かせてよ」。
「引かせることはできないよ。しっぽ(最後尾)は霞が関まで届いてんだ。2万人はいるかもしれないよ」。
警察幹部は淡々と答えた。
市民の列は、どこまで伸びているのか。
筆者は、歩いて確かめた。
官邸前交差点から、霞が関方面に伸びた人の列は、内閣府のあるブロックを、ぐるりと取り巻いている。
最後尾は、官邸前の、交差点に達した。
溢れた市民は、道路を挟んで、反対側の議事堂前の歩道で、「再稼働反対」を叫んだ。
原発推進派の、エセ右翼10人を、警察隊がブロック。この直後、溜池方面(写真右方向)に押しやった。=写真:田中撮影=
参加者は、午後6時42分の時点で、3万人を超えていた(主催者発表)。
警察が、エセ右翼のリーダーに、「(市民を)引かせることはできないよ」と答えたのは、客観情勢を踏まえた判断だ。
警察といえども、わずか10人の、エセ右翼のために、3万人の市民に対して、「後ろに下がりなさい」とは言えない。
何十年も、反原発を説き続ける、ジャーナリストの広瀬隆さんも、駆けつけた。
広瀬さんは、高校3年生の時、60年安保に参加した。
「(議事堂前の)車道まで、人で埋めたい。我々はそうした」。
60年安保では、連日、10万人規模の労働者や学生が、国会を包囲し、岸内閣は、退陣に追い込まれた。
当時の、国際情勢を考えれば、日米安保にも大義はあった。
だが、原発は、百害あって一利なしだ。
議事堂の、衆議院通用門前では、母親の自転車に乗せられた男の子(4歳)が、「再稼働反対」の合唱に加わっていた。
もう、誰にも止められない。
警察が、どんな規制を敷こうが、人々は、「再稼働反対」を、口々にしながら集まってくるだろう。
最終的な参加者は、4万5千人(主催者発表)。
次回は1、0万人にまで膨らんでも、おかしくない。
アラブの春の、「ジャスミン革命」に擬えて、官邸前抗議を、「紫陽花革命」と呼ぶ、参加者達も現れた。
「野田やめろ」「再稼働反対」のシュプレヒコールが、地鳴りのように、官邸と議事堂に響き渡った。
野田内閣を、退陣に追い込むのは、小沢グループの造反ではなく、市民による、国会包囲ではないだろうか。
これはもう、革命である。