ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

世界に向かって叫ぼう!FUKUSHIMAの惨事を覆っている『沈黙の壁』を破ろう!

2012年06月10日 | 日本とわたし
このブログに、コメントをくださるMia Juneさんとおっしゃる方が教えてくれはった、
『日本における原子力モラトリアムと、福島原発の核燃料の、即時撤去を求めるアピール』のオンライン署名活動を、

中村隆市さんがご自身のブログ『風の便り』の記事で、紹介してくださいました。

実は、わたしが署名した際に、掲載されていた日本語の訳文が、きちんと読めなかったので、その内容を知りたいと、いろいろと検索をしていました。
 
以下がその日本語文を掲載してくださった中村さんの記事の内容です。
収集は11日、日本時間の23時までと、少し忙しいのですが、どうか署名をよろしくお願いします。


『イタリアの科学者のグループの呼びかけで、
『日本における原子力モラトリアムと、福島原発の核燃料の、即時撤去を求めるアピール』のオンライン署名活動が始まっています。

署名は、年齢・国籍に関係なく、どなたでもでき、
上記サイトには、イタリア語・英語・日本語のほか、仏・スペイン・ロシア・ベラルーシ・アラビア語の訳文も掲載されています。
最初の署名提出は、イタリアで、脱原発国民投票が行われて1年になる、6月12日(収集は11日、日本時間23時まで)を予定していますが、その後もキャンペーンはしばらく続く予定です。

******

日本における、原子力モラトリアムと福島原発の核燃料の、即時撤去を求めるアピール
本アピールは、日本の外で、フクシマの惨事を覆っている、沈黙の壁を破ろうとするものです。

野田首相が率いる、今の日本政府は、福島第一原子力発電所事故の大惨事を受けて、
日本国の、脱原発を目指そうとした、前政権の決意を、事実上、否定しました。
しかし、国内における議論は、下火になるどころか、原子力に反対する世論が、ますます高まっています。

一方、世界的には、あたかも、この事故が深刻なものではなく、事態は収拾に向っており、
日本の人々へ及ぼした影響も、ほとんどなかったかのように、信じ込ませる動きがあります。
ところが、実態は、全く異なっています。

● まず、事故当時、稼働していた三つの原子炉の中で溶解し、
1号機では、圧力容器から漏出してしまった、核燃料の総量は、これまでに起きた、いかなる原発事故における事例よりも多く、完全に、制御不能な状態にあります。
そもそも、破損した原子炉が、「冷温停止状態」になったという主張は、およそナンセンスなのです。
なぜなら、「冷温停止」とは、炉心が、無傷の状態においてのみ、通用する定義であって、
第1、第2、第3号機のように、炉心の一部、もしくは全体が溶融し、制御システムのパラメーターが失われてしまっているところでは、
再び、局所で核連鎖反応が起きる、危険な状態になる可能性を、排除できないからです。

● 使用済み燃料貯蔵プールの問題も、解決していません。
過密に、リラッキングされている燃料棒が、かなり強い余震が続く中、途方もなく深刻な事態をもたらす、事故再発の原因になりかねないのです。
内閣府の専門家グループによれば、遠からず、海底の活断層で、M9レベルの地震が起き、
巨大な津波が、福島原発のみならず、他の多くの原発をも直撃する可能性がある、とされています。

● 日本の東北地方は、今もなお、大いに憂慮すべき状況にあります。
事故当初からずっと、当局が隠ぺいし続けてきた放射能汚染は、一向に、減少する兆しを見せていません。
福島の汚染地域からの、自主的な避難者も含め、生まれ育った土地を、永久に追われた人々は、相当な数に上り、
仕事も、将来の見通しも失った彼らは、恐ろしく 不安定な生活を、強いられています。

● にもかかわらず、日本政府は、汚染の深刻さを過小評価し、子どもの被曝限度量を、引き上げました。
市民の健康を守ることよりも、体裁を正常化することばかりに、腐心しているようです。

● 他方、さる5月5日には、現存する商業用原子炉50基のうち、まだ稼働中だった最後の一基も、
福島原発事故を受けて定められたストレステストや、補修を含む定期点検のため、停止しましたが、
それにより、国内の電力供給が、脅かされているわけではありません。
原発の再稼働を、急ごうとする政府、および原子力産業に対し、市民の反発はますます高まり、今、まさに、正念場を迎えようとしています。

私たちは、これらの問題が、日本に限らず、国際社会全体に関わるものだと考えます。
ゆえに、日本の政府当局に対して、以下のことを求めます。

■ 現時点で、止まっている原発を、再稼働させないこと。

■ 深刻な破損を被った、使用済み核燃料プールから、一刻も早く、燃料棒を取り出し、他所に移す処置を行なうこと。

■ 子どもたちを、これ以上被曝させないよう、放射能に汚染された地域から、早急に避難させること。

■ 東京電力の、事故対処能力の欠如が、明らかになった以上、国連のもとに、福島の事態打開のための、学際的な国際的機関を、設置するよう努めること。


アピール文掲載サイト: http://isdepalermo.ning.com/notes/Fukushima
コメント (6)
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『構造構成主義から考える原発再稼働について』by 西條剛央さん

2012年06月10日 | 日本とわたし
『ふんばろう東日本支援プロジェクト』代表の西條剛央さんが、『構造構成主義から考える原発再稼働について』という意見を連続ツィートで述べられていました。

西條さんは震災後、『ふんばろう東日本支援プロジェクト』を立ち上げた方です。

プロフィール
1974年、宮城県仙台市生まれ。
早稲田大学大学院(MBA)専任講師(専門は、心理学と哲学)。
日本の心理学者、哲学者である。また、絵本作家としてもデビューしている。
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表。

2011年3月に発生した、東北地方太平洋沖地震では、伯父を失う。
「構造構成主義」の理論を用い、ボランティア未経験ながら、
日本最大級のボランティア・プロジェクト「ふんばろう東日本支援プロジェクト」をを立ち上げる。

 
『原発については、あえて発言してこなかったけど、この再稼働決定は、おかしすぎると思う。
目が悪いのに、バスを運転していて、とりかえしのつかない大事故起こした人が、
「数年後にはよくなる予定なんで」と言ったから、運転再開を許可するのと同じぐらいバカなこと。
これでは、何でもありではないか。

それをやったらおしまいよ、ということをやった、という意味では、
世界中が反対したのに、生物兵器があるとかでっちあげて、イラク戦争に突入したときのアメリカと同じ。
少なくとも僕は、死ぬまで、ブッシュの悪口を書き続ける、と心に誓った。

そのときは、パワーで押し切っても、暴挙は、汚名として、歴史に刻まれる、ということを、為政者におもいしらせる必要がある。
暴挙を語り続けること。
それは、こうした“暴挙”に対して、市民が生み出せる、抑止力なのだと思う。

その意味で、野田さんの、このたびの、再稼働の決定については、僕は死ぬまで、度の過ぎた愚行として、悪口を書き続けよう、と心に決めた。

僕は、どこの党を応援しているとか、そういうのはまったくないのだけど、
イラク戦争に踏み切ったアメリカが、必ず失敗して、後悔することになると確信して、まさに、その通りになったように、
民主党は、この決定によって、必ず敗北して、後悔することになるだろう。

震災が教えてくれたのは、常に、想定外のことが起こる、ということです。
~さえなければ、といった、事後的な言明には、意味がないんですよ。
↓下記のツィートに対して
@fukushimanohito 電源さえ喪失しなきゃ今回だって事故に至らなかった。……電源確保の道筋が立ったら再稼働するべきでは。

『人を助けるすんごい仕組み』の、最後には書いたけど、賛否の信念対立に陥らないための、構造構成主義の考え方はこうです。
リスク管理や安全に関心がある人は、原発をすぐに止めるべき、という意見になる。
他方で、電気や経済を回すことに関心のある人は、原発は再稼働すべき、という意見になる。

こうした議論は、すぐに、賛否両論に二極化しがちだが、それ以前に、重きを置いている関心が、異なるのだ。
その関心が、暗黙裏に前提となっていて、どちらの方が良いとか悪いとかいう話になる。
では、どちらの関心が妥当なのか? 
あるいは、双方の関心を、うまく満たすことはできないのか? 

双方の関心を、包摂したものとして、
「安全に、電気を充足させることができれば、それにこしたことはない」という見解には、利権のある人以外は、同意するところだろう。
そして実際、この厳しい冬を、原発54基中、2基しか動いていないのに、余裕で越してしまった。

節電やオフピークで、十分夏も越せるだろう。
震災直後の節電は、本当にすごかった。
5割以上は、カットしていたのではないか。
原発なくても、電気は大丈夫、ということだ。

電気が足りない、というのはへ理屈だ、というのはもうわかっているけども、結局、利権のある人の生活を、どうするのか、ということなのだろう。
それで生きている人がいる以上、そうした関心を持つ人がいるのも、自然なことだ。

ではどうするか?
再稼働させなくとも、すぐに安全になるわけじゃないので、補助金は減額しても、打ち切らないようにする。
原発の隣に、火力発電所でも立てることで、送電線等のシステムはそのまま使って、電力を確保する。
そうすることで、利権を守りたい人の関心と、安全確保の関心の、双方を満たすことも可能になる。

このように、構造構成主義の考え方にのっとって、考えていけば、信念対立に陥ることなく、
原発の問題を、建設的に進めることができるのではないか、と思うわけです。

それはそれとして、さすがに、今回の再稼働は、その決定内容もさることながら、決定に至るまでのプロセスと手続きが、無茶苦茶すぎる。
安全対策を終えてからならまだしも、そのうち対策する予定です、という段階で、
国民の同意も得ずに、再稼働させるのでは、それこそ、なんでもアリになる。

僕は、単純な賛否の話をしているのではない。
個人の思いを語っているのでもない。
そうではなく、構造構成主義の観点から、異なる関心を調停した上で、話を建設的に進める方法について、書いている。

もちろん、いろいろな見解が、あってもよいと思うが、こうした理路に対して、単なる反対や、感情論をぶつけても、あまり意味はない。
ここで書いたような関心を、調停しながら進める方法よりも、より妥当な方法があれば、
それを提案しあうことで、物事を、先に押し進めることができる。

「方法の原理」に沿って、状況と目的を踏まえて、より有効な方法を、提案しあうこと。
また、物事の善し悪しを論じたり、価値判断をするときは、必ず、特定の関心を、前提としているということを自覚しつつ、関心の妥当性を、問いあうこと。

あるいは、双方の関心が、一定妥当な場合には、それらの関心を、うまく包摂するような問いを立てて、進めること。
そうした、理路に基づく民主主義こそが、ポスト311の時代に生きる僕らが、実現すべき「民主主義2.0」だと考えている』


以上が連続ツィートの内容です。



日本に存在する原発が、一日でも早く、廃炉に向かうプロセスに踏み出すことを祈ってやまないのに、
いったいどうしたら、そういうことが実現するのか、一年以上も毎日考えているのに、手段も方法も見つけられないままでいる。
その存在や意味がどんなに歪で正しくないものでも、一旦成立してしまった法律やシステムを、撤回や廃止に持ち込むことはとても難しい。
だからこそ、慎重になるのだし、一歩踏み込む勇気も削がれてしまう。
そして、西條さんが言われているように、そのいろいろな見解に対して、単なる反対や感情論が、雨あられのように降り注ぐ。
かく言うわたしも、この西條さんの意見に、すべて賛成しているわけではない。
けれども、それはそれ、これはこれ、彼の提案の中に、頷けることがあった。だから紹介した。

より妥当な方法、より有効な方法を提案し合うこと。
特定の関心を前提としているということを自覚しつつ、その関心の妥当性を問い合う。

そういうことが一個人としてできるほど、日本の大人の多くは、まだ成熟していない。

そう言う人がいる。
そうかもしれない。
だから、こんなことは理想論であって、実際的ではないと考える人がいる。
では、日本は、成熟していないから、このまま原発と一緒に、揺れる大地に埋もれていくしかないのか。

わたしはそうは思わない。
成熟していないのなら、成熟しようではないか。
ひとりの大人として、世の中に関心を持ち、それを言葉にしてきちんと表現し、自分と異なる関心を持つ人と、冷静な話し合いができる。
その練習を積もうじゃないか。

確かに、その実行は難しい。
かつて、意見の合わない人とは、口論になり易く、会話とは呼べない不毛な言い合いの最後に、「もうええわ」と捨て台詞を吐き、部屋から勝手に出ていくことが多かったわたしが、
とりあえず、どんな意見や関心の持ち主でも、相手が話したいだけ話せるように、じっと聞くことぐらいはできるようになり、
たとえ、折り合いのつけようがないまま話の終わりが来ても、「いい話し合いができたね」と相手に言える中年になった。
正直言って、かなり時間がかかったのだけど、大人だってまだまだ学ぶし、成長するのだ。

今回の場合、活断層が活発に動き始めているので、学びと成長に、わたしのようにダラダラと時間をかけるわけにはいかないだろう。
自然には感情がない。
自然は待たないし、加減もしない。
なるようにしかならない。
そんなものに、祈りや交渉は通じない。
わたし達は今、学びと成長を必要としている。
学びながら、成長しながら、日本という国を真っ向から見つめ、考えて欲しい。
あなた方が、望む望まないに関わらず、息をして食べて排出をして生きている場所なんだから。
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