ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

鹿児島に続け!

2012年06月01日 | 日本とわたし
すごいニュースを見つけた!
まるであの、ドイツの小さな町で起こったこととおんなじや!
その町に住むひとりの主婦が、原発の電気使うのがイヤさに電力会社を始めた話
彼女の場合は、その時代、電力はドイツでも独占企業やったにも関わらず、なぜか送電線は売ってもらえたみたいなんやけど……。


鹿児島県内40カ所に小水力発電 5万戸分賄う

鹿児島県や県内自治体の首長らでつくる、「鹿児島県小水力利用推進協議会」は28日、県内40カ所の河川や用水路に、小水力発電施設を建設するプロジェクトを発表した。
協議会によると、出力は合計2万4千キロワットで、約5万戸分の電力を賄うことができるといい、
国内最大規模の、小水力発電施設になるとしている。

同県霧島市や、大隅半島の自治体と、年内に立地協定を結んで、着工から1年後の稼働を目指す。
2018年3月までに、県内40カ所に、出力約350~1500キロワットの発電機を設置する計画で、
民間企業が出資する「九州発電」が、発電事業を担う。



なんてすばらしい!
これこそが自治体!
こんなのが、日本全国津々浦々の町や村でできたら、みんな自分らで自分らの電気が賄えるやん!
日本の町や村には必ず、川が流れてる。

よぉっし!送電線を取り返そう!
コメント (2)
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みんなといっしょに

2012年06月01日 | 日本とわたし


昨夜、なんか読みながら寝ようと、iPadをベッドに持ち込んだ。
そしたら、メールが届いてて、送ってくれた人がとても大切に思てる人やったので読んだ。

彼女の相棒とわたしが、深いところでつながってる間柄やもんで、その関係で彼女と知り合うたのやけど、
そのメールには、彼女の相棒である彼がまた、辛いことに遭遇し、それを無かったことにして生きていこうとしてることが書かれてあった。

その子のことは、赤ん坊の頃から知ってる。
その子も、わたしにとってはものすごく大切な人。
その子の家族もまた、ものすごく大切な人達。

そしてその家族は、たくさんの問題を抱えてて、その問題を解決できんまま、解決しようとしないまま、しとうてもどうしたらええのかわからんまま、長い年月を過ごしてきて、
今はもう多分、この世に生きている間に、解決できるかどうかわからんようになってしもた。

それをわたしは外から見守りながら、時には口を挟んだり、手を差し伸べたりしたけど、
自分の無力さを感じるだけで、結局は、その人の心の扉は、その人の手でしか開かれへんことを思い知った。

けど、なんという哀しみやろう。
わたしはその晩初めて、その子の哀しみを肌で感じた気がして、iPadをぎゅっと胸に抱きしめながら泣いた。



起き抜けに夢を見た。
歌のコンテストが、高校の講堂みたいなとこで開かれてて、旦那とわたしは、最前列の席に座って聞いてた。
最後の出場者はあさこで、唱い出した彼女の声は、以前にも増して深みがあって、ああ、またうまなったなあ~などと感心しながら聞いてたら、

突然曲の感じが変わってロック調になり、そしたらあさこがいきなり、シャツをブチブチっと両側に引っ張って?!
目の前に、ピンピンに尖ったメタルなブラ(三角帽子の細いやつみたいな形)を誇らし気に突き出して(色は黄土色とピンクを混ぜた感じ)、
それを呆気にとられて見てるわたしの横で、旦那が、「あれはないやろ……」と日本語でつぶやき……、
なんていう、けったいな夢で目覚めた。



そのまま起きて、朝食を食べ、気功瞑想と道教を学びに出かけた。
行きの道中、車を運転しながらふと、自分の世界の小ささを感じた。
先日まで、大飯原発を巡る再稼働問題で、なんとか断念してもらえんかと、いろんなことを考えてはしてみたけれど、
日本は、見た目はほぼ、あの悲惨な地震と津波と原発事故前の頃と同じ感じで、
わたしが感じてるような危機感を共有する人は、数百人、数千人という、日本の人口からしてみたら、とんでもなく少のうて、
けれどもその人らは、今みたいなクソな日本を、なんとかして変えたいと思て、街角に出て抗議したり、署名をお願いしたり、
電話やメールやファックスで、いろんな所に、間違うた判断をせんよう忠告するようなことを、毎日のようにしてる。

なんとかして、そんな人達同士で、励まし合うたり支え合うたりできんもんかと思う。
わたしらみたいな外部に居るもんなんか、比べもんにならんほどの孤独を、日本のみんなは感じてるはずやから。
そんな孤独と、周りからの偏見や無理解が続いたら、きっとそのうち、疲れて、イヤになって、もうええかって思い始める人が出てきてしまう。
今までかて、そうやって、大勢の人達が挫折したり、殻にこもったり、無かったかのように振る舞うてきた。



瞑想が始まってすぐに、突如、あさこのあのツンツンブラの姿が目の前に現れて、笑いを堪えるのに必死やった。
みんなが目を閉じてくれてることを祈りながら肩を振るわせててんけど、もし見てる人がおったら、けっこう気色悪かったやろと思う。

忘れること。忘れること。忘れること。
頭の中を空っぽにすること。
自分さえもおらへん、とことん空っぽの世界……。



ミリアムがこんなことを話してくれた。
わたしらは、生まれた直後は、一番自然やった。
地球と天に通じてた。
ところが、親や学校や世間や社会に教育されていくうちに、どんどんその自然さと純粋さが消えてって、
かわりに、文化や言葉や環境による、不自然さに入り込まれてしもた。

もともとあった、健やかな体、健やかな心、健やかな魂、そして名前のつけようのない健やかさが、その不自然さのために弱っていく。

自分を奥深くまで見つめる気功は、その不自然さを少しずつ追い出す。
追い出す言うても、無理に押したり、傷つけたり、ウソついたり、だましたりするのんと違て、
不自然さも自分やねんから、まずじっくりと時間をかけて受け入れてやる。
それからちょっとずつ、どこかで馴染みながら、寄り添いながら、今までにやらんかったことを増やしていく。

自分と違うもの、違う人を、大切にすることの難しさ。
自分が嫌うもの、嫌う人を、拒否せんことの大変さ。

それはもしかしたら、自分っちゅうもんを空っぽにしたら、案外簡単なんかもしれん。
空っぽにはするけど、大切にしてる感情や思想はきちっと残して、いろんなタイプの人達に接することができたらええな。


今年のハニーサックルは、咲いたすぐから枯れていく。どうしたんやろ……。


それでもやっぱり、蜂さんはラブラブ♡


庭の一角で、いきなり実ったこれはいったい……。


こんなふうに、ドバ~ッと広がってる。


食べてもええのかなあ……。
コメント (4)
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