ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

誰も、ほんまのほんまは、死にとうなんかない

2013年06月16日 | ひとりごと
日本での年間自殺者の数は、実は3万人ではなく、10万人であるという話を何度も聞く。
もしそれが事実なら、毎日274人もの人が、自分で自分の命を絶ってることになる。
274人……いったいこれは、なにを意味してるんやろ。

十代の頃、あまりにどうしようもない、辛いを通り越した悲惨なことが連続して起こり、2度ほど自殺の真似っこをした。
毎晩のように、内臓の売買や自殺の勧めを受話器の向こうの、顔は知らんけれども声はすっかり覚えてる男から聞かされて、
いつの間にか、そうすることもアリか、などと思う気持ちが定着してたのかもしれん。
なによりも、本当にくたくたに疲れてた。
事故の影響で出てきた後遺症の具合も良うなかった。
2度とも、運良く見つけてくれた人がいて、わたしは今もこないして生き長らえさせてもろてる。
息子をふたり授かり、命をつなぐことを叶わせてもろた。

旦那が最近、中学生のアメリカ人の男の子に、日本語を教え始めたのやけど、
その子が読みたいと言うてきた本の題名が、『自殺サークル』という小説やった。
名前が名前だけに、えらいこっちゃとばかりに調べてみた。
結局は、親とも話し合うて、それは却下、ということになった。

『完全自殺マニュアル』などという本を書いた人がいる。
自殺のすすめ、という言葉もよく目にした時代がある。
いつの時代にも、どこの国にも、自殺ということについて、いろんな形で表現されてきた。
けれども、日本が突出して自殺する人が多いということに、今一度、きちんと目を向け、考えなあかんのとちゃうやろか。

社会の中のちっぽけな存在として自分を見るか、
かけがえのない、世界でたったひとつの、大切な存在として自分を見るか、
そして、本当に孤立していては、もとから生きられていない⇒だから、本当は独りではない、ということに気づけるか、

簡単には語れない事柄やけれども、経験者として言えば、あの瞬間の堪え難い苦しさと、圧倒的な勢いでやってきた後悔は、今でも生々しく記憶に刻み込まれてる。

誰も死にとうなんかない。
ほんまは、どうしたん?だいじょうぶ?という声をかけてもらえることを待ってる。
手を差し伸べて握ってもらえることを望んでる。

必要なことを必要なとこに。
うつ病に、恐怖症に、家族との関係に、学校に、職場に悩んでる人が自分を傷つけて運ばれてくる病院に、もっと心療内科の専門家を置く。
自殺の名所と呼ばれてるとこに、話を聞く人、その人が抱えてる問題の解決策を一緒に考えられる人が、常時いられるようにする。
依存症に悩んでる人が、個人やグループ、あるいは地域で治療ができる機関を、各市町村にきちんと整備する。

できることはいっぱいある。
どれもこれも、原発の無駄金に比べたら、ノミほどの予算でできる。

アルコール中毒もパチンコ依存症も、ひきこもりもいじめも、これはもうしょうがない、ある意味日本の一部なんやと、
知らず知らずのうちに、そんなふうに思い込まされてないか?マスコミや目上の人や世間に。
日本の原発は絶対に安全です、みたいな具合に。
わたしらに、自分のことをもっともっと大切にしていいと、必死に伝えてくれるものがあまりにも無さ過ぎた。
それで、自己犠牲や抑制が、すっかり遺伝子に組み込まれてしもた。
きちんと自分が何者であるかを知り、そのすべてを丸ごと愛せてたら、愛してもええのやと教えてもろてたら、
誰もそんな、かけがえのない、愛すべき者を、痛めつけたり殺したりせえへん。
誰からも愛されてのうても、わたしだけは全身全霊で愛してる大切な人。
それが自分であることを、もっともっと知ってほしい。

わたしはそれを、日本に住んでた時の、旦那とうまくいけんようになって悩んでた頃に診てもろた、カナダ人のカウンセラーから、
そして、息子が重体で入院したアメリカの病院が、すぐさま呼んでくれたカウンセラーから、たっぷりと時間をかけて教えてもろた。
彼らの声と眼差し、そしてその時のわたしの心の復活の足音は、今もはっきりと覚えてる。


見えざる敵「日本: 年間自殺者3万人」との戦いを開始したアイルランド人が制作したドキュメンタリー映画の衝撃【全編無料公開】




私はいったい何をしているんだろう。
でも、何かやらなきゃいけないんだ。
日本では、誰も、自殺の原因や、
自殺との戦い方について、
話そうとはしない。

しかし、自殺の方法が書かれた本は、
100万部以上の売り上げがある。

もし日本で、一万人の命が救えるなら?
奇跡ではなく、アイディアや誠実さで、
聞いてくれる人はいるのだろうか?

もし死が暗闇なら、
私は命に目を向けたい。
命を取り戻したい。
死の窮地から、
絶望ではなく、希望を、
見出せるようにしたい。
ぎりぎりまで追いつめられた、
苦しい時でも。

過去10年間に、約30万人の日本人が、
自殺で亡くなっている。
それは、アイスランドの人口と同じくらい。
日本の自殺率は、アメリカの2倍。
タイの3倍。
ギリシャの9倍。
フィリピンの12倍。

納得出来ますか?
今こそ、反撃のときではないですか?

Saving 10,000 | Winning a War on Suicide in Japan



自殺に限らず、日本では、「死」の議論が起こりにくい。
「死」に限らず、社会機能の不全に対しても。
正直、僕自身も、この映像に、どうコメントしていいのかわからないまま、筆を進めている

なぜだかわからない。
その原因は、内側にいる僕らには、いつの間にか見えなくなっているけれど、
日本の自殺者数に衝撃を受けた、アイルランド人2名が制作したこの映画、『Saving 10,000 – 自殺者1万人を救う戦い』が、
その極めて強い真摯な情熱と、外からの4つの目で、ぼくらの精神をいま、こじ開けようとしているのを感じる

いままで見えなかった「なにかの背中」が、遠くで灰色の影をちらつかせている。

これはもしかしたら、僕ら日本人にとって、数少ないチャンスなのかもしれない。

この映画の中では、"日本人の精神性" 、なぜ我々は、「同調」に対して脆弱なのか、
自殺に対する美意識、
個人の責任感の強さ(特に、借金やお金の問題に関して) に始まり、いくつかの問題が提示されている。


もし突然 脳卒中などで倒れ
体がまひし車椅子生活になり
子どもからの助けや介護が
必要になったら
長生きする意味がないような気がします
他の人に迷惑がかかるなら

- ある老人の言葉



詳細な自殺の方法まで報道する、日本のメディア、特にテレビの問題。
そんなシーンを、映画やドラマで見慣れた我々日本人は、いとも簡単に、自殺の瞬間の自分の姿をイメージできてしまうけど、
ここでは、その後の肉体の、決して美しいとはいえない損傷とリアクション、周囲が受ける多額の賠償問題が語られる。

そして、経済システムとしての理由。

なぜ保険会社は、自殺者に保険金を支払うのか、
派手なCMを繰り返す消費者金融、パチンコ、アルコール、風俗、
日々生まれていくる新しい生命を、数十年後消費していくような、「死のリサイクル」という闇のカラクリ。

ホント、自殺が馬鹿らしくなる。

でもこうして書きながら、「自殺」という存在を考えることを、思考停止させようとする心理的な抵抗と、
得体のしれないものに対する恐怖と、曲解された "穢れ" の遺伝子を、いま自分のなかに感じる。

その理不尽も、映画の中では、はっきりと述べられている。

この映像は、彼らの訴えは、日本人として生まれた人々にとって、体験しなくてはならないことの様に思える。

もう一度言う。
これはもしかしたら、僕ら日本人にとって、数少ないチャンスなのかもしれない。
亡霊のような「自殺」と「死」に関して、ここから議論を始める時ではないのだろうか。


日本では、報告によると
すごい数ですよ
救命救急センターへ搬送される患者の10~20%
心臓病や脳卒中や交通事故を含め
緊急治療室に搬送されるうちの10~20%が
自殺未遂者なのです


- ある精神分析医の言葉





監督: レネ・ダイグナン (Rene Duignan)
撮影: マーク=アントアン・アスティエ (Marc-Antoine Astier)

» 関連リンク
映画『Saving 10,000 – 自殺者1万人を救う戦い』
コメント (2)
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父の日とスパチュラとごちそう

2013年06月16日 | 家族とわたし
父の日がやってくると、混乱ぎみに、やや不機嫌になる人が若干一名我が家にはいる。
昨日、ケリーとウーヴェの家で話してた時にも、彼はそのことについて、ちょっとだけ吐露してた。
自分は充分に父親としての存在に成り得てたか……。

社会に出てまともに働いたこともなく、ただガールフレンドにくっついてふらっとやってきた国で、言葉もまだ充分扱えずにいた若者に、
突然のしかかってきた責任。
これが相当重かった。
わたしが想像してた以上にキツかった。
それに、なによりまだ若かった。
今の、息子らと同じ年頃に、言葉のあんまり通じんふたりの幼児のおとうさんになった。

9才近く年が上で、すでに結婚というものを13年も経験してて、おまけに子どもをふたり産んだ後のわたしには、
その大変さを、きちんとわかってあげられる器量が足りんかった。
大大貧乏が長いこと続いたんも原因やったんかもしれん。
いろんなことが重なって、彼が息子らの父親として頭角を現してきたんは多分、わたしら家族がこっちに引っ越してきてからかもしれん。

父と息子。

このふたつの生きものは、なかなか複雑なんである。

庭の住獣コンビ。


この仔は、長い長いこと、ここに上ってた。


昨日行きそびれたクラフトショーに行ってきた。

旦那はこういう場所があまり好きではないので、わたしひとりで行こうと思てたのに、行く直前になって一緒に行くと言う……。
横でイラつかれると、ぶらぶら好きなように見て回れへんからなあ……こまったなあ……。

前に住んでた家からの散歩道の突き当たりに、公園への入り口がある。


ここはめっちゃんこおっきくて、おっきな木がボコボコ立ってて、大好きやった。




だぁ~っと広い所に出て、


白いテントが並び出したとこで、旦那と別行動をとることにした。

ローガン眼鏡のぶら下げとく紐が切れたので、できたらそれを見つけたい、というのが今日の目的。
ところがところが……こういうのが目に入るともうあきません。


ボブさんとおっしゃる木工作家さん。気さくにボール作りの行程を話してはる。


今年はこれがふたつめ。うまくいくといいんだが……とボブさん。


これがひとつめのん。


骨太のお箸。


日本のお箸置きのアイディアですねと言うと、お、そうなのか、日本にもあるのか!とノリノリで返事がきた。
あ、でも、このお箸を突っ込む穴ふたつは、ボブさん独特のアイディアですよ!
そうかそうか、がははは!

この桜の木のスパチュラ、どうしようもなく手のひらにフィットして、使て使て!と言われたような気がして……買うてしもた……20ドル。


彼は、浜辺に流されてくる流木が、どれもみなツルツルと滑らかな木肌であることに気がついた。
それで、彼の作品の木はみな、まず熱湯に浸け、それを乾かしてまた熱湯に浸け、を繰り返し、そのあとめちゃくちゃ肌理の細かいサンドペーパーで丁寧に擦り、ナチュラルオイルを擦り込んで仕上げる。
手に持ってみて、抱いてみて、手触りや抱き心地を何度も何度も確認しては、またノミで削っていく。
スパチュラにも、その行程がしっかりと刻まれてた。


こちらは宝飾細工屋さん。


ほわほわとした、なんとも気持ちのよい柔らかな音が聞こえてきたと思たら……スティールドラムをひっくり返したんみたいな感じの楽器。


めちゃ欲しかったけど……あきらめた。

染め物コーナーなんかもあって、


もちろん、ありとあらゆる芸術家さんたちの作品ブースが、所狭しと並んでたけど、眼鏡のんは見つからず……。
まあ、気長に探すとしよう。


我が家のちっちゃい花さんたち。




ブラックベリーもいきなりおっきくなってきた。



父の日のお祝いにと、恭平とまなつちゃんがご馳走してくれた。




ワインもプレゼント。



ありがとうありがとう。
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ミニミニ畑の近況

2013年06月16日 | お家狂想曲
一時はどないなるかと思てたカボチャさんの、4つの苗のうちのふたつが、いきなりの元気はつらつ!


近所の枝豆さんやらトウモロコシさんやらに絡んで、けっこう鬱陶しがられてた……大急ぎで巻き付いてるツルを外す。

三度豆もようやく軌道に乗ってきて、


ほんでもってヒヨヒヨやったビーツさんらも、ちょっとだけおっきなってきて、


ニンジンさんはごった植えされたまんま放ったらかされてて、


こ、これは……なんと、いきなり地面から生えてるトマトの実。


けったいな長雨と低い気温が、6月に入ってからずっと続いてる。
その雨と雨の間に、ほんの1日だけ、強烈に晴れる。
こんな、例年にない、肌寒うて雨降りだらけの初夏でも、みんなそれぞれにすくすく育ってくれる。
感謝やなあ……。
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ひと言でいえば無教養な、わが国の総理大臣は、虚偽を超えて詐欺を働く!ど~ん!

2013年06月16日 | 日本とわたし
いやもうみなさん、あかんと思いますよ。
そらね、ブッシュもたいがいひどかった……。
おまけにここ(米国)には、愚の骨頂ともいえる軍が居座ってるから、阿呆に阿呆が取り憑いて、迷惑はもちろん、理不尽に命を奪われた人も大勢いました。
幸い日本は、戦争放棄を明記した憲法に守られて、そういう阿呆には取り憑かれんで済んでるから、
自衛と称して大ウソついてまで戦争したい大バカ者に命令されて、人を殺しに行かされる若者もおらんし、人に殺されに行く若者もいません。
けど、不運なことに、おっきな地震がいつ起こるかわからんような国土に、考え無しの阿呆らに、ボコボコ原発建てられてしもて、
いつ自爆するやらわからんわ、海水は温めまくるわ、放射能物質撒き散らしまくるわ、どうしようもないゴミ出しまくるわ、始末するにも何年かかるかわからんわ……、
世にも悲惨な状態に陥ってしまいました。

それをずっとずっとやってきた自民党っちゅう党を、また選んでしもてるみなさんもみなさんやけど、
多分それも、あっちゃこっちゃで詐欺やって、票をチョロマカした結果やろし、
いずれにしても、ここの軍とはつながってて、核物質はいろんな形に変えて、あっちこっちに流されてるんやろし、
グローバルやなんて英語でごまかした、金主主義の権化らの会社に食いつかれて、日本の衣食住すべてに関わることに、不都合がいっぱい出てくるはず。

とにかくこの、原発の重大事故後2年以上も経ってるというのに、実際になんにも改善されてないまま、
現場で、必死で、事故の収拾に当たってくれてはる人たちを敬わず、被災地で、くじけそうになりながら、放射能汚染と対峙してる人たちを助けず、
どこの人からも呆れ果てられるようなことを口にするおっさんを、総理大臣と呼ばなあかんのは、国民としての不幸やと思います。




ひと言でいえば無教養、一知半解ですぐボロが出る
ジャーナリスト 高野 孟

安倍晋三首相が、6月5日の成長戦略スピーチで、
「1人当たりの国民総所得を、10年間で150万円以上増やす」と公約したのはまあいいとして、
その後の街頭演説では、
「みなさんの所得」あるいは「年収」が「150万円増えます」などと言い回って、またもや大恥をかいた
菅義偉官房長官は、
「分かりやすく言おうとしただけ」と弁解したが、そういう問題ではない。
うちの奥さんですら、
この人、経済学の初歩の初歩も知らないでしゃべってるのね」とあきれるほどの無知ぶりをさらけ出したのだ。
この一時をもってしても、アベノミクスは終ったと言っていい。

いまさら繰り返すまでもないが、国民総所得は、一国の経済規模の全体の大きさを、所得面から見た場合の捉え方で、
実体的には、企業収益と金融利益と雇用者所得にほぼ三分される。
企業が内部留保を増やして賃上げを抑制すれば、「みなさんの所得」に回る分はゼロになることだってあり得るわけで、
安倍の言い分は、虚偽を超えて詐欺である

既に引退した、自民党古参の元議員がボヤく。
ひと言でいえば無教養。
何事もきちんと勉強したことがなく、取り巻きのブレーンから吹き込まれただけの耳学問だから、一知半解で、すぐにボロが出てしまう
」と。

確かにその通りで、4.28「主催回復の日」祝賀式典は、そんなことをしたら沖縄が怒り、天皇もご不快になるということに思いが至らず大失敗。
憲法96条先行改正論は、保守派の改憲論者である小林節慶大教授からも、
「立憲主義の否定」「裏口入学」と罵倒されて頓挫。
河野談話・村山談話の見直しは、米国から「歴史修正主義者」「国粋主義者」とレッテルを貼られて沈黙……とズッコケ続きである。

さらに最近では、安倍の「占領憲法」史観に対して、戦後史研究家の保阪正康から、
「かなり危うい」
と、痛烈な批判が浴びせられている(8日付毎日新聞)。
第九条が、マッカーサーの一方的な押しつけでなく、日米合作のたまものであったことは、今では学界多数派の意見であるというのに、
そんなことも知らずに、幼稚なことを言い続けているのが、わが国の総理大臣である。

〈たかの・はじめ〉
1944年生まれ。
「インサイダー」「THE JOURNAL」などと主宰。
「沖縄に海兵隊はいらない!」ほか、著書多数。
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