日本での年間自殺者の数は、実は3万人ではなく、10万人であるという話を何度も聞く。
もしそれが事実なら、毎日274人もの人が、自分で自分の命を絶ってることになる。
274人……いったいこれは、なにを意味してるんやろ。
十代の頃、あまりにどうしようもない、辛いを通り越した悲惨なことが連続して起こり、2度ほど自殺の真似っこをした。
毎晩のように、内臓の売買や自殺の勧めを受話器の向こうの、顔は知らんけれども声はすっかり覚えてる男から聞かされて、
いつの間にか、そうすることもアリか、などと思う気持ちが定着してたのかもしれん。
なによりも、本当にくたくたに疲れてた。
事故の影響で出てきた後遺症の具合も良うなかった。
2度とも、運良く見つけてくれた人がいて、わたしは今もこないして生き長らえさせてもろてる。
息子をふたり授かり、命をつなぐことを叶わせてもろた。
旦那が最近、中学生のアメリカ人の男の子に、日本語を教え始めたのやけど、
その子が読みたいと言うてきた本の題名が、『自殺サークル』という小説やった。
名前が名前だけに、えらいこっちゃとばかりに調べてみた。
結局は、親とも話し合うて、それは却下、ということになった。
『完全自殺マニュアル』などという本を書いた人がいる。
自殺のすすめ、という言葉もよく目にした時代がある。
いつの時代にも、どこの国にも、自殺ということについて、いろんな形で表現されてきた。
けれども、日本が突出して自殺する人が多いということに、今一度、きちんと目を向け、考えなあかんのとちゃうやろか。
社会の中のちっぽけな存在として自分を見るか、
かけがえのない、世界でたったひとつの、大切な存在として自分を見るか、
そして、本当に孤立していては、もとから生きられていない⇒だから、本当は独りではない、ということに気づけるか、
簡単には語れない事柄やけれども、経験者として言えば、あの瞬間の堪え難い苦しさと、圧倒的な勢いでやってきた後悔は、今でも生々しく記憶に刻み込まれてる。
誰も死にとうなんかない。
ほんまは、どうしたん?だいじょうぶ?という声をかけてもらえることを待ってる。
手を差し伸べて握ってもらえることを望んでる。
必要なことを必要なとこに。
うつ病に、恐怖症に、家族との関係に、学校に、職場に悩んでる人が自分を傷つけて運ばれてくる病院に、もっと心療内科の専門家を置く。
自殺の名所と呼ばれてるとこに、話を聞く人、その人が抱えてる問題の解決策を一緒に考えられる人が、常時いられるようにする。
依存症に悩んでる人が、個人やグループ、あるいは地域で治療ができる機関を、各市町村にきちんと整備する。
できることはいっぱいある。
どれもこれも、原発の無駄金に比べたら、ノミほどの予算でできる。
アルコール中毒もパチンコ依存症も、ひきこもりもいじめも、これはもうしょうがない、ある意味日本の一部なんやと、
知らず知らずのうちに、そんなふうに思い込まされてないか?マスコミや目上の人や世間に。
日本の原発は絶対に安全です、みたいな具合に。
わたしらに、自分のことをもっともっと大切にしていいと、必死に伝えてくれるものがあまりにも無さ過ぎた。
それで、自己犠牲や抑制が、すっかり遺伝子に組み込まれてしもた。
きちんと自分が何者であるかを知り、そのすべてを丸ごと愛せてたら、愛してもええのやと教えてもろてたら、
誰もそんな、かけがえのない、愛すべき者を、痛めつけたり殺したりせえへん。
誰からも愛されてのうても、わたしだけは全身全霊で愛してる大切な人。
それが自分であることを、もっともっと知ってほしい。
わたしはそれを、日本に住んでた時の、旦那とうまくいけんようになって悩んでた頃に診てもろた、カナダ人のカウンセラーから、
そして、息子が重体で入院したアメリカの病院が、すぐさま呼んでくれたカウンセラーから、たっぷりと時間をかけて教えてもろた。
彼らの声と眼差し、そしてその時のわたしの心の復活の足音は、今もはっきりと覚えてる。
見えざる敵「日本: 年間自殺者3万人」との戦いを開始したアイルランド人が制作したドキュメンタリー映画の衝撃【全編無料公開】
私はいったい何をしているんだろう。
でも、何かやらなきゃいけないんだ。
日本では、誰も、自殺の原因や、
自殺との戦い方について、
話そうとはしない。
しかし、自殺の方法が書かれた本は、
100万部以上の売り上げがある。
もし日本で、一万人の命が救えるなら?
奇跡ではなく、アイディアや誠実さで、
聞いてくれる人はいるのだろうか?
もし死が暗闇なら、
私は命に目を向けたい。
命を取り戻したい。
死の窮地から、
絶望ではなく、希望を、
見出せるようにしたい。
ぎりぎりまで追いつめられた、
苦しい時でも。
過去10年間に、約30万人の日本人が、
自殺で亡くなっている。
それは、アイスランドの人口と同じくらい。
日本の自殺率は、アメリカの2倍。
タイの3倍。
ギリシャの9倍。
フィリピンの12倍。
納得出来ますか?
今こそ、反撃のときではないですか?
Saving 10,000 | Winning a War on Suicide in Japan
自殺に限らず、日本では、「死」の議論が起こりにくい。
「死」に限らず、社会機能の不全に対しても。
正直、僕自身も、この映像に、どうコメントしていいのかわからないまま、筆を進めている
なぜだかわからない。
その原因は、内側にいる僕らには、いつの間にか見えなくなっているけれど、
日本の自殺者数に衝撃を受けた、アイルランド人2名が制作したこの映画、『Saving 10,000 – 自殺者1万人を救う戦い』が、
その極めて強い真摯な情熱と、外からの4つの目で、ぼくらの精神をいま、こじ開けようとしているのを感じる
いままで見えなかった「なにかの背中」が、遠くで灰色の影をちらつかせている。
これはもしかしたら、僕ら日本人にとって、数少ないチャンスなのかもしれない。
この映画の中では、"日本人の精神性" 、なぜ我々は、「同調」に対して脆弱なのか、
自殺に対する美意識、
個人の責任感の強さ(特に、借金やお金の問題に関して) に始まり、いくつかの問題が提示されている。
もし突然 脳卒中などで倒れ
体がまひし車椅子生活になり
子どもからの助けや介護が
必要になったら
長生きする意味がないような気がします
他の人に迷惑がかかるなら
- ある老人の言葉
詳細な自殺の方法まで報道する、日本のメディア、特にテレビの問題。
そんなシーンを、映画やドラマで見慣れた我々日本人は、いとも簡単に、自殺の瞬間の自分の姿をイメージできてしまうけど、
ここでは、その後の肉体の、決して美しいとはいえない損傷とリアクション、周囲が受ける多額の賠償問題が語られる。
そして、経済システムとしての理由。
なぜ保険会社は、自殺者に保険金を支払うのか、
派手なCMを繰り返す消費者金融、パチンコ、アルコール、風俗、
日々生まれていくる新しい生命を、数十年後消費していくような、「死のリサイクル」という闇のカラクリ。
ホント、自殺が馬鹿らしくなる。
でもこうして書きながら、「自殺」という存在を考えることを、思考停止させようとする心理的な抵抗と、
得体のしれないものに対する恐怖と、曲解された "穢れ" の遺伝子を、いま自分のなかに感じる。
その理不尽も、映画の中では、はっきりと述べられている。
この映像は、彼らの訴えは、日本人として生まれた人々にとって、体験しなくてはならないことの様に思える。
もう一度言う。
これはもしかしたら、僕ら日本人にとって、数少ないチャンスなのかもしれない。
亡霊のような「自殺」と「死」に関して、ここから議論を始める時ではないのだろうか。
日本では、報告によると
すごい数ですよ
救命救急センターへ搬送される患者の10~20%
心臓病や脳卒中や交通事故を含め
緊急治療室に搬送されるうちの10~20%が
自殺未遂者なのです
- ある精神分析医の言葉
監督: レネ・ダイグナン (Rene Duignan)
撮影: マーク=アントアン・アスティエ (Marc-Antoine Astier)
» 関連リンク
映画『Saving 10,000 – 自殺者1万人を救う戦い』
もしそれが事実なら、毎日274人もの人が、自分で自分の命を絶ってることになる。
274人……いったいこれは、なにを意味してるんやろ。
十代の頃、あまりにどうしようもない、辛いを通り越した悲惨なことが連続して起こり、2度ほど自殺の真似っこをした。
毎晩のように、内臓の売買や自殺の勧めを受話器の向こうの、顔は知らんけれども声はすっかり覚えてる男から聞かされて、
いつの間にか、そうすることもアリか、などと思う気持ちが定着してたのかもしれん。
なによりも、本当にくたくたに疲れてた。
事故の影響で出てきた後遺症の具合も良うなかった。
2度とも、運良く見つけてくれた人がいて、わたしは今もこないして生き長らえさせてもろてる。
息子をふたり授かり、命をつなぐことを叶わせてもろた。
旦那が最近、中学生のアメリカ人の男の子に、日本語を教え始めたのやけど、
その子が読みたいと言うてきた本の題名が、『自殺サークル』という小説やった。
名前が名前だけに、えらいこっちゃとばかりに調べてみた。
結局は、親とも話し合うて、それは却下、ということになった。
『完全自殺マニュアル』などという本を書いた人がいる。
自殺のすすめ、という言葉もよく目にした時代がある。
いつの時代にも、どこの国にも、自殺ということについて、いろんな形で表現されてきた。
けれども、日本が突出して自殺する人が多いということに、今一度、きちんと目を向け、考えなあかんのとちゃうやろか。
社会の中のちっぽけな存在として自分を見るか、
かけがえのない、世界でたったひとつの、大切な存在として自分を見るか、
そして、本当に孤立していては、もとから生きられていない⇒だから、本当は独りではない、ということに気づけるか、
簡単には語れない事柄やけれども、経験者として言えば、あの瞬間の堪え難い苦しさと、圧倒的な勢いでやってきた後悔は、今でも生々しく記憶に刻み込まれてる。
誰も死にとうなんかない。
ほんまは、どうしたん?だいじょうぶ?という声をかけてもらえることを待ってる。
手を差し伸べて握ってもらえることを望んでる。
必要なことを必要なとこに。
うつ病に、恐怖症に、家族との関係に、学校に、職場に悩んでる人が自分を傷つけて運ばれてくる病院に、もっと心療内科の専門家を置く。
自殺の名所と呼ばれてるとこに、話を聞く人、その人が抱えてる問題の解決策を一緒に考えられる人が、常時いられるようにする。
依存症に悩んでる人が、個人やグループ、あるいは地域で治療ができる機関を、各市町村にきちんと整備する。
できることはいっぱいある。
どれもこれも、原発の無駄金に比べたら、ノミほどの予算でできる。
アルコール中毒もパチンコ依存症も、ひきこもりもいじめも、これはもうしょうがない、ある意味日本の一部なんやと、
知らず知らずのうちに、そんなふうに思い込まされてないか?マスコミや目上の人や世間に。
日本の原発は絶対に安全です、みたいな具合に。
わたしらに、自分のことをもっともっと大切にしていいと、必死に伝えてくれるものがあまりにも無さ過ぎた。
それで、自己犠牲や抑制が、すっかり遺伝子に組み込まれてしもた。
きちんと自分が何者であるかを知り、そのすべてを丸ごと愛せてたら、愛してもええのやと教えてもろてたら、
誰もそんな、かけがえのない、愛すべき者を、痛めつけたり殺したりせえへん。
誰からも愛されてのうても、わたしだけは全身全霊で愛してる大切な人。
それが自分であることを、もっともっと知ってほしい。
わたしはそれを、日本に住んでた時の、旦那とうまくいけんようになって悩んでた頃に診てもろた、カナダ人のカウンセラーから、
そして、息子が重体で入院したアメリカの病院が、すぐさま呼んでくれたカウンセラーから、たっぷりと時間をかけて教えてもろた。
彼らの声と眼差し、そしてその時のわたしの心の復活の足音は、今もはっきりと覚えてる。
見えざる敵「日本: 年間自殺者3万人」との戦いを開始したアイルランド人が制作したドキュメンタリー映画の衝撃【全編無料公開】
私はいったい何をしているんだろう。
でも、何かやらなきゃいけないんだ。
日本では、誰も、自殺の原因や、
自殺との戦い方について、
話そうとはしない。
しかし、自殺の方法が書かれた本は、
100万部以上の売り上げがある。
もし日本で、一万人の命が救えるなら?
奇跡ではなく、アイディアや誠実さで、
聞いてくれる人はいるのだろうか?
もし死が暗闇なら、
私は命に目を向けたい。
命を取り戻したい。
死の窮地から、
絶望ではなく、希望を、
見出せるようにしたい。
ぎりぎりまで追いつめられた、
苦しい時でも。
過去10年間に、約30万人の日本人が、
自殺で亡くなっている。
それは、アイスランドの人口と同じくらい。
日本の自殺率は、アメリカの2倍。
タイの3倍。
ギリシャの9倍。
フィリピンの12倍。
納得出来ますか?
今こそ、反撃のときではないですか?
Saving 10,000 | Winning a War on Suicide in Japan
自殺に限らず、日本では、「死」の議論が起こりにくい。
「死」に限らず、社会機能の不全に対しても。
正直、僕自身も、この映像に、どうコメントしていいのかわからないまま、筆を進めている
なぜだかわからない。
その原因は、内側にいる僕らには、いつの間にか見えなくなっているけれど、
日本の自殺者数に衝撃を受けた、アイルランド人2名が制作したこの映画、『Saving 10,000 – 自殺者1万人を救う戦い』が、
その極めて強い真摯な情熱と、外からの4つの目で、ぼくらの精神をいま、こじ開けようとしているのを感じる
いままで見えなかった「なにかの背中」が、遠くで灰色の影をちらつかせている。
これはもしかしたら、僕ら日本人にとって、数少ないチャンスなのかもしれない。
この映画の中では、"日本人の精神性" 、なぜ我々は、「同調」に対して脆弱なのか、
自殺に対する美意識、
個人の責任感の強さ(特に、借金やお金の問題に関して) に始まり、いくつかの問題が提示されている。
もし突然 脳卒中などで倒れ
体がまひし車椅子生活になり
子どもからの助けや介護が
必要になったら
長生きする意味がないような気がします
他の人に迷惑がかかるなら
- ある老人の言葉
詳細な自殺の方法まで報道する、日本のメディア、特にテレビの問題。
そんなシーンを、映画やドラマで見慣れた我々日本人は、いとも簡単に、自殺の瞬間の自分の姿をイメージできてしまうけど、
ここでは、その後の肉体の、決して美しいとはいえない損傷とリアクション、周囲が受ける多額の賠償問題が語られる。
そして、経済システムとしての理由。
なぜ保険会社は、自殺者に保険金を支払うのか、
派手なCMを繰り返す消費者金融、パチンコ、アルコール、風俗、
日々生まれていくる新しい生命を、数十年後消費していくような、「死のリサイクル」という闇のカラクリ。
ホント、自殺が馬鹿らしくなる。
でもこうして書きながら、「自殺」という存在を考えることを、思考停止させようとする心理的な抵抗と、
得体のしれないものに対する恐怖と、曲解された "穢れ" の遺伝子を、いま自分のなかに感じる。
その理不尽も、映画の中では、はっきりと述べられている。
この映像は、彼らの訴えは、日本人として生まれた人々にとって、体験しなくてはならないことの様に思える。
もう一度言う。
これはもしかしたら、僕ら日本人にとって、数少ないチャンスなのかもしれない。
亡霊のような「自殺」と「死」に関して、ここから議論を始める時ではないのだろうか。
日本では、報告によると
すごい数ですよ
救命救急センターへ搬送される患者の10~20%
心臓病や脳卒中や交通事故を含め
緊急治療室に搬送されるうちの10~20%が
自殺未遂者なのです
- ある精神分析医の言葉
監督: レネ・ダイグナン (Rene Duignan)
撮影: マーク=アントアン・アスティエ (Marc-Antoine Astier)
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映画『Saving 10,000 – 自殺者1万人を救う戦い』