ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

なんで投票に行かはらへんかったんですか?

2013年06月25日 | 日本とわたし
↓これは、Azumi Sionという方のフェイスブックの画面上で見っけた写真。

わたしもつくづく思う。

もったいないなあって。



【都議選の結果をまとめてみたよ】

都民がもし100人だったら…と考えて
投票率と、各党の獲得議席数をかけ合わせて
割合を計算してみました。ざっくりと。

そりゃあ民意は反映されない感じするよなあ全員が。
あと投票しない人ものすごいもったいない。

これが、みんなでつくる政治の姿。


ちなみに、投票しない人の理由はこちらを参考にしています。
http://blog.livedoor.jp/manamerit/archives/65590342.html
http://togetter.com/li/422495
http://www.dot-jp.or.jp/nl/2012/1215-2.pdf
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国は、裁判所を使て住民弾圧をする。ちょっと国さん、国民を苦しめんのがそんねん楽しいか?

2013年06月25日 | 日本とわたし
チェルノブイリ事故が起こった時、わたしは29才やった。

田舎の嫁になって、8年経っても妊娠できんかったから、いろんな人からいろんなこと言われながら、
さすがにあきらめよか、いや、もうちょっと治療受けとこか、いや、子どものない夫婦のどこがあかんねん、わたしの人生や、放っといてくれ、
などと、くるくる変わる思いを抱えてた。
ちょっと方向転換してみよか。
せっかく田舎の嫁になったんやから、わたしも田んぼの手伝いしてみよか。
ふとそう思て、お義父さんに尋ねてみたら、それまで見たことないくらい喜んでくれはって、ちっちゃい田んぼに『まうみの田んぼ』と名前をつけてくれはった。
さあ、田植えの準備を始めよか、という時になって、わたしの体調がガタンと悪なった。
その頃はもう、子どものことをあきらめるかわりに、自分の音楽活動も違う分野に広げてみよと、新しいことに挑戦してた。
まさか自分に子どもが授かるとは思てなんだから、なんやこれは……もしかして癌か……などと心配したりした。

妊娠したとわかってから、わたしはもう嬉しいて嬉しいて、29才の誕生日を特別な気持ちで過ごした。
周りからは、まだちゃんと妊娠し続けられるかどうか怪しいねんから、どこにも言うなと言われた。
その誕生日から11日後に、あの事故が起こったニュースを観て、わたしは思わず下腹に両手を当てた。

遠く離れた、飛行機で何時間も飛んで行かなあかんような外国で起こった事故やのに、あの時の日本の騒ぎ方を観て恐かった。
恐がらなあかんことなんやなと思た。
原子力発電所が日本にもあることは知ってたけど、テレビに出てくるエラいさんらは、日本のんは絶対に大丈夫、安全ですと、口を揃えて自信満々に答えてはった。
そうか、日本はしっかりしてるもんなあ。
民主主義やし、ソビエトみたいに隠し事もせえへんし。
それに「日本の原子炉はアメリカ型で、事故を起こしたソビエト型とは構造が異なり、同様の事故は起きない」言うてはるし。
そやから自分は、ソ連とソ連の近くのとこからの食べもんを食べんようにしたらええんや。
幸い、肉と魚以外は、ほとんどお義母さんが作ってくれてはる。
よかったよかった、ラッキーやった……。

テレビと新聞は、ほんまのことを伝えてくれてると信じてた。
テレビやラジオでしゃべってる有識者とか呼ばれてる人らも、みんな、純粋に、正しいことを言うてくれてると思い込んでた。
29才にもなって……。
それまでの、生きるか死ぬか、殺されるか生き延びられるかの、そんな思いで思春期の間中過ごしてたわたしは、言い訳かもしれんけど、自分の身の安全しか考えてなかった。
社会問題を自分のこととして考え、間違うてることには抗議するようなことは、自分には到底できんと思いたかった。
やっと身ごもれて人間扱いしてもらえるようになったのに、そんなことに関わったらまた……と、世間の評判が恐かった。
なによりも、自分自身の身にふりかかってないことやから、やっぱり他人事にしか思えんかった。

わたしが生まれた頃は、核実験の絶頂期。
長男は、チェルノブイリ事故の半年後に生まれた。
次男はその1年と8ヵ月後に生まれた。

インターネットなんて全く無かった時代やったし、新聞テレビを、好き嫌いはあるにせよ、信じて読んでた。
次男が生まれた次の年ぐらいから、日本でも、ちらほらと、チェルノブイリの悲惨な状況が報じられ始めた。
国が国民を守ろうとせんやなんて何事や!
そんな非情な国があってええのんか!
けど、ソ連やもんなあ……。

まさかそれが、この日本で起こるとは、全く想像もしてなんだ。
事故のことはもちろんのこと、事故後の棄民が、日本でここまで盛大に実行されるやなんて……。

その現実が、呆れ返るほどの野蛮な行為が、平和ボケして半世紀以上生きてしもてたわたしの、大人としての覚醒を促してくれた。
目覚めた後の目で世界を再度見てみたら、国っちゅうもんの化けの皮がめくれて、あっちこっちから、その醜い中身が見えてきた。

今頃までかかってしもてごめん。
放っといてしもてごめん。
他人事にしててごめん。

原発やら基地やらを抱えた国は、国民のことなんか大事にするかいな。
札束と脅かしで押し付けなどうしようもないもん、あっちこっちに在る国なんか、とっくの昔に棄民しとるわ。
そんなことに、今頃まで気ぃつかんかったわ。
アホはわたしや。




国の弾圧に負けない
沖縄・高江 夫婦の思い


米軍のヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)建設をめぐって、国が住民を『被告』として訴えた、高江ヘリパッド裁判の判決が3月14日、那覇地裁でありました。
『被告』2人のうち1人については、国の請求を却下。
もう1人の伊佐真次さん(50)の行為は『妨害』だとしました。
伊佐さんは、直ちに控訴しました。
数少ないトートーメー(沖縄伝統の位牌)職人の真次さんと、妻の育子さん(51)に、思いを聞きました。
(青野圭)

*高江ヘリパッド裁判とは
沖縄県東村孝江での米軍ヘリパッド建設に、抗議と監視を続ける住民を、国が訴えた裁判。
本裁判は、2010年1月。
本裁判に先立つ2008年11月、8才の少女を含む住民15人(その後国は、少女を取り下げ14人)に対し、国が通行妨害禁止の仮処分を申請。
2009年12月、14人中12人は、国の請求を却下。
2人について『妨害』と認定し、翌年1月、国はこの2人を『被告』として、本裁判を起こしました。
住民は、裁判所を使った住民弾圧の『スラップ訴訟』だと批判しています。



米軍基地いらない 前進に確信

伊佐真次さん
判決を認めてしまうと、スラップ訴訟が全国に広がって、さまざまな問題で立ち上がった住民に類が及ぶと思いました
国に異を唱える者を『妨害者』と決めつける、卑劣な狙いに屈するわけにはいきません。
私の行為が『妨害』というなら、手を振ったり腕を組んだり、ただ立っていることもできなくなってしまう。

でも、他の13人の行為は『妨害じゃない』とされたのですから、全国にそのことを知らせ、今後も堂々と頑張ります。

県内だけでなく、全国、そして海外からの支援や訪問、取材も多いです。
6月に、沖縄県議選がありますが、保守系候補の『後援会報』には、
『米軍基地の撤退』『国頭、東村山野を、米軍演習場にするな』と明記しています。
立場の違いを超えて、基地撤去を公約にせざるを得ないところまで、私たちの運動は前進したのだと実感しています。
「沖縄のたたかいに、新たな歴史をつくっている」と言ってくださった方がいました。
大変光栄です。


伊佐育子さん
国は、真次個人の問題にしたかったはずです。
でも、判決直後、マスコミに囲まれた夫は、はっきりと、
「これはボク個人の問題ではない」と語り、控訴する意思を表明しました。
ああっ、真次は一人じゃないんだ、弁護団や支援者のみなさんに支えられている。
みなさんの思いを語っているんだと実感でき、本当にうれしかった。

判決の日、那覇地裁には、娘(23)といっしょにいきました。
仮処分申請から本裁判まで、子どもたちは、弱音や不満を口にしたことはありません。
両親が国に訴えられたのですから、平気なわけはありません。
彼らなりに悩んだのだと思うと、国のやり方は許せません。

24時間、365日、いつ防衛局(防衛省沖縄防衛局)が来るか分からない。
常に、来た時に備える生活です。
仕事でも何でも、パッとやめて飛び出せるようにしています。

真次は木工職人ですから、余計につらいと思います。
「この時間帯は絶対こない」。
そんな時に、集中することにしています。

毎回の裁判は、片道車で2時間以上。
父親(83)の世話も十分にできず、申し訳ない思いです。
防衛局は、普通の生活を送る私たちを、威圧し続けています。
国民を苦しめて、そんなに楽しいのでしょうか。

でも、真次は、いつも淡々としていて、弱音を聞いたことはありません。
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