想田和弘監督のブログ『観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda』に、わたしも読んでた堀江氏とのツィートについて書かれてた。
そのツィートを、読むだけやなく、総括してツィートで発言した方がおられ、それを想田監督がまとめて記事にしはった。
それをここに、転載させてもらう。
それは、この先、オリンピックという場違いな行事が終了するまで、そっくりそのまま、わたし自身の身にも起こり得ることやと思うので。
↓以下、転載はじめ
堀江貴文氏とのやり取りから見える「ニッポンの多数派」の論理
ツイッター上で、ホリエモンこと堀江貴文さんと、再びやりとりをした。
堀江さんによる僕への悪口ツイート(といって良いと思う:「なんかヤバイすね、この人だんだんと。先鋭化が激しい」)に対して、理由を問い質したところ、
「ウザい」「粘着質」と言われただけの、それだけでは取るに足りない、しょーもない喧嘩のようにみえるものだったんだが、
そのやりとりを、下記のごとく総括して下さった方(@HSarabande)がいて、がぜん意味が出てきた。
感謝したい。
以下、その方の連投。
ーーーー
想田監督と堀江が、ちょっとしたジャブの応酬をしている。
こういう事例が、日本の「空気」の本質をついている。
堀江が、原発オリンピック問題については、長期的ではあるが、クリティカルな問題をネグレクトする、日本の「空気」を代表する者であり、
想田監督は、それに、合理的に異を唱えるものである。
堀江は、想田監督の異議を、「ウザい」「ヤバい」「なんか怖いっす」と、原始的な生理的嫌悪感を述べる言葉でつぶやき、
それに対して、多数のフォローワーから、「せっかく涼しくて気持ち良いと思たら、堀江さんが気持ち悪い人と戦っていた」との、
同じく、生理的嫌悪感に同意するようなコメントが入る。
フォローワーからみると、「堀江軍994120 対 想田軍29650」であり、堀江が多数派である。
使用済み核燃料の問題は、あいまいにしてもかまわない、なんでそんな先のことを考えて暗くなっているの?
マゾ、キモい、オリンピックも決まったし、楽しもうよ、というのが、多数派である。
「これまで安全だし、地震が起きてもたいしたことなかったから、なんで、電源喪失の事なんか考えないといけないの?キモい、左翼」という論理とつながりる。
TPPだって、「なんでそんなにクヨクヨするの?牛丼安くなるじゃん」ぐらいだろう。
クリティカルな欠点を覆い隠したうえでなりたっている、多数派の多幸的な雰囲気、空気……。
これは、知的ではなく、感情的な論理である。
比較的多数の、空気にのって楽しんでいる多数派は、それに水をさされると、感情的嫌悪感で反応してくる。
「キモい、怖い、マゾ」であり、排除である。
この知的欠陥を持つ、多数派の感情論理=日本的空気(第二次世界大戦敗戦と、原発事故問題の歴史的経緯から、「欠陥」と呼んでも差支えないと判断する)を、
いかに少数派が、戦略的に切り崩し、風穴をあけ、より成熟した空気を醸成してゆけるのか。
結局は、そういう問題に帰する。
この「知的欠陥を持つ多数派の感情論理」は、子供であれば、いじめ問題に直結する。
一人が苦しんでいても、多数が面白ければいいじゃん、なんで、そこに水をさすわけ?となる。
一人の苦しみの深さは、ネグレクトされる。
それが、今は福島であり、福島や最終処分地の苦悩を、代弁しようとする者である。
ーーーーーー
これらを受けて、僕は、以下のような連投をした。
オリンピックを享受するには、放射能汚染も、人々の被害も苦しみも、「なかったこと」にしなければならない。
安倍首相が、IOCで嘘をつかなければならなかった事実そのものが、この命題の正しさを証明している。
オリンピックを享受したい大多数の日本人も、これから全力で、「なかったこと」にするだろう。
オリンピックを楽しみたい多数派の日本人にとって、放射能汚染や人々の被害が、「現在進行形で起きていること」であると重ねて指摘する人間は、
おしなべて「ウザい」し、「粘着質」である。
彼らは、自分たちの楽しみや、経済的利益を脅かす、「ヤバい放射脳」である。
放射能汚染や、人々の被害や苦しみを、「なかったこと」にしないと、オリンピックは実現しないし、
そこから得られる高揚感も、楽しみも、経済的利益も、すべてが台無しになる。
五輪招致成功で、日本人の多数派には、原発事故を「なかったこと」にすることへの強力なインセンティブが、突如生まれたといえる。
みておくがよい。
これから、マスメディアも、原発事故を「なかったこと」にする方向へ、強力に動くだろう。
なぜなら、「あったこと」にすると五輪が台無しになり、そこから得られるはずの広告収入による、莫大な利益も失われるから。
マスメディアのほとんどが、一様に「招致成功バンザイ」なのには、理由がある。
みておくがよい。
これから、放射能によって被害を被った人々が訴え出ても、彼らは単に無視されるか、ウザくて粘着質な放射脳だと嘲笑されて、切り捨てられる圧力が高まる。
なぜなら、彼らは、オリンピックを成功させたいという、日本の多数派の気分と経済的利益を、脅かす存在だからである。
みておくがよい。
これから、原発再稼働や、海外へのトップセールスに反対する人々も、単に無視されるか、ウザくて粘着質な放射脳だと嘲笑されて、切り捨てられる圧力が高まる。
なぜなら、彼らは、オリンピックを成功させたいという、日本の多数派の気分と経済的利益を、脅かす存在だからである。
ーーーーーーー
アーサー・ビナード氏が、今年8月に予言してた。
「実は、東京に、オリンピックが来るんです!!
日本政府と僕の母国が、絶対に東京でやらせたいんです。
オリンピックが来ることには、大きな意味がある。
2020年まで待つのではなく、2013年のこの時期に、「東京に決まりました!」という発表には、意味がある。
どういう意味かというと、安全宣言!、安全宣言!!
このタイミングで、実は、「安全宣言」が必要なんです。
今、核のからくりに目覚めている人が、増えているんです。
多くの人が行動し始めている。
日本政府と僕の祖国の核利権が、そこで安全宣言を出して、もう一度、みんなを思考停止状態にして、
戦後ず~っとやってきたアンポンタン国民作りを、もう一回再稼働させて、
日本人を被曝させながら、みんなをジリジリ殺しながらも、思考停止状態に戻したい。
そこで、一番、日本人がアンポンタンになるのは何かというと、東京オリンピック!!」
http://botibotiikokaaa.seesaa.net/article/374283889.html
そのツィートを、読むだけやなく、総括してツィートで発言した方がおられ、それを想田監督がまとめて記事にしはった。
それをここに、転載させてもらう。
それは、この先、オリンピックという場違いな行事が終了するまで、そっくりそのまま、わたし自身の身にも起こり得ることやと思うので。
↓以下、転載はじめ
堀江貴文氏とのやり取りから見える「ニッポンの多数派」の論理
ツイッター上で、ホリエモンこと堀江貴文さんと、再びやりとりをした。
堀江さんによる僕への悪口ツイート(といって良いと思う:「なんかヤバイすね、この人だんだんと。先鋭化が激しい」)に対して、理由を問い質したところ、
「ウザい」「粘着質」と言われただけの、それだけでは取るに足りない、しょーもない喧嘩のようにみえるものだったんだが、
そのやりとりを、下記のごとく総括して下さった方(@HSarabande)がいて、がぜん意味が出てきた。
感謝したい。
以下、その方の連投。
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想田監督と堀江が、ちょっとしたジャブの応酬をしている。
こういう事例が、日本の「空気」の本質をついている。
堀江が、原発オリンピック問題については、長期的ではあるが、クリティカルな問題をネグレクトする、日本の「空気」を代表する者であり、
想田監督は、それに、合理的に異を唱えるものである。
堀江は、想田監督の異議を、「ウザい」「ヤバい」「なんか怖いっす」と、原始的な生理的嫌悪感を述べる言葉でつぶやき、
それに対して、多数のフォローワーから、「せっかく涼しくて気持ち良いと思たら、堀江さんが気持ち悪い人と戦っていた」との、
同じく、生理的嫌悪感に同意するようなコメントが入る。
フォローワーからみると、「堀江軍994120 対 想田軍29650」であり、堀江が多数派である。
使用済み核燃料の問題は、あいまいにしてもかまわない、なんでそんな先のことを考えて暗くなっているの?
マゾ、キモい、オリンピックも決まったし、楽しもうよ、というのが、多数派である。
「これまで安全だし、地震が起きてもたいしたことなかったから、なんで、電源喪失の事なんか考えないといけないの?キモい、左翼」という論理とつながりる。
TPPだって、「なんでそんなにクヨクヨするの?牛丼安くなるじゃん」ぐらいだろう。
クリティカルな欠点を覆い隠したうえでなりたっている、多数派の多幸的な雰囲気、空気……。
これは、知的ではなく、感情的な論理である。
比較的多数の、空気にのって楽しんでいる多数派は、それに水をさされると、感情的嫌悪感で反応してくる。
「キモい、怖い、マゾ」であり、排除である。
この知的欠陥を持つ、多数派の感情論理=日本的空気(第二次世界大戦敗戦と、原発事故問題の歴史的経緯から、「欠陥」と呼んでも差支えないと判断する)を、
いかに少数派が、戦略的に切り崩し、風穴をあけ、より成熟した空気を醸成してゆけるのか。
結局は、そういう問題に帰する。
この「知的欠陥を持つ多数派の感情論理」は、子供であれば、いじめ問題に直結する。
一人が苦しんでいても、多数が面白ければいいじゃん、なんで、そこに水をさすわけ?となる。
一人の苦しみの深さは、ネグレクトされる。
それが、今は福島であり、福島や最終処分地の苦悩を、代弁しようとする者である。
ーーーーーー
これらを受けて、僕は、以下のような連投をした。
オリンピックを享受するには、放射能汚染も、人々の被害も苦しみも、「なかったこと」にしなければならない。
安倍首相が、IOCで嘘をつかなければならなかった事実そのものが、この命題の正しさを証明している。
オリンピックを享受したい大多数の日本人も、これから全力で、「なかったこと」にするだろう。
オリンピックを楽しみたい多数派の日本人にとって、放射能汚染や人々の被害が、「現在進行形で起きていること」であると重ねて指摘する人間は、
おしなべて「ウザい」し、「粘着質」である。
彼らは、自分たちの楽しみや、経済的利益を脅かす、「ヤバい放射脳」である。
放射能汚染や、人々の被害や苦しみを、「なかったこと」にしないと、オリンピックは実現しないし、
そこから得られる高揚感も、楽しみも、経済的利益も、すべてが台無しになる。
五輪招致成功で、日本人の多数派には、原発事故を「なかったこと」にすることへの強力なインセンティブが、突如生まれたといえる。
みておくがよい。
これから、マスメディアも、原発事故を「なかったこと」にする方向へ、強力に動くだろう。
なぜなら、「あったこと」にすると五輪が台無しになり、そこから得られるはずの広告収入による、莫大な利益も失われるから。
マスメディアのほとんどが、一様に「招致成功バンザイ」なのには、理由がある。
みておくがよい。
これから、放射能によって被害を被った人々が訴え出ても、彼らは単に無視されるか、ウザくて粘着質な放射脳だと嘲笑されて、切り捨てられる圧力が高まる。
なぜなら、彼らは、オリンピックを成功させたいという、日本の多数派の気分と経済的利益を、脅かす存在だからである。
みておくがよい。
これから、原発再稼働や、海外へのトップセールスに反対する人々も、単に無視されるか、ウザくて粘着質な放射脳だと嘲笑されて、切り捨てられる圧力が高まる。
なぜなら、彼らは、オリンピックを成功させたいという、日本の多数派の気分と経済的利益を、脅かす存在だからである。
ーーーーーーー
アーサー・ビナード氏が、今年8月に予言してた。
「実は、東京に、オリンピックが来るんです!!
日本政府と僕の母国が、絶対に東京でやらせたいんです。
オリンピックが来ることには、大きな意味がある。
2020年まで待つのではなく、2013年のこの時期に、「東京に決まりました!」という発表には、意味がある。
どういう意味かというと、安全宣言!、安全宣言!!
このタイミングで、実は、「安全宣言」が必要なんです。
今、核のからくりに目覚めている人が、増えているんです。
多くの人が行動し始めている。
日本政府と僕の祖国の核利権が、そこで安全宣言を出して、もう一度、みんなを思考停止状態にして、
戦後ず~っとやってきたアンポンタン国民作りを、もう一回再稼働させて、
日本人を被曝させながら、みんなをジリジリ殺しながらも、思考停止状態に戻したい。
そこで、一番、日本人がアンポンタンになるのは何かというと、東京オリンピック!!」
http://botibotiikokaaa.seesaa.net/article/374283889.html