「Can you speak English?」
この季節、子どもが新しい学年になり、心機一転、ピアノを習わせてみよか、と思う親御さんがいる。
前にちょっと習たけど中断してて、なんとなくまた始めてみよかな、と思う子どもがいる。
そんなこんなで、毎年数人の、新しい生徒が入ってくる。
今年も、わたしがどんな教え方をして、レッスン代がいくらで、どこに住んでるのかを尋ねる電話が数件かかってきた。
で、今回初めて、冒頭の質問を受けたんである。
この質問の前に、「あら?あなたの英語にはクセがあるわね」と言われた。
顔を見ながらの会話なら、わたしが東洋人であることはわかるけど、電話ではそうはいかんから、そんなふうに聞かれても別にかまへんのやけど、
そのあとに続いたのが、
「でも大丈夫よ。わたしは航空会社に勤めていたので、そういうアクセントのある英語には慣れてるから」ときた。
「はあ……」と思いながら聞いてたら、
「あなた、英語が話せるの?」と言われたんであ~る。
「Do you」ではなく「Can you」と聞かれたことにカチンときた。
だって、相手の興味は、わたしが英語を話すかどうかではなく、英会話の能力の高い低いを聞きたいと言うてるのやから。
いや、そんなこと聞かれても、こうやって話してる内容でわかるやろにと、うだうだ考えながら、けっこう狼狽えてしもてる自分にびっくりした。
「話せますよ」と、ひと言だけしか答えんかった自分にも腹が立った。
そのあと、向こうの質問に二三答え、トライアルのレッスンの日にちを決めて電話を切り、それからしばらくポカンとしてた。
台所のカウンターで、旦那とふたり、並んで夕飯の用意をしてた時、窓の向こうを眺めながら電話の件を話したら、
「どう答えたん?」と、血相を変えて聞き返された。
「どうって……話せますって言うた」
「わたしは35年以上の教師経験があり、そのうちの13年はこちらで教えてるって言うたったんか?」と、旦那はすっかり作業を止めてブチ切れてる。
「いや、そういう詳しいことは言わんかった。会うてわかってもらう」
そう言いながら腹の中では、ほんまや、なんでそう、ガツンと言うたらへんかったんや……と、うじうじ思てる自分がいた。
こんなつまらんことで、と思おうとしてるわたしに、
これはつまらんことでなく、こういう質問は失礼で、そういう失礼に対してははっきりと答えていい。
滅多に無いとは思うけど、もし次にこんなことがあったら、声のトーンに気をつけて、きちんと考えを言えばいい。
と教えてもろた気がしてやっと、波立ってた心の中が落ち着いた。
日本で居た時、わたしはどっちかっていうと、言いたい放題する人の言葉を、えへへ~と笑いながら受けることが多かった。
こいつは何を言うても平気っぽい。
そんなふうに思わせるような態度がくせになり、けっこう傷ついてたりするのに、それを自分でも認めんようになってた。
こっちに来てから言語環境が変わり、言葉というものについての観念が変わり、
ちっちゃな子どもを教えてる時でさえ、その子に言うてええ言葉とそうでない言葉をちゃんと考えてから、ものを言うようになった。
何回か、「いくら先生でも、そんなふうには言われたくない」とか、「そういう言い方はようない」と、抗議を受けたからやし、
わたしに対しても、言われても直しようのなく、傷つくだけのことや、身体的な欠点をあげつらうような人がおらんようになったから、
そういう気遣いをしてもらえることの繰り返しが、そういう気遣いをお返ししたい気持ちにつながってるんやと思う。
教えるっていうことは、教えてもらうってこと。
周りから十分の気遣いや愛情を受けたら、こんな頑固なおばちゃんでも、ちょっとはマシな人間になっていくんやな。
ほんでもうひとつ、欲張って言うと、
その相手が誰でも、わたしはその、あなたの言葉で傷つきました。と、ちゃんとその場で、落ち着いた口調で言えるようになりたい。
この季節、子どもが新しい学年になり、心機一転、ピアノを習わせてみよか、と思う親御さんがいる。
前にちょっと習たけど中断してて、なんとなくまた始めてみよかな、と思う子どもがいる。
そんなこんなで、毎年数人の、新しい生徒が入ってくる。
今年も、わたしがどんな教え方をして、レッスン代がいくらで、どこに住んでるのかを尋ねる電話が数件かかってきた。
で、今回初めて、冒頭の質問を受けたんである。
この質問の前に、「あら?あなたの英語にはクセがあるわね」と言われた。
顔を見ながらの会話なら、わたしが東洋人であることはわかるけど、電話ではそうはいかんから、そんなふうに聞かれても別にかまへんのやけど、
そのあとに続いたのが、
「でも大丈夫よ。わたしは航空会社に勤めていたので、そういうアクセントのある英語には慣れてるから」ときた。
「はあ……」と思いながら聞いてたら、
「あなた、英語が話せるの?」と言われたんであ~る。
「Do you」ではなく「Can you」と聞かれたことにカチンときた。
だって、相手の興味は、わたしが英語を話すかどうかではなく、英会話の能力の高い低いを聞きたいと言うてるのやから。
いや、そんなこと聞かれても、こうやって話してる内容でわかるやろにと、うだうだ考えながら、けっこう狼狽えてしもてる自分にびっくりした。
「話せますよ」と、ひと言だけしか答えんかった自分にも腹が立った。
そのあと、向こうの質問に二三答え、トライアルのレッスンの日にちを決めて電話を切り、それからしばらくポカンとしてた。
台所のカウンターで、旦那とふたり、並んで夕飯の用意をしてた時、窓の向こうを眺めながら電話の件を話したら、
「どう答えたん?」と、血相を変えて聞き返された。
「どうって……話せますって言うた」
「わたしは35年以上の教師経験があり、そのうちの13年はこちらで教えてるって言うたったんか?」と、旦那はすっかり作業を止めてブチ切れてる。
「いや、そういう詳しいことは言わんかった。会うてわかってもらう」
そう言いながら腹の中では、ほんまや、なんでそう、ガツンと言うたらへんかったんや……と、うじうじ思てる自分がいた。
こんなつまらんことで、と思おうとしてるわたしに、
これはつまらんことでなく、こういう質問は失礼で、そういう失礼に対してははっきりと答えていい。
滅多に無いとは思うけど、もし次にこんなことがあったら、声のトーンに気をつけて、きちんと考えを言えばいい。
と教えてもろた気がしてやっと、波立ってた心の中が落ち着いた。
日本で居た時、わたしはどっちかっていうと、言いたい放題する人の言葉を、えへへ~と笑いながら受けることが多かった。
こいつは何を言うても平気っぽい。
そんなふうに思わせるような態度がくせになり、けっこう傷ついてたりするのに、それを自分でも認めんようになってた。
こっちに来てから言語環境が変わり、言葉というものについての観念が変わり、
ちっちゃな子どもを教えてる時でさえ、その子に言うてええ言葉とそうでない言葉をちゃんと考えてから、ものを言うようになった。
何回か、「いくら先生でも、そんなふうには言われたくない」とか、「そういう言い方はようない」と、抗議を受けたからやし、
わたしに対しても、言われても直しようのなく、傷つくだけのことや、身体的な欠点をあげつらうような人がおらんようになったから、
そういう気遣いをしてもらえることの繰り返しが、そういう気遣いをお返ししたい気持ちにつながってるんやと思う。
教えるっていうことは、教えてもらうってこと。
周りから十分の気遣いや愛情を受けたら、こんな頑固なおばちゃんでも、ちょっとはマシな人間になっていくんやな。
ほんでもうひとつ、欲張って言うと、
その相手が誰でも、わたしはその、あなたの言葉で傷つきました。と、ちゃんとその場で、落ち着いた口調で言えるようになりたい。