ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

初雪の日のロマンティック

2009年12月05日 | 音楽とわたし
この冬初めての雪が降りました。

今年最後のACMAの演奏ミーティング、なぜか思いっきり緊張してしまいました。
楽しみで楽しみで、2日前ぐらいから夢の中にまで出てきたドヴォルザーク。ちょっと楽しみにし過ぎたのかもしれません。

演奏後、いろんな人達から嬉しい感想を聞かせてもらいました。
ただ、やはり舞台の上になると、タイソンはいつもより遠くに居て、音のバランスを計ったり、彼の息づかいを読み取ったりするのが難しくなったので、
のんきにヴァイオリンの音を楽しみながら演奏するというより、神経がいつもよりかなりぴりぴりしていて、それがまた良いふうに影響したのかもしれません。

ひょうひょうなタイソンは、舞台裏でも舞台の上でも、やっぱりひょうひょう男でした。
おかん、なにひとりで緊張してんねん……と冷ややかな目でじぃ~っと見られていたような気がします。トホホ。
そんなわたしの気を落ち着けようと思ったのか、舞台に出ていく直前に、ヴァイオリンの弦を指で叩いて、曲の出だしの部分を微かに聞こえる程度の音で弾いてくれました。でもあくまでもやっぱりひょうひょうと……。わかったわかった、かあちゃんもう大丈夫。

こんなんで、来月の、ピアノパートが数段難しくなる曲を弾けるんだろうか……。
っていうか、こんなこっちゃ3月、4月のオーディションを乗り越えられんじゃないか!と、今夜は自分で自分に喝を入れときました。

明日からフランクのヴァイオリンソナタの練習が始まります。
『息子その3』タイソンよ、おかんは心を入れ替えて頑張るからね!

今日は珍しく、旦那がはじめから終わりまで聞いてくれました。それも嬉しかった雪の夜でした。


P.S.

『一緒に演奏できて今日は楽しかったわ、ありがと。明日からまたフランクのソナタ、練習始めるし、弾けるようになったら連絡するしね』
『ボクも今日は楽しかった。ボクもさっそく練習始めるよ』

ちゃうねんちゃうねん!あんたはまだまだ始めんでもええねん!
と、ひとりパソコンの前で焦っているおかんなのでした……かっこわる!
コメント (2)
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師匠からのメール

2009年12月05日 | 音楽とわたし
片岡先生のお葬式行ってきましたよ、ちゃんとお別れできました。
亡くなるほんの、数日前、電話が掛かって来てお話したところだったので、
先輩から急死されたって連絡もらった時にはほんとにビックリしました。
朝、お風呂に入っていて亡くなられたそうです。
近年腰を悪くされて、もうほとんど、二つ折れになっていらしたそうです。
 
先生に受けた傷はいやされる事はなかったし、忘れられるものではないのは、レッスンを受けたみんな同じです。
お葬式に集まった人々の数は予想に反して少なかったとも多かったとも、両方の事がいえるでしょうね。
昔の生徒の方がより、傷が深く、そしてまた、人によっても違いますよね。
 
でもね、近頃思うんだけどね、理不尽に恐い人を自分の人生のなかで持てたってことは得難い宝物でした。

思えば私の人生の50年、わけもなく恐い人であり続けた人です。
レッスンでのお付き合いは20年前にきっぱり切らせていただきました。
でも、どう思っても今あるもとは、先生のおかげ。
盆暮れのご挨拶は、心こめて先生の好物を送ってました。
理不尽に怒る先生だったからこそ、私はなにくそって、先生から離れた後、勉強しました。
納得出来る恐さだったら、きっと勉強しなかったと思う。
音楽をする、そして、ピアノなんて高度な楽器をコントロール出来るようになって表現をしていけるようになる、
なんてことのためには片岡先生あり!ですよね。
否定は出来ない、この人、このやりかたもあり、だと思います。
こういう突出したことがないと進歩はしてはいかないともいえますものね。
私には、片岡先生のような、自信と熱意と能力と強さがないから、理不尽にはなれません。
先生は2年前迄演奏会に出演されてました。

ピアノはまだ日にちかかりそうですか?
楽しみですね。
まうみちゃんが置いて行ったピアノを弾いていたNちゃんね、この秋からリヨン国立高等音楽院の入学出来て、伴奏科で勉強してますよ。
Nちゃんは大教大の院をでてからも勉強したくて、フランスに行って伴奏科で勉強したいって決めて1年、猛烈に勉強してリヨンにいい成績で入学できました。
嬉しいです、よく頑張ったし、よく頑張ってる今、ほんとにえらい。
まうみちゃんのピアノを引き継いだNちゃんだから、なおさら嬉しいです。



深いところで感じていた、けれども書けなかった思いを、師匠が書いてきてくれました。
片岡先生が亡くなられた後に吐露してきた気持ちを、直系の弟子である師匠が読んでどんなふうに思うだろうかと、実はずっと心配していました。
だからとても嬉しかった。そしてさすがだと思った。

『理不尽に恐い人を自分の人生のなかで持てたってことは得難い宝物でした』
『納得出来る恐さだったら、きっと勉強しなかったと思う』

しみじみとしみる言葉です。

師匠もまた厳しいピアノの先生でした。
けれどもそれは理不尽な厳しさではなく、徹底的に、妥協することなく、根気良く、善かれと思うことをコツコツと教えてくれました。
わたしの指はタコのようにグネグネしていて、琴を習っていたこともあって、指先が真逆に曲がってしまい、骨もしっかりしていなかったので、
正直言って、この子にはピアノなんておっきな楽器は到底無理だろう……と、かなり悩んでいた、と聞いたことがあります。
なのにわたしは、自分はピアノにすご~く向いていて、才能もあって、見込まれているからこそ、先生はこんなに厳しいんだ!と思い込んでいました。
わたしはかくも、能天気な自信過剰丸出しのガキ……だったようです。

いろいろあって、やっぱり師匠からも距離を置いて生きていたわたしが、ようやく彼女の所に戻れてからは、姉のような母のような存在になりました。
ここぞという辛い時に、なんとも優しい、そして前に半歩でも踏み出したくなるような言葉をかけてくれるのはいつだって師匠。
たまにはこんなんも着なさいとか、食べなさいとか言って、すてきな洋服を買ってくれたり、おいしいご馳走を作ってくれたり、レストランに連れてってくれたり、
こんなふうにいつまでも甘えてしまっていいのだろうかと思いつつ、いまだになんのお返しもできていないトホホなわたし……。

彼女は今、家族の介護や、彼女自身の心を支えることでとても大変な毎日を送っています。
それでもいつも、なんでこんなに明るく物事を捉えることができるのだろうと、半ば呆れてしまうほどの、すてきな笑顔と明るい声を振りまいてくれます。
彼女の強さと優しさは、わたしなんかには到底真似のできることではありません。
そんな、心から尊敬できる師匠を持つわたしは、なんて幸せ者なのだろうと思います。

片岡先生、これでもう終わりにします。やかましいこと言うてすみませんでした。
そして、ほんとにいろいろありがとうございました。安らかにお眠りください。
コメント (2)
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