2009年12月18日、この日Tは、23才の誕生日と4年半に渡る米国の大学生活の終了日を迎えました。
昨夜、くたくたのはずなのになかなか寝付けず、夜中にお腹が冷え冷えとして起きたりして、けれども6時半に目覚めたわたしは、旦那が散歩に出かけている間にシャワーに入り、昨日の便秘をなんとかして解消しようとストレッチなどに励んでおりました。
ちなみに、夜中にお腹が冷えたのは、あんな遅い時間(9時半頃)にパック寿司を食べながら冷たいビールを飲んだのが原因!(by旦那)だそうです……。
Tはさすがに緊張しているのか、昨晩もろくに寝ていないのにちゃっちゃと起きて、集合時間に間に合うべく会場に向かい、名前がそこにあったと連絡をくれました。
我々はKを起こそうと電話をかけるのだけど、なんとも確証のない超寝ぼけ声が聞こえてくるだけ……案の定、もうあと5分もないという時間に部屋に入ると、寝てるし…………旦那に雷を落とされて飛び起きてたけど……それでもしっかり髪の毛ストレートアイロンかけてるし……。
寒空の中、大学に向かいました。
Tが4年間学んだ校舎です。ここで4年間絞りに絞られてきました。
入学前のセミナーがあった建物。ここで彼は最初の洗礼を受けました。
Tが二回生の時に住んだ寮。ここの1階の部屋に住んでいて、あの銃乱射時間のあった日も、「窓のすぐ外でライフルを持った人が歩いてる」などとすっとぼけたことを言って、母親を震撼させたTでした。あの事件の最初の殺人は、この建物の隣の寮で起こりました。
会場に入ると、まずコートを開いて身体検査、そして鞄の中のチェックがありました。大学専属の警察官が二人組で、会場のあちらこちらに立っていました。
先に到着していた旦那の両親と姉が、どこにエンジニア科の生徒が座るのかを確認して、席を確保しておいてくれました。
会場の一角に、式の間中生演奏をしてくださった管楽器奏者さん達。
Tが入場してきました。やっぱりチビです。
母親に名前を呼ばれて、珍しく振り向くT。もっと珍しいことに、なんとT、笑ってるではありませんか!?奇跡だ!!
ヴァージニア工科大の校章と教授の方々。
呼ばれた呼ばれた!Tの名前が呼ばれた!
が……なんちゅう発音やねぇ~ん?!ずっこけてカメラが揺れちゃって、タイミングを外してしまいました。Tは校旗の間の、後ろ向きの学生です。
前からのアングルで撮るのは無理だったので、近くにあるスクリーンに写る彼を撮りました。完璧では無いけれど、まあ満足満足。
結局わたしは泣きませんでした。というか、彼の成し遂げたことの大きさに圧倒されて、尊敬の念のようなもので胸の中がいっぱいでした。
農家の長男の長男として生まれたT。しかも長年待たされ続けてやっと生まれた男の子だということで、それはもう皆から大事にされていました。
それが急にそこから連れ出され、小さな子の扱いが苦手なアメリカ人の若者と暮らすようになり、名前が変わりました。
日本人のくせに変な名前だ、英語しゃべってみろ、などといじめられ、学校の廊下で下着のパンツを下げられたり、知らない子に追い回されたり、
顔以外の全身アトピーの悪化で10年もの間血だらけになって苦しんだり、親の甲斐性が無いばかりに、やりたいことのほとんどをさせてもらえなかったり、
それでもくさらずに、彼なりに前向きに、一歩一歩歩き続けてきたT。
こちらに来て、凄まじい変化の嵐に見舞われても、ポキリと折れずに、凹んでも立ち直り、誤解を受けても気にとめず、いろんな事や人を許せる優しさを持ち、
思い返してみれば、どちらかというと成績優秀のまま学業を終えたT。
親バカだけど、ほんとにすごい男だと思います。そのすごさを目の当たりにして、泣きたいというより、ただただ笑って手を振っていました。
卒業式会場の垂れ幕。これでもうお別れだと思うと、VTのマークがとても懐かしくなってしまいました。
遠い所はるばると来てくださったお母さんとお父さん、それから旦那姉(といってもわたしよりはるか年下!)、そしてT本人とK。
実はこの時もう、スノーストーム直前という事態になっていたので、とにかく1分でも早く離れたい両親と姉。そしてそれは、とっても正しい判断だったのでした。
昨夜、くたくたのはずなのになかなか寝付けず、夜中にお腹が冷え冷えとして起きたりして、けれども6時半に目覚めたわたしは、旦那が散歩に出かけている間にシャワーに入り、昨日の便秘をなんとかして解消しようとストレッチなどに励んでおりました。
ちなみに、夜中にお腹が冷えたのは、あんな遅い時間(9時半頃)にパック寿司を食べながら冷たいビールを飲んだのが原因!(by旦那)だそうです……。
Tはさすがに緊張しているのか、昨晩もろくに寝ていないのにちゃっちゃと起きて、集合時間に間に合うべく会場に向かい、名前がそこにあったと連絡をくれました。
我々はKを起こそうと電話をかけるのだけど、なんとも確証のない超寝ぼけ声が聞こえてくるだけ……案の定、もうあと5分もないという時間に部屋に入ると、寝てるし…………旦那に雷を落とされて飛び起きてたけど……それでもしっかり髪の毛ストレートアイロンかけてるし……。
寒空の中、大学に向かいました。
Tが4年間学んだ校舎です。ここで4年間絞りに絞られてきました。
入学前のセミナーがあった建物。ここで彼は最初の洗礼を受けました。
Tが二回生の時に住んだ寮。ここの1階の部屋に住んでいて、あの銃乱射時間のあった日も、「窓のすぐ外でライフルを持った人が歩いてる」などとすっとぼけたことを言って、母親を震撼させたTでした。あの事件の最初の殺人は、この建物の隣の寮で起こりました。
会場に入ると、まずコートを開いて身体検査、そして鞄の中のチェックがありました。大学専属の警察官が二人組で、会場のあちらこちらに立っていました。
先に到着していた旦那の両親と姉が、どこにエンジニア科の生徒が座るのかを確認して、席を確保しておいてくれました。
会場の一角に、式の間中生演奏をしてくださった管楽器奏者さん達。
Tが入場してきました。やっぱりチビです。
母親に名前を呼ばれて、珍しく振り向くT。もっと珍しいことに、なんとT、笑ってるではありませんか!?奇跡だ!!
ヴァージニア工科大の校章と教授の方々。
呼ばれた呼ばれた!Tの名前が呼ばれた!
が……なんちゅう発音やねぇ~ん?!ずっこけてカメラが揺れちゃって、タイミングを外してしまいました。Tは校旗の間の、後ろ向きの学生です。
前からのアングルで撮るのは無理だったので、近くにあるスクリーンに写る彼を撮りました。完璧では無いけれど、まあ満足満足。
結局わたしは泣きませんでした。というか、彼の成し遂げたことの大きさに圧倒されて、尊敬の念のようなもので胸の中がいっぱいでした。
農家の長男の長男として生まれたT。しかも長年待たされ続けてやっと生まれた男の子だということで、それはもう皆から大事にされていました。
それが急にそこから連れ出され、小さな子の扱いが苦手なアメリカ人の若者と暮らすようになり、名前が変わりました。
日本人のくせに変な名前だ、英語しゃべってみろ、などといじめられ、学校の廊下で下着のパンツを下げられたり、知らない子に追い回されたり、
顔以外の全身アトピーの悪化で10年もの間血だらけになって苦しんだり、親の甲斐性が無いばかりに、やりたいことのほとんどをさせてもらえなかったり、
それでもくさらずに、彼なりに前向きに、一歩一歩歩き続けてきたT。
こちらに来て、凄まじい変化の嵐に見舞われても、ポキリと折れずに、凹んでも立ち直り、誤解を受けても気にとめず、いろんな事や人を許せる優しさを持ち、
思い返してみれば、どちらかというと成績優秀のまま学業を終えたT。
親バカだけど、ほんとにすごい男だと思います。そのすごさを目の当たりにして、泣きたいというより、ただただ笑って手を振っていました。
卒業式会場の垂れ幕。これでもうお別れだと思うと、VTのマークがとても懐かしくなってしまいました。
遠い所はるばると来てくださったお母さんとお父さん、それから旦那姉(といってもわたしよりはるか年下!)、そしてT本人とK。
実はこの時もう、スノーストーム直前という事態になっていたので、とにかく1分でも早く離れたい両親と姉。そしてそれは、とっても正しい判断だったのでした。