ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

嫌な思い出

2009年12月04日 | 友達とわたし
わたしと一緒に小学校の低学年の頃からピアノを頑張っていたS子が、先日のブログを読んでメールを送ってきてくれました。

『私もネットのニュースで片岡みどりさんのことを知った。
そのあとまうみのブログ読んでびっくりしたわ、あんまりまうみが鮮明におぼえてるから。
あれはほんまに悪夢やったわ。
まうみも私も他の子らよりもよく弾けてんから、あの当時もし誰かがほめてくれたり認めてくれてたらちがう風に成長できたかもしれんって思う。
正直言って、あのころはピアノが楽しくなかったもん。
音楽は大好きやったけど、何のために弾いてるのかわからんかった。
今はあのときやめなくて本当によかったと思う。
こんなすばらしい音楽と生涯ともにできることに感謝の気持ちでいっぱい』

S子とわたしは、幼児の頃からの友達、こ~れぞま~こ~と~の~幼馴染みです。
家族の構成も環境も性格も、まったく違うふたりだったけどなぜだか仲良しで、紙を切り抜いた着せ替え人形ごっこや、おままごとをしてよく遊びました。
仲良しの延長でヤマハ音楽教室に通い、そこで他の子供よりは少し能力が高いと見なされ、相愛の音楽教室の試験を受けることになったのもふたり。
友達とライバルの両方を兼ね合わせ持った、とても不思議な仲になりました。

子供の頃のわたしの目には、彼女はおっとりとしていて、悠々自適、優しいおかあさんに温かく守られている、そんなうらやましい存在でした。
そんなに必死で練習しているようには見えないのに、いつだってよく弾けて、わたしよりはたくさん褒められているように思えました。
そして、わたしが弾きたいと思う曲を必ず彼女がゲットして、わたしにはタイプが合わないからと、いつも不本意な曲をもらっていたように記憶しています。
そんな彼女なので、片岡先生のレッスンでもきっと、わたしよりはマシだったに違いないと思い込んでいました。

でも違った。彼女も嫌な思いをいっぱいして、何のために弾いているのかもわからなかった。そうやったんか……。

いよいよわたしの家の事情が最悪になり、そこに事故やら後遺症なども重なって音楽どころではなくなって、音楽の道から完全に外れてしまってからは、S子のことを頭の中から消すことに決めました。そうしないと、あまりにうらやましくて悔しくて、頭がおかしくなってしまいそうだったからです。
でもまた、違う形にせよ、とりあえず音楽に携わることができるようになり、さらに自分のために人生を選んで暮らし始めてから、また穏やかな気持ちでS子のことを思い出せるようになりました。そうなるのに20年もの年月がかかってしまいました。

彼女は今ウィーンに暮らし、それはそれは素晴らしいピアニストとして、多くの人達に幸せを与えるべく、いろいろな場所で演奏をしています。
国際音楽コンクールでは、特別最優秀伴奏者賞を何度も受賞し、ウィーン国立音楽大学ではその能力を発揮して、教えたり伴奏を手がけたり。

『音楽は大好きやったけど、何のために弾いてるのかわからんかった』

あの時同じことを考え、けれどもそれをあえて口に出さなかったわたし達。

『今はあのときやめなくて本当によかったと思う。こんなすばらしい音楽と生涯ともにできることに感謝の気持ちでいっぱい』

ほんま、わたしらやめんかってよかったな、S子。


 


コメント (6)
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