「なんでそんな意固地になるん?!」
旦那にそう言われてしもた。
その時は自分でもわからへんかったから、答えることができひんかった。
それからずうっと今まで、そのことについて考えてみた。
こんな言葉使うと演歌の歌詞みたいやけど、わたしは、物心ついた頃から家庭的に幸せ薄い子供やった。
親が調子良う儲けてた、ほんの数年の間でさえ、なんか温かみのない、うそで塗りかためられたような家の中で、家族ごっこをしてた。
いろんなごたごたを命からがら乗り越えて、やっとなんとか生きていけそうな状況になった時、わたしが心身ともに強烈に求めてたのは、「ただいま」って言うたら「おかえり」って言うてくれる人が居る家やった。
しかもその家の人は、わたしを憎んでたり、いじめようと手ぐすね引いて待ってたりするんやなくて、ただ普通に一緒に暮らしてくれる人であって欲しかった。
そんな家と人欲しさに、無理矢理押し掛けるようにして結婚してもろた。
若い自分が思てた以上に、環境の大きな変化は心にも身体にもキツかった。
ええ人には違いないねんけど、想像力に著しく欠ける人達の言葉に傷つけられた。
けど、これは自分の結婚の目的の不純さが招いたことやし、自分で決めたことやねんから、なんとか頑張って責任を果たさなあかんと思てた。
心の中がれんこんみたいに穴空いて、なんや知らん、すうすう冷たい風が吹いてるような毎日、それがわたしの、2番目の家族ごっこ……。
今の旦那と出会って2週間して、互いに会話もできひん状態やったのに、
しかもわたしは田舎で同居主婦してて、旦那はアメリカからひょっこりやって来て、ただ日本の田舎の家でちょっと住んでみたかっただけの若者やったのに、
今でもなんでか全然わからへんけど、がむしゃらに、必死に、「わたしと一緒に、それと息子達とも一緒に暮らそ」って頼んでた。
「絶対に楽しいから、約束するから」って、アホの一つ覚えみたいにくり返して、1年かかってお願いをした。
非常識で、人の道から外れてて、非難されて当たり前の事を、年増の、子持ちの、人妻やってる女から言われた旦那の驚きと苦しみは並大抵のものやなかった。
ましてや、その夫というのは、自分を日本の田舎の家に招いてくれたその当人やったんやから。
なんぼ断られても後ずさりされても諦めへんかったのは、わたしの、家族というものに対する憧れの強さやったんか、それともそこまで惚れたんか、
説明のつかんものすごい希望の塊が、お腹の中にどすんと居座って、あの時のわたしは、それまでのわたしの中で1番頑固やった。
本物の家族ごっこが始まった当初は、いったいどないしたらええのか簡単なことすらわからんと、そこに離婚のストレスと極度の貧乏が重なって辛かった。
けど、足の裏がとうとう地べたにしっかりついたような気持ちがして、やっと自分が自分のまま生きてると感じた。それは素晴らしい感覚やった。
もう嘘をつかんでいい。人の機嫌を伺わんでいい。自分を無くすほどいい人ぶらんでいい。
自分が泣き出したくなるほど愛してる人達だけと一つ屋根の下で暮らすことができる幸せは、お金には代えられへん、ほんまもんの幸せやった。
家族4人揃って、季節の行事を楽しみ、年を越して新年を迎える。
それがとうとう、多分来年からは、叶わんようになる。
Tが大学を卒業して独立する日が近づいてきた。
そやから、今年の年越しと新年の祝いは、わたしの中では区切りの、もしかしたら最後の、家族揃ってのことになると思ってた。
それはとても喜ばしくも寂しいことで、その相反する感情が心の中に入り交じったまま、整理することもできずに困っていた。
そんな今年の年末に、旦那姉一家が老犬も一緒に泊まりで遊びに行きたいと言うてきた。
彼女とわたしは決定的に合わないことがあって、それでも15年ほどはなんとか頑張ったけど、3年前にある事件があって、それでわたしも腹を決めて、嘘をつくのはやめて、苦手ではあるけど、親族として、大人として、気持ち良く付き合ってはいくと表明した。
そんなこんなもあって、旦那はわたしと姉の間に立って、いろいろと気を遣わなあかんようになった。
わたしはできるだけ彼女と接触する時間を減らそうとする。
旦那も実は姉は苦手ではあるけれど、姉の主人のエリックと姪のエメラとは逢いたいので、なにか機会があったら逢いに行ったり呼んだりしたい。
それにもちろん、自分の姉なんやから、わたしのように冷めた感情を持ってもいない。
そやから、ものすごく申し訳ないと思う。なんとか気持ちが変わらんもんかとも思う。
「もうあの嵐の日からずっと、家族4人だけで居るやん。もう充分家族の時間持てたやん。なんでそれほどこだわるん?」
わたしかて、ほんまは機嫌よう、いつでもニコニコして人を迎えたい。
いや、違う、違うわ。迎えとうない時もあったのに、それを隠して、いつでもウェルカムないいおばさんのふりしてただけや。
そやからやっぱりわたしは、旦那が言うように、意固地で意地悪なんかもしれへん。
わたしだけの、初めて叶った『夢の家族』。それにこだわり過ぎてるのかもしれへん。
北風がびゅんびゅん吹き荒れる、体感温度マイナス14℃の今日一日、鍋ごと外に出しておいたおでんがかきんこきんに凍ってしもてた。お箸も乗っかるほどに。
おでんも意固地になっちゃったんかな。
旦那にそう言われてしもた。
その時は自分でもわからへんかったから、答えることができひんかった。
それからずうっと今まで、そのことについて考えてみた。
こんな言葉使うと演歌の歌詞みたいやけど、わたしは、物心ついた頃から家庭的に幸せ薄い子供やった。
親が調子良う儲けてた、ほんの数年の間でさえ、なんか温かみのない、うそで塗りかためられたような家の中で、家族ごっこをしてた。
いろんなごたごたを命からがら乗り越えて、やっとなんとか生きていけそうな状況になった時、わたしが心身ともに強烈に求めてたのは、「ただいま」って言うたら「おかえり」って言うてくれる人が居る家やった。
しかもその家の人は、わたしを憎んでたり、いじめようと手ぐすね引いて待ってたりするんやなくて、ただ普通に一緒に暮らしてくれる人であって欲しかった。
そんな家と人欲しさに、無理矢理押し掛けるようにして結婚してもろた。
若い自分が思てた以上に、環境の大きな変化は心にも身体にもキツかった。
ええ人には違いないねんけど、想像力に著しく欠ける人達の言葉に傷つけられた。
けど、これは自分の結婚の目的の不純さが招いたことやし、自分で決めたことやねんから、なんとか頑張って責任を果たさなあかんと思てた。
心の中がれんこんみたいに穴空いて、なんや知らん、すうすう冷たい風が吹いてるような毎日、それがわたしの、2番目の家族ごっこ……。
今の旦那と出会って2週間して、互いに会話もできひん状態やったのに、
しかもわたしは田舎で同居主婦してて、旦那はアメリカからひょっこりやって来て、ただ日本の田舎の家でちょっと住んでみたかっただけの若者やったのに、
今でもなんでか全然わからへんけど、がむしゃらに、必死に、「わたしと一緒に、それと息子達とも一緒に暮らそ」って頼んでた。
「絶対に楽しいから、約束するから」って、アホの一つ覚えみたいにくり返して、1年かかってお願いをした。
非常識で、人の道から外れてて、非難されて当たり前の事を、年増の、子持ちの、人妻やってる女から言われた旦那の驚きと苦しみは並大抵のものやなかった。
ましてや、その夫というのは、自分を日本の田舎の家に招いてくれたその当人やったんやから。
なんぼ断られても後ずさりされても諦めへんかったのは、わたしの、家族というものに対する憧れの強さやったんか、それともそこまで惚れたんか、
説明のつかんものすごい希望の塊が、お腹の中にどすんと居座って、あの時のわたしは、それまでのわたしの中で1番頑固やった。
本物の家族ごっこが始まった当初は、いったいどないしたらええのか簡単なことすらわからんと、そこに離婚のストレスと極度の貧乏が重なって辛かった。
けど、足の裏がとうとう地べたにしっかりついたような気持ちがして、やっと自分が自分のまま生きてると感じた。それは素晴らしい感覚やった。
もう嘘をつかんでいい。人の機嫌を伺わんでいい。自分を無くすほどいい人ぶらんでいい。
自分が泣き出したくなるほど愛してる人達だけと一つ屋根の下で暮らすことができる幸せは、お金には代えられへん、ほんまもんの幸せやった。
家族4人揃って、季節の行事を楽しみ、年を越して新年を迎える。
それがとうとう、多分来年からは、叶わんようになる。
Tが大学を卒業して独立する日が近づいてきた。
そやから、今年の年越しと新年の祝いは、わたしの中では区切りの、もしかしたら最後の、家族揃ってのことになると思ってた。
それはとても喜ばしくも寂しいことで、その相反する感情が心の中に入り交じったまま、整理することもできずに困っていた。
そんな今年の年末に、旦那姉一家が老犬も一緒に泊まりで遊びに行きたいと言うてきた。
彼女とわたしは決定的に合わないことがあって、それでも15年ほどはなんとか頑張ったけど、3年前にある事件があって、それでわたしも腹を決めて、嘘をつくのはやめて、苦手ではあるけど、親族として、大人として、気持ち良く付き合ってはいくと表明した。
そんなこんなもあって、旦那はわたしと姉の間に立って、いろいろと気を遣わなあかんようになった。
わたしはできるだけ彼女と接触する時間を減らそうとする。
旦那も実は姉は苦手ではあるけれど、姉の主人のエリックと姪のエメラとは逢いたいので、なにか機会があったら逢いに行ったり呼んだりしたい。
それにもちろん、自分の姉なんやから、わたしのように冷めた感情を持ってもいない。
そやから、ものすごく申し訳ないと思う。なんとか気持ちが変わらんもんかとも思う。
「もうあの嵐の日からずっと、家族4人だけで居るやん。もう充分家族の時間持てたやん。なんでそれほどこだわるん?」
わたしかて、ほんまは機嫌よう、いつでもニコニコして人を迎えたい。
いや、違う、違うわ。迎えとうない時もあったのに、それを隠して、いつでもウェルカムないいおばさんのふりしてただけや。
そやからやっぱりわたしは、旦那が言うように、意固地で意地悪なんかもしれへん。
わたしだけの、初めて叶った『夢の家族』。それにこだわり過ぎてるのかもしれへん。
北風がびゅんびゅん吹き荒れる、体感温度マイナス14℃の今日一日、鍋ごと外に出しておいたおでんがかきんこきんに凍ってしもてた。お箸も乗っかるほどに。
おでんも意固地になっちゃったんかな。