ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

地獄と天国

2009年12月19日 | 家族とわたし
卒業式の後、皆でそろってお祝いの食事をするはずだったわたし達。
けれども、やってくる雪嵐は並みのものではないというニュースを聞き、残念ながらキャンセルをすることにしました。
ところが、「僕が友達の卒業式に参列した時には、必ずその子らの両親がランチに招いてくれたから、今日は僕がそのお返しをしたい」と言い張るT。
その気持ちはよくわかるのですが、空を見上げるともう、今にも雪が降り始めそうな気配満々。
そこで、せめて時間が短くて済むレストランを選ぶことになりました。
するとT、「じゃあボクらの大好きな『北海道バッフェ(→でもなぜか中華)』がいいわ」と言い、来てくれた二人の友達も嬉しそうな顔をしたので、予約していたレストランから考えるとかなり格落ちになって申し訳なかったのだけれど、そこに行くことにしました。
まずアパートメントに戻り着替えて外に出ると、あ~あ、雪が降り始めちゃいました。
でもまあ、とにかく行って食べようということで、皆で出かけたのが1時過ぎ。
そして、そのことが過酷な地獄の世界への入り口だったことに、わたし達はまだ気がついていませんでした。

ハラハラと降り始めた雪が、みるみるうちに本格的になっていく様子が、レストランの窓からでもしっかり見ることができたわたし達。
焦りながらも、お腹がかなり減っていたのと美味しかったのとで、お皿をおかわりしたりして、しっかりそこで1時間近く過ごしてしまいました。
まだ食べ終わらない遅食いで有名なTの友達を残して、我々はとにかくTのアパートメントに急ぎました。

がぁ~ん!!さっきまでの町はいったいどこにっ?!



昨日まで試験があったTは、パッキングに全く手をつけておらず、けれどもこんな天候では彼の日産では走行不可能だということで、計画を急きょ変更し、衣服とパソコン関連の物だけをとりあえずパッキングして、後で車を取りに来がてら部屋の掃除をしに戻ることにしました。
それでも有に40分はかかり、その間にも雪はどんどんどんどん降り積もり、気持ちはもう焦りまくり!とにかくなんでもいいから出発です。

いつもだと高速81まで15分もかからない、大学と高速を結ぶルート460。雪の降り始めだからか、目の前で滑る車が続出して恐くてたまりません。



よくよく見ると、ひぇ~!!スケートリンク状態ですってばぁ~!!



散々な渋滞の後、やっとこさ乗り込んだ高速81……ところが……ものすごい風と横なぶりに降る大雪、そして目に飛び込んでくる事故車の数々、
とうとう旦那が「もうやめよう!とにかくこれ以上こんな状態の中を走るのは危険過ぎる。最寄りの町のモーテルに泊まって様子を見よう」と言い出しました。
「そんなん、とにかくもうちょっと行ってみような。わたしは大雪の運転、結構大丈夫やから」
そうわたしが言った途端、旦那は血相変えて怒り出し、「そういう危険な考え方が事故を招く!」と言い張るばかり。
わたしはわたしで、もっと酷い状況の中で、しかも軽自動車で運転した話や、積もった雪の上を走るのは、凍った道よりはマシという持論を力説。
実はその時のわたしの心の中には、とにかくどうにかして旦那姉の家に着き、旦那母の誕生パーティで弾く曲の練習をしたいという目論みがあったのでした。
「なんでそんなに帰ろうとするのか理解できない」と怒る旦那。どうしても運転をやめようとしないわたし。
とにかくお互いの気持ちを落ち着けて、ちゃんと考えることが必要だということで、一旦高速から降りてガソリンスタンドに避難することにしました。



スタンドは大繁盛。この先どうしたらいいかを決めかねた客が入ってきては、そこに居る客と話したり、その人が来た場所の情報を手に入れたり、
そこに、多分ここで一晩過ごすつもりだと決めた男性が居て、旦那は彼と意気投合、わたしもその時分には状況が思っているより深刻だと観念していました。
そこで、とりあえず車の中で座って状況を見ていると、タイヤが雪に埋もれて立ち往生してしまったり、すべってクルクル回ったり、もうなんでもありの世界。
こりゃもうここで一夜を過ごそう、そう腹をくくりました。
ところが……、
「まうみ、今入って来た人みんな、まだこれから北に向かうらしい。この嵐は南から上がってるから、どこかで嵐を追い越せるはずやって」と旦那。
おっしゃ~!!とにかくやってみよやないのぉ~!!
もともと帰りたかった息子達も大賛成。軽いスナック菓子を買い、トイレも済ませ、意気揚々と出発したのでした。

そしてそれは突然、わたし達の乗る車の前に門を広げたのでした。

81に乗り込むと、さきほどまでの渋滞は消えていて、不気味なほどに快適にスイスイと車は進み、こりゃ嵐に追いつくのも時間の問題か?と思った矢先、遠くに赤く光るテールランプの集団が見えてきました。
なんやろなあ、事故やなかったらええけど……とつぶやきながら近づいていくと、ストップ。完全停止です。

1時間待ち、2時間待ち、そして3時間が過ぎました。誰も車から出て来ないし、車から降りて文句を言う人もいません。
仕方が無いので、また皆でしりとり遊びをしました。4人で一緒にするのはもう何年ぶりのことでしょう。
雪の立ち往生もまたいいもんだ、なんて思いながら、カメラで遊ぶ余裕もまだこの時にはありました。
つららがだんだん大きくなってくるのを見ながら、気温マイナス3℃ではエンジンを切ることもできずに、ワイパーも動かしたままひたすら待ちました。



雪はどんどんどんどん降り続きます。わたし達の周りにはただ、真っ暗な夜と真っ白な雪。そしてエンジンの音が鳴り響くばかり。



とうとうたまらなくなって、旦那が外に出て、近くに居るトラックの運転手さんに状況を尋ねました。
トラック仲間専用の通信から、なんらかの情報を得ているはずだと考えたからです。
「ついさっき、ヴァージニア州の知事が非常事態宣言をして、ナショナルガード(自衛隊のようなもの)の発動を依頼したらしいよ。それで、夜中の3時にここに到着して、我々を避難させてくれるってことらしい」
すばらしいっ!なんていい決断をしてくれたことでしょう!これはもう心をしっかりもって待つっきゃない!地獄に仏とはこのことだ!
まあ、完全に止まってしまってから早3時間、その間、な~んの知らせも無きゃ、パトカーの1台さえも来てくれてないけど、この際文句は言いますまい。
それにしても、このアメリカンの気の長さはなんなんでしょうか?もうすっかり諦めきってるか、期待をしないと決め込んでるかのどちらかなんでしょうか?
ほんとに、こんなにたくさんの車が立ち往生しているのに、誰ひとり外に出て様子を見るとか、誰かに尋ねるとか、そういうことが全く無いのです。
と……あ、誰か出て来た!げっ!短パン?!



暗くて見えにくいのですが、右側の白いソックスのおじさん、短パン姿でワンちゃんのお散歩に出てきました。ワンちゃんはハスキー犬。もう幸せそのものです。

そこではたとわたしは気づきました。わたしもおしっこしたいやん……。

でも我慢我慢.ナショナルガードの人達が来てくれるんやもん。それまでぐらい待てんでどないする!けど、早う3時にならへんかな~。

車の中の空気は最悪。前の車の排気ガスを入れたくないので外気を入れられず、どんどん乾燥してくるし、温かい空気に吹き付けられるまま座席に座り続けていると、まるで日本に里帰りでもしているような気になってきました。

3時やっ!!期待は一気に膨らみます。
でも、誰ひとり現れません……。いや、きっと、他の所でも事故とかがあって、それで遅れてるんや。きっとそうや。
3時半……4時……4時半……意識も気力も朦朧としてきました。もう待ってもしようがない。
ふと気がつくと、あたりがほんのりと薄明るくなっていました。夜が明けたのです。



もうこれ以上おしっこを我慢するのは身体に良くないと、とうとうわたしも決心して、外に出ました。
旦那はそれまでにもう何回も、車から出た所で用を足していて、やけくそでその写真を撮れ!と命令して撮った写真があります。
なんぼなんでもここではご紹介できませんが……なかなかに思い出深い写真になりました。
不幸中の幸いで、我々が巻き込まれた場所から歩いて行ける距離にレストエリアがあり、そこに公衆トイレがあったのでした。

トイレからの帰り道、すっきりとした気分で撮った写真です。



真っ暗な時には見えなかったトイレが見えた時の喜びは、もうほんとに言葉では言い表せないほどの、油断してたらチビってしまいそうなぐらいの感動でした。
足元が濡れるのも気にならないぐらい、喜びと感謝の気持ちに満ち満ちていたわたしでしたが、すれ違う人達の中にはお年寄りや赤ちゃん、それから持病で大変な子供もいて、この8時間以上にも及ぶ無視が、どうにも許せなくなり、警察がダメならラジオ局に訴えて!と旦那に頼みました。



ワンちゃんの散歩。やっぱり彼女も短いスカートにソックス?!彼女は短パン姿でハスキー犬と歩いていた男性の家族のようです。いったいあなた方の季節感って……。



ヴァージニアのローカルラジオ局のニュースを聞き続けていたのですが、どうしてだか我々の場所のニュースだけがいつもとばされていたのでした。
なぜかすべての人達から無視されているような感じがして怒りがふつふつと沸いてきました。
天災に遭って避難したものの、孤立し、どこからの援助も連絡も無く、ただただ希望を捨てずに待ち続ける人の気持ちが、少しは理解できたような気がしました。

そしてさらに時間は過ぎ、丁度12時間が経過した時、トラックの運転手さんが急にプオ~ッというクラクションを鳴らしました。
「さ~、出発だ!」

突然やって来た地獄からの生還の瞬間でした。

ノロノロと動き始めたわたし達の目の前に、一晩中かかって寝ずに除雪をしてくれたであろう人達のトラックが何台も何台も止まっていました。
それこそ写真を撮りたかったけど、もうその時はただただ感謝をしたくて、一台ごとの運転手さんに手を振り、ありがとう~!と叫びながら通り過ぎました。



Tのアパートメントを出てから、まさに20時間ぶりの、温かい食事をとりました。
「こんな日だから、もう店を閉めようかと思ったのだけど、良かったわ、あなた達のような人を迎え入れることができて」
なんとも温かい言葉をかけてくれたウェイトレスさんでした。



走ってもいいと言われたものの、それはそれは危険な、どこで事故を起こしても不思議ではない状態の道が続きます。
わたしと旦那、それからKの3人で運転しました。Tは寝不足が続いていたのと、スバルの運転自体に慣れていないということで免除です。



あちこちで、それはもう数えきれないほど見た大型トラックの制御不能になった末の道路封鎖。我々のもトラックが原因でした。



すっかりひっくり返ってしまった事故車。普通車は単独事故がほとんどでした。深刻な怪我を負われていないことを祈るばかりです。



我らがヒーロー、除雪車!



もうすっかり遅れてしまって、旦那母のパーティが終わりを迎えている頃に、やっとペンシルバニア州の入り口に着きました。



走行中、我々の安否を心配する父から、再三の電話がかかってきました。
「そんな、間に合わそうだなんて考えないでいいから。とにかく無事に、もし危ないと思ったら、どこでもいいから途中で降りて泊まるように」
「うんうん、わかった、無理しないから、気をつけてるから」と答えながらも、本当は滅茶苦茶無理して、とにかく間に合わせたいと運転し続けるわたし達。

結局パーティには間に合いませんでしたが、父がパーティに参加した人達用に用意したホテルのコテッジで、無事生還を皆とともに喜ぶことができました。
そしてもちろん、前日の夕方から思い続けていた、「おかあさん、誕生日おめでとう!」を、直接本人に言うこともできました。
父が急きょ我々にも取ってくれたコテージの部屋は、もうなんとも言えずすてきで、あたたかで、それはもう、昨日の夜から考えると天国そのもの。
あまりにありがたくて嬉しくて、それにKのリクエストでもあったので、天国の写真も撮りました。

4人用だと思っていたら、なんと旦那とわたしの2人部屋?!文字通り大の字になったら、身体が泥のように溶けていくように眠りにつきました。



どっぷりと深い浴槽。旦那母が一番にわたしを引っ張って見せてくれたお風呂です。「まうみが大喜びすると思った」と嬉しそうに言ってくれました。

 

今朝はすっかり晴れました。空気はキリキリと痛いぐらいに冷えています。



今朝、旦那はかなり病気になっていました。起きた途端に下痢と吐き気と強烈な頭痛に見舞われ、見るからに悲惨な状態でした。
これはもう、少し実家に寄って休ませてもらい様子を見い見い家に戻るしかないなと思っていると、あらあら不思議、チェックアウトの頃にはかなり回復しました。

それで、わたしとKとで運転をし、夕方に我が家に戻ってきました。
家猫はしばらく大きな声で文句を言っていましたが、今はすっかり落ち着いています。
明日からクリスマス前の詰めこみレッスンが続きます。
わたしも体調を崩さないように、このあとわずかになった2009年を無事に終えたいと思います。

長い長い話に付き合ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。
おかげさまで無事に戻ることができ、また明日からせっせせっせと、ひと迷惑な記事を更新していきたいと思っています。
いつも温かく見守ってくださり、本当にありがとうございます。
コメント (20)
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